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出産備忘録②〜本陣痛から出産〜

※今回はかなりの長文であること、備忘録のために比較的リアルな描写があります。(痛みとか措置とか) 読まれる場合は、少しの覚悟をお持ちください。(大げさ)

前回、計画入院について備忘録①を投稿した。
後半部分が刺激的な内容となっているため、一部有料とさせていただいているが、話の流れはこうである。

計画入院→診察→子宮口が全然開いていない→開く措置→破水・・・?

夜中にシーツが少し湿るくらい何かが漏れてきたので、破水かしら?と助産師さんに確認を取ってもらっていたものの、することもなく着替えて再び入眠。

LDRへ移動

6:00 目を覚ますと、助産師さんがまさに今、私を起こそうと肩に手をかける直前だった。起きた時に、目の前に誰かが立っていたのには、声は出なかったものの大変驚いた。

「荷物をまとめてLDRへ移動しましょう。」と声をかけられ、他の方の迷惑にならないよう極力静かに移動を開始。案内されるままにLDRへ向かう。

LDRとは、Labor Delivery Recovery(陣痛 出産 回復)の略。陣痛から出産、その後の回復を同じ部屋で行える。

入院していた病院では、LDRでの出産しか選択肢がなかった。実際に出産を経験して思ったのは、産まれる直前の辛い陣痛の時に、自力で分娩台まで移動をしましょうと言われるのはなかなかに酷だということだ。その点、同じ部屋で1〜10まで済んでしまうのは大変ありがたかった。もし、また出産をすることがあれば、LDRで出産したい。

いざLDRへ入って驚いたのが、部屋の広さである。シャワー、トイレ、洗面台、クローゼットが完備され、12畳くらいか。立ち会いをする際に、家族が使うのであろうソファも窓際に置いてあったのだが、コロナ禍では座ってくれる人もおらず、もてあます。

6:30 病院が用意してくれた入院セットの中にある服に着替え、持参した飲み物やゼリーをベッド近くのテレビ台の上に配置。スマホの充電器を差して、いざベッドの上へ。

色々と準備をしにやってきた助産師さんから、昨日の夜中のは破水ではなく、ラミナリア措置をした際の生理食塩水ですね、と説明を受けて、少しだけガッカリ。破水は水風船が割れるみたいな感覚に近いイメージです、と言われる。

6:45 再びNSTを開始。相変わらず、お腹の中で元気な様子。心拍も150〜160台で安定していた。はよ出てこ〜い。お腹の張りも少しでてきているのをモニターの数値で確認。

7:40 ラミナリアを回収。朝早くから辛かった。診察台と違い、ベッドの上では自分で足を開いておかなあかんけど、痛いから自然と閉じていくようで、最終的には両脇から二人の助産師さんに足を固定される始末。笑
とりあえずロングブレスで筋肉の緩和に努めてなんとかクリア。おかげさまで、子宮口も3cmまで開いたので、予定通り誘発剤投与の開始可能とのこと。

8:00 朝食。NSTのベルトをお腹に巻いたままで、時折お腹が張るものの、軽い生理痛程度なので気にせず完食。お腹の張り具合の数値が100(MAX)を指していたこともあるらしく、飛んできた助産師さんに驚かれる。笑
食事を終え、歯磨きとトイレを済ませるが、機械をまいたままトイレをするのが結構大変だった。

8:40 トイレの後、NSTのモニターの機械がお腹からずれてしまったので、ナースコールをしようとしたのだが、ナースコールをするリモコンをベッドの隙間に落とすというミス!悪戦苦闘している間に、様子を見に来た助産師さんに直してもらい、血圧測定。準備ができ次第、点滴の投与をしますね、と言われる。

陣痛誘発剤投与開始

9:37 誘発剤の点滴投与開始。開始してすぐに陣痛が来るわけでもないので、しばらく様子を見ながら、モニターとにらめっこ。今朝担当してくれていた助産師さんが、夜勤が明ける前に声をかけに来てくださり嬉しかった。

10:20 特にすることもないので、テレビを適当につけラジオ代わりに。モニターの数値が7分間隔くらいで100を指すようになるが、お腹張ってるなあ程度で痛みはほとんど無し。家族へのLINEには「生理痛の方が比じゃないくらい辛いわ〜笑」と送ってあった。

私は生理痛が非常に重たい部類に入る。お腹が痛くて動けない、なんてのは毎月で、3ヶ月に1度くらいのペースでゾンビ化するほどである。貧血、嘔吐、冷や汗、腹痛、腰痛が一気に襲う。鎮痛剤すら受け付けない時もあるので、ひたすら痛みに耐えながら気絶するように眠る。これに比べれば、7分間隔でお腹が少し張り、子宮が少しキュッと縮むくらいなんら問題がなかった。(このあと、全然平気〜と言っていた自分を少しだけ恨むことになる。)

