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瞑想の輪を広めたい。その理由

「心庵まもる」について

こんにちは!瞑想実践研究家の心庵まもると申します。
以後、お見知りおき頂ければ幸いです。
今回の記事は若干、自分語りになってしまう可能性が高いかも知れません。
そんな記事でも付き合ってやるよ!という寛大で優しい方はどうぞよろしくお願いします。

さて、私は瞑想実践研究家という肩書をつけて活動させて頂いています。
その名称の通り、瞑想実践を通して得た気づきや、方法論、研究成果などをSNSやnoteなど様々なメディアを通して発信する。
また、著作物を発表しKindle電子書籍やPOD出版という形式で発表させて頂いております。

著作物としては現在、以下のものがあります。↓

★Kindle版

★POD版

以上が現在のところの主たる活動のあらまりになります。
さて、私、心庵まもるには一つの目標があります。
それは、「瞑想の輪を広げる」というテーマです。
そもそも、何故、瞑想の輪を広げたいのか。
ここからお話ししてみたいと思います。何卒、お付き合い頂ければ幸いです。

瞑想は未だマイナー

瞑想といえば、あなたはどのようなものをイメージしますか?
ヨガ行者や仏教僧が静かに瞼を閉じて座ってするもの。
そんなイメージでしょうか。

あるいは美容と健康のため、リラクゼーションのための精神療法。
そんな風に考えているかも知れませんね。
確かにそれらの瞑想に纏わるイメージは間違っているとは言えません。

元々、瞑想はインド方面で発祥し、ヨガや仏教をはじめ宗教的な儀礼として広まったものです。
しかし、近年になるにつれて、瞑想には一定の科学的効能があることなどにも注目が集まるようになりました。

免疫力が高まったり、メンタルケアに寄与したりする。
そのことが分かり始めてから、宗教とは切り離された営みとして取り入れる方も増えて来たと言えます。

とりわけ、Apple創業者のスティーブ・ジョブズ氏やFaceBook(現・Meta)の創業者・CEOであるマーク・ザッカーバーグ氏などが瞑想に取り組んでいるということが取りざたされたことは近年で大きなインパクトがありました。

Googleの社員は一日に瞑想を実践する時間を与えられているというニュースも巷では注目を集めました。
このように社会的なステータスのある立場の人たちの視線を注がれることにより瞑想に対する認知度は上がってきていると言えるでしょう。

しかし、全く、裏腹の事を言えば、それでも瞑想は未だマイナーな存在だと言えます。
例えば、一番分かりやすいのはカテゴライズの問題です。
試しにAmazonなどのカテゴリをみて下さい。

一番のルートカテゴリに「瞑想」というジャンルがありますか?
多分ありません。
私は著作を発表する際にいつもこの壁にぶつかります。
瞑想関連の本はどこのカテゴリに属するのか。

様々なカテゴリを深堀して該当しそうな分野を探すのです。
瞑想という言葉自体はそれほど聞きなれない言葉ではないはずなのに。
漸く、たどり着くカテゴリは良く分からない極小カテゴリに落ち着くのです。

Amazonは屈指の巨大企業です。
その企業が適当にカテゴリを決めているわけはありません。
多くの人の認知、関心、必要性などを加味してカテゴライズを考えているはずなのです。

それを裏返して考えれば瞑想というカテゴリが見つけにくい理由は簡単に導き出せます。
瞑想は私が思い入れているほど、あるいは如何に著名な人間が実践していると言われていても、それほど認知度が高いわけではないということ。

つまり瞑想は未だにマイナーな存在だということなのです。
これは非常にもったいないことであり、残念なことでもある。
私は少なくともそう思っています。

瞑想は人にも地球にも優しい

少し話しは変わります。
私たち人類社会は今、心身ともに脅威にされされています。
一つには環境問題。SDGsなどの動きを見ればわかるように世界では持続可能な社会のためにあり方の見直しが始まっています。

SDGs自体の良し悪しは別にして、このままの状況は決して良い結果に結びつかないという焦燥感を共有されつつあると言えるでしょう。
環境問題だけでなく、人の精神の歪みや生き詰まりによる凶悪犯罪の発生、その裏側にある貧困なども問題視すべきことは沢山あります。

しかし、その取り組みは果たして成功していると言えるのでしょうか。
制度や法律などで人の行動を制限する動きがあるものの、それでは根本的な解決にはなりません。
何故ならば、結局、私たちの営みは元々ある精神状態に起因するからです。

つまり、分かりやすく言えば、エゴを改めなければ、外部を変えても本質的には変わっていかない。
だから、本質的に人類社会の脅威を退けたいならば、私たちは自身のエゴと向き合う必要があるのです。

そうでないと結局、制度の穴をすり抜けたり、本質じゃないことに余計なエネルギーを使い、むしろ人類社会への脅威が増すことにもつながります。

エゴの問題を解決するには一人ひとりの瞑想が必要です。
別の言い方をすれば一人ひとりが理性的になり、自分と向き合う必要があるということです。
幸い、瞑想をしても環境破壊は起こりません。

CO2が排出されることもなければ、余計な自然破壊が起こることもありません。むしろ、余計なエゴの暴走が抑えられて、人に優しくできるゆとりすらも生まれます。
ローコストでハイパフォーマンス。

これが瞑想の良いところです。
瞑想は人にも地球にも優しいと言えるでしょう。

結局、やりたいことは優しい社会の実現


瞑想の輪を広めたい。
このテーマでお話ししてきました。
しかし、本当に私が願っていることは単に瞑想を流行させたいということではありません。

ひとり一人が自分と向き合うことで、心が救われる人が増えて欲しい。
その想いが一番にあります。
その結果として、心が救われる人が一人でも増えていけば、きっと優しい社会が実現するのではないか?と愚考しているのです。

優しい社会を実現しよう!というスローガンを掲げることは容易いことでしょう。
しかし、具体的にどうするのか。
その道筋は沢山あると思います。

私はその道筋の中の一つとして瞑想というものに着目しています。
もっと瞑想人口が増えて、人々のマインドが良い方向に向かえば、私たちは社会をより優しく肝要な状況に向かわせることが出来る。
そう信じて、瞑想の輪を広げる活動をしています。

まだまだ、粗削りなプランです。
このようなことを書いても一笑に付されるかも知れません。
しかし、何事も始めなければ変わることはないでしょう。
だから、笑われても一歩ずつ前に進んでみたいと思います。

私には息子が一人います。
まだ、小学生です。これからの社会を生きていかなければならない人間です。
親の私はいつかあの世へ帰っていきます。

その時には優しい社会を手渡してからにしたいと願っているのです。
もちろん、私の息子以外にもこれからの人たちのために優しい社会を残したい。
そう思っています。

拙い文章にはなりましたが、私の活動の目的について書かせて頂きました。

最後までお読み頂きましてありがとうございました!

心庵まもる



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