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ロシアを呪い殺す「青銅の騎士」

2022/04/01 Newleader

ネヴァ河のほとりにそそり立つその人は

 ……
 柵めぐらした巌の上の高みには
 片手を前にさしのべて
 青銅の馬に跨る像があった。
 ……
 微動だにしなかったあの人物を
 みずからの運命的な意志によって
 海のほとりに市を築いたあの人物を
 ……
 立ちこめる靄をすかしてほの見えるその像の怖ろしさよ!
 額の上に現われた、なんたる思考!
 身内にひそむ、なんたる力!
 あの馬の躯にみなぎる、なんたる熱気!
 おごれる馬よ、どこへおまえは飛んで行くのか?
 どこに蹄をとめるのか
 おお、運命や威力ある支配者よ!
 おんみこそ、ロシアの国を、あの馬さながら
 深淵の際、目くるめく高みの上に、後脚で立たせたのではなかったか?
 ……
 木村彰一訳

 ロシアの国民的詩人、アレクサンドル・プーシキンの「青銅の騎士」の一節です。

 サンクトペテルブルク、ネヴァ河畔に立つロシア皇帝ピョートル1世(1692~1725年)の騎馬像。エカチェリーナ2世が建立した、このモニュメントは「私は愛する、ピョートルの創れるものよ。私は愛する、おまえのきびしい整斉の容を」と、この詩人が称えたピョートルの都とシンボルとして、その帝国の記憶として、今も人々を睥睨し続けています。

 「ロシア帝国」はピョートルが作り出しました。当時のバルト海の覇者はスウェーデン。その国王カール12世が引き起こした拡張戦争「大北方戦争」(1700~1721年)で、ピュートルのロシアは初頭から攻め込まれますが、焦土作戦で相手を疲弊させ、カールがウクライナのコサックを頼って南下するのを追撃し、現在のウクライナの地、キエフの南東にあるポルタヴァで打ち破ります。

 この大戦の後、ロシアはバルト海諸国を併合し、ポーランド=リトアニア共和国(連合君主国、ウクライナ・コサックも含まれる)を保護下に置き、自身は帝国を名乗ります。

 長くモンゴル系帝国の被支配国であった東の辺境国ロシアは、初めて他者を支配する側に回ります。バルト海への出口にペテルブルクを建設したのもこの時期です。

プーチンの「帝国主義」戦争

 現在のロシアの支配者、ウラジーミル・プーチン大統領は、この町に生まれ、育ちました。

 そのプーチン氏が惹き起こした今回のウクライナ軍事侵攻、仮にウクライナ全土制圧に成功したとして、それが何になったというのでしょうか。状況は開戦前より圧倒的に悪化します。プーチン氏が、かねてより冷戦後の安全保障体制でロシアが不当に扱われていると、不満を口にしていることはよく知られています。たしかに問題の本質はここにあります。西側は核ミサイル戦力の均衡など安全保障体制の基盤のところで、ロシアが不利になる行動を取ってきました。NATO加盟国拡大が起こるのもこの不均衡が原因とロシアは捉えていました。

 しかし、さすがにアメリカも最近は反省し、トランプ氏が離脱したINF全廃条約には復帰、新STARTも継続し、米ロ首脳会談でロシアの戦略的懸念への対応、さらにはウクライナNATO加盟の棚上げなどがバイデン氏の口から出ました。本線の安全保障環境の修復に相手が乗った以上、それをぶち壊す行為に何の合理性も見いだせません。ただ単にウクライナの現政権を懲罰したいがため、首都の徹底破壊も、西側への核恫喝も辞さないとしか考えられませんし、西側はそう見ています。

 ではなぜ懲罰するのでしょう。プーチン氏は大統領就任の前年、1999年、首相としてマニュフェストを公表します。その中で、「ロシアの人々にとって、強力な国家とは立ち向かうべき敵ではない。その逆に、強力な国家は秩序を保障する源であり、あらゆる変革を開始する主な原動力でもある……社会は国家の指導力や統率力の回復を望んでいる」と国家主義的な指向を明確にします。

 問題は、この中の「ロシアの人々」とは誰を指しているかです。ロシア研究家ではこれは「ルースキー・ミール(ロシア世界)」と理解されています。ロシア語、ロシア正教会などロシア文化を共有する人々の住む世界、それがプーチン氏の「ロシア」です。

 侵攻後のロシア側のプロパガンダの中にも「ロシアの全体性を回復するため」というロジックが散見されます。そこを脱してNATOに向かうというのは、安全保障問題を超えた、国家的価値観への反逆と捉えられているようです。

 しかしウクライナの大半は、民族的にはルーシー人の本家ですが、コサックという独自の社会基盤が源流で、ロシアの膝下に下るまで、ポーランド=リトアニア共和国の構成員。かつて同じ国だったポーランドやバルト3国がNATOに加盟した以上、自らの立ち位置をそこに求めたいと思う国民が多数なのは人情というものでしょう。

 ウクライナが懲罰対象になった以上、プーチン氏のロシア世界とはピョートルの帝国と重なり合って見えてきます。ロマノフ朝ツアーリズム、マルクス・レーニン主義といった帝国原理が去った後も、ロシアはまだ帝国として行動することが明らかになったのです。

 当然、核の均衡を続けるアメリカや陸続きのヨーロッパをはじめ、世界は脅威として身構えます。ドイツは事実上の再軍備に向かい、スウェーデンは、ウイーン体制以来の中立政策を転換しようとしています。冷戦後のロシア復興の基盤となったヨーロッパへの天然ガス輸出は、先細りとなるでしょう。金融制裁は98年以上の財務危機、通貨危機をもたらしかねません。冷戦時代は閉鎖経済とは言え、まだCOMECONといった独自の経済圏を持っていましたが、いまロシアは世界経済にリンクしなければ生きていけないのです。

 核恐喝を繰り返しても、ロシア「帝国」の体制が変わらない限り包囲・制裁は変わりません。結局、中国しか頼る先はないでしょうが、それでは北朝鮮と同じ構図です。

 プーシキンの「青銅の騎士」では、ペテルブルクの大洪水で恋人を失い、気が狂ってしまった青年の話が語られます。青年は怒りの矛先を騎馬像に向け悪罵を投げかけます。しかし、騎馬像は青年をにらみ返し、そして動き出して、追いかけ回します。翌朝、ネヴァ河の岸辺に青年の亡骸が打ち上げられます。

 私には、青銅の騎士に追い回される、この主人公の青年が、ピョートルが生み出した帝国の幻想に振り回される今のロシアそのものに思えてなりません。

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