どこかでNSTのモニターを見ているのだろうか、定期的に100を叩き出す度に、助産師さんが様子を見に来てくださるのだが、ベッドの上でケロッとしている私を見ては毎回驚いていらっしゃったのを覚えている。(私の他にもLDRで出産を控えている妊婦さんがいるようで、お互い付きっきりという訳にはいかず、行ったり来たりをされていた。)

12:30 お昼ごはん。この日のお昼はカレーライスだった。この頃にはお腹の張りが3分間隔になるが、痛みの強さが足りないので、引き続き誘発剤の点滴投与を継続。耐えながらもお昼ごはんを完食するも、この頃には鎮痛剤ほしいな、、、と思う生理痛レベルまで痛くなっていた。

(3分間隔でこれくらいの痛みなら、産まれるまでなんとか耐えられそう。)と思いつつ、歯を磨いて横になる。定期的に縮む子宮。その度にギュ〜っという痛みに「ううっっ」と小さく声を漏らして耐える。

本陣痛スタート

13:00 モニターの数値と私の様子を見て、助産師さんが「12:30、本陣痛スタートね。」と伝えに来てくださった。「本陣痛スタートやて。今日、産まれるんかなあ。痛い。」と家族に連絡。ここから痛すぎてスマホを触る余裕がなくなった。この文章を最後に連絡が途絶えたため、めちゃくちゃ心配していたと後日聞いた。そりゃそうか。

※私のメモは本陣痛スタートを最後に途絶えているため、ここからは記憶をたどって書いていく。

痛みが襲ってくるタイミングを掴むため、体をモニター側に向けて寝る。数値が徐々に大きくなるに連れて張りも強くなるため、タイミングを見極めてロングブレス。全集中。数値が小さくなるのを確認し、全身の緊張をとく。これをひたすら繰り返す。正直、何分間隔とか測る余裕はなく、あの時何分間隔だったのだろうか、と時々思う。

立ち会いする家族もおらず、一人で痛みと格闘。ただ、立ち会ってもらっていたとしても、「どうこうして欲しい」なんて指示をする余裕もなかっただろうから、多分一人で闘っていると思う。

陣痛の間隔が短い時間が続いていたので、助産師さんも比較的長い時間を部屋で過ごしてくださり、お腹が張る度に腰をさすってくれたり、お尻にテニスボールを押し当ててくださった。私自身、どこが痛いのか、どうしたら痛みが緩和するのかを言語化できない中で、的確にポイントを付いてくださるのには感動した。余裕のない中で家族に伝えるのは至難の業かもしれない。

痛みに耐えるために息を吐くので、喉が渇く。最初は、助産師さんに「飲み物をください・・・」と陣痛の合間にお願いをして口元に持ってきてもらっていたのだが、長く過ごすことで不思議と阿吽の呼吸が出来上がり、後半は口を開けたら飲み物をくださっていた。まさに赤ん坊である。笑

夕食が運ばれてきたが、座って食べる余裕がないので、申し訳無さを感じつつ、膳を下げてもらう。それでも、少しでもエネルギーを補給せねばと思い、事前にアクエリアス2本と麦茶を1本購入していたが、持参したゼリーを含めそれぞれ1本ずつ早い段階で飲み干してしまう。食事を摂れていないので、アクエリアスを飲んだ後の血糖値は急上昇。そのおかげでインスリンを投与される。笑

注射嫌いの私だが、注射の痛みなんてほとんど感じないくらい陣痛が辛い。おまけにまな板の上の鯉状態なので、腕を差し出せば手際よく措置が行われる。ありがたや。血糖値の急上昇を避けるべく、「飲み物をお茶にしましょう!」と提案されたが、ストックがない。(立ち会いなしで恐れていた状況や。と呑気な私。) 財布の場所を伝えたら、助産師さんが110円を握りしめ、自動販売機へ買いに行ってくださった。お手数をおかけしました。

痛みに耐え、水分補給をし、痛みに耐え、子宮口の開き具合を内診で確認する。内診はモニターの数値が100を指すタイミングで行われるため、二重に辛い。お腹が痛くて縮こまりたいのを我慢し、仰向けにならなければいけないし、足を自ら開かなくてはならないのだが、至難の業である。初期のエコー検査やラミナリア措置、内診の度に「これよりでっかい我が子が産まれてくる。」と脳内で言い聞かせて乗り越えてきた。出産って想像していたよりもずっと行程が複雑で大変だった。

陣痛の間隔、痛みの割に子宮口の開きは遅く、かつ我が子はお腹の上の方でぷよぷよしているらしく、一度誘発剤の投与を停止することになった。食事を摂れていないので、点滴を栄養分に切り替え、日付が代わる前に夫にだけ「今日は無理たま」と送信した。(今日は無理だ、と送信したつもりが誤字。) 普段、夫の誤字脱字を指摘することが多い私が誤字をしていたのを見て、夫から立て続けに心配のLINEがきていたが、送信してすぐにスマホを手放したので、出産するまでメッセージを放置。余計に家族を心配させることになるのである。

誘発剤の投与を停止したことで、陣痛の間隔が少しだけあいた。緩和の時間が今までより少し長く取れることで、痛いのは痛いのだが、合間に助産師さんと会話することもできた。深夜に流れていたNHKのニュースで、台風9号の進路について言及しているのを聞きながら、「低気圧の影響が大きい日の前後は出産する人が増えたりするのよねえ。」という迷信の話を聞いたのを覚えている。大きな台風だったので、深夜の2時、3時と台風の状況を伝えるアナウンサーの声を聞いて、時刻を把握していた。

朝6時から起きているところに気が休まらない時間が続いているので、かなりの疲労が溜まっており、陣痛の合間に気を失うように眠りにつきかけては痛みで目を覚ますを繰り返す。少しずつ眠れなくなり、痛い時間を一人で過ごすのが辛く、ナースコールを押して助けを求めた。夜勤で行ったり来たりを繰り返している助産師さんを見ていたら、ナースコールを押すのを躊躇ってしまうのだが、押さねば助けを呼べないので勇気を振り絞りポチッと。腰をさすってもらったりしながら、耐えては耐え、耐えては耐えを繰り返す。

少しずつではあるが確実に出産のために体の変化は進み、子宮口も5cmほど開いたところで「赤ちゃんの向きを変えるために、うつ伏せになってみましょう。」と提案された。まさか、長い間できなかったうつ伏せをこのタイミングですることになるとは想像もしていなかったと同時に、こんな大きなお腹でどうやってうつ伏せになるんだろうか、と思っていたら、直径が両手を開いたくらいあるビーズクッションが登場。重力を駆使して胎内の赤ちゃんの向きを変えながら、昔の人はどうやって出産を乗り越えてきたのだろうか、と不思議でしょうがなかった。

頭を触れるくらいには、少しずつ下に降りてきているようで、苦しんでいるのも無駄ではないんだ、と言い聞かせて引き続き痛みに耐える。

記憶が曖昧なのだが、この前後で人工破膜を行われた。「パアアアンッ!」と水風船が弾けたみたいな大きな音と共に、ダバーーーと生温かい羊水が大量に流れてきて非常に驚いたのを覚えている。この破水が家で居る時に起こったら軽いパニックを起こしそうだ。

本陣痛2日目に突入

早朝、点滴を誘発剤に切り替えたことで、再び短い間隔で陣痛が襲ってくる。夕食に続き、朝食も食べられそうになかったので膳を下げてもらう。昨日のお昼から飲み物以外を口にしておらず、「頑張ってエネルギーを取りましょう。」と、持参した記憶のないカロリーメイトのゼリーを少し口に流し込んでもらった。このときのゼリーは、病院で用意してくれる軽食の一部だったことが後から分かったのだが、冷えていて汗ばむ体には非常にありがたかった。

朝、尿意を感じたため、陣痛の合間を狙ってベッドから降りてトイレへ向かったのだが、いざ便器に座るとトイレの仕方が分からなくて困惑した。尿意はあるのだが、出ないという不思議な感覚だ。お腹が大きいし、ベッドが高いので、戻るのも一苦労なのだが、仕方がないのでトイレを後にする。膀胱と腸が膨らんでいると、子宮を圧迫してしまうので、なるべく空っぽにできたほうがいいと説明を受け、覚悟を決めてカテーテルにて尿意を解消。これがまたまた予想外の措置で痛かった。(涙)

看護学生さんの見学

9時頃だっただろうか、夜通し担当してくださった助産師さんと交代で入ってきたのは、ベテランっぽい助産師さんが2人と看護学生さん。「痛いところすみません!実習中の学生なんですが、お手伝いさせていただいてもいいですか?」と助産師さんに声をかけられる。自身の妊娠中、助産師の友人に助けてもらったこと、私が産まれる時も母の出産に看護学生の方が立ち会ったことを思い出し、二つ返事で快諾した。

「ありがとうございます!重ねて申し訳ないのだけれど、この同意書にサインをいただけますか?」と、学生さんが立ち会うに当たっての同意書を提示される。「汚くてすみません。」と横になりながら、到底読めない自分のサインをした。産後に原本をいただいたが、ひどく汚い字で思わず笑ってしまった。

ロングブレスで痛みに耐えるのを見た助産師さんが、「そろそろ短い呼吸に切り替えましょう。」と新たな呼吸のリズムを教えてくださった。

ふっふっふっ、ふっふっふっ、と教わったリズムで息を吐く度に、学生さんが一緒にリズムを取りながら、モニターの数字をみつつ、「そろそろ力を抜いて大丈夫ですよ。」など痛みの引くタイミングで声をかけ続けてくださったのが非常にありがたかった。後半は、痛すぎてモニターの数値を見る余裕すらなくなる時間が時々発生する。

12時頃、やっぱりご飯は食べられず膳を下げてもらうが、少しでもエネルギーをということでデザートのぶどうを口に運んでもらう。これも冷たくて美味しかった。少しずつお産が進み、赤ちゃんの頭をしっかり触れるようになってきたと言われて、夜中のうつ伏せが効いたのか、と頑張りが無駄ではないことに安堵。学生さんの勉強のために内診をする人数が増えたが、私で役に立つなら、と踏ん張る。

痛みが強くなってくると、受け答えすらしんどくなってくるので、モニターの数字を見ては耐え、休み、耐え、休みを繰り返して (おそらく) 1時間半くらい経った頃、内診の結果、そろそろ産まれてくるのか、急にバタバタと周囲が慌ただしくなってきた。「先生呼んできます。」と助産師さんが部屋を出ていくのを横目に、教わったリズムで息を吐き続ける。

いよいよイキむ

(出産時刻から逆算して)14時頃、お医者さんが到着。寝ていたベッドが分娩台へと早変わりして、足がパカーンと開かれる。両脇に力を込めるためのバーが出てくるので、ギュッと握る。まだいきんでは行けないので、ひたすら我慢。この時間が辛かった。

破水をしてから少し時間が経っていたことと、イキむ前に赤ちゃんの心拍が少し下がったこともあり、酸素マスクをつけられる。酸素マスクからは、ダース・ベイダーの如くシュコー、シュコーと音を立ててひたすら酸素が送られてきて苦しかった。過呼吸ってこういうことなのかもしれない、とか考えながら息苦しいのに耐える。

「よし!イキんでいいよ!」とGOサインが出されたので、陣痛にあわせて「ふ〜〜〜〜〜〜〜んっ」と力を込めて押し出す。痛みが引いたら休憩。「声を出すと力が逃げるから声は出さないで!」と助産師さんも必死である。事前に本で学んだことと、妹に念を押されたことを思い出し、目を開けて、お腹を見るように背中を丸め、力を入れる。
※妹と一緒に本を読んでいたので、LINEで改めて念を押されていただけで、彼女自身は出産の経験はない。笑

褒められて伸びるタイプなので、「上手、上手。」と褒められ、返事をする余裕はないものの内心やる気がアップ。ここまでくると、赤ちゃんが外に出ようとしてくるのが自分でもはっきり分かってくる。

イキみ出して、3回目。陣痛にあわせて目を見開いた時に、最初からいた助産師さんや先生に加え、男性スタッフが数名と助産師さんが1名増えていて驚く。が、ここまできたら不思議なものでなんの恥じらいもない。というか、四の五の言ってられないので、産み出すことに集中。

「最後、少しだけ会陰切開しますね。」と言われ、局部麻酔でチクッとした後、全然知らない間にチョキンとされていた。事前に会陰切開について少し調べたりしていたので、宣言された時は「いよいよか!」と思ったが、産みのプロがその判断をしたのなら委ねようと覚悟を決めた。直前は痛いこと尽くしだったので会陰切開の瞬間の痛みは全く覚えていない。

会陰切開とは、赤ちゃんを出やすくするために分娩台で会陰部を産婦人科医がはさみで2~3cm切り広げる処置のこと。会陰の裂傷を予防して、分娩時間を短縮し、母体と赤ちゃんの安全を確保する目的がある。

娘、誕生

14:33 回数にしておよそ4回ほどイキんだところで、スンッと誕生。一気に体が緊張から開放されて、ふーっと自分の体重を感じた。産声を聞いた後、26時間の長い道のりを終えて、「やっと終わった〜」が最初に出た言葉だった。笑

つづく






「note」を書くための糖分に変わります。