夏の麻布十番を撮り、続くものを考える。

画像1 六本木の蔦谷スタバにて。人間とは何だろうと生命の話から、人体を構成する「量子論」の沼に足を踏み入れている。今日は量子論とかの話から、「連続性/非連続性」「持続可能性」とか、どんなものがこの先残り続いていくのか考えながら写真を撮っていました。コロナ対策ボードがメッセージボードに。
画像2 丸い木の天井と配管。木と人工物は意外と合うのかな?
画像3 空間が丸い。直線が少なく、平行した直線が1つもない。奥が見えないから楽しい。
画像4 空間だけでなく、置いてある本にも多分、結構こだわっている。六本木は外人労働者も多いから洋書もかなり多い。
画像5 空間から置いてある本やそのジャンルまで面白い。いい体験価値。
画像6 逆に欠点を探して考えた方が、何かの気づきになりそう。自分のこだわりとか内観にも繋がる。
画像7 未来とは。想像する未来から考え直す未来。
画像8 けやき坂には夏の緑と音が溢れている。
画像9 精気を感じない建物。大通りなのに意外とあるんだ。
画像10 高級住宅街に小学校があるんだよね。日本は切り分けていない、ごっちゃな空間。そして意外と古い物が多い。
画像11 古美術。人気でなくとも価値が続いていくもの、残るもの。価値があると思ってもらえるのが本質なのかもしれない。本質とは。何だろう、自然とかに繋がっていそう。飛躍してはいるが一元論思考なので、そうなってしまう。
画像12 高級住宅街へと続く坂。この上に住める人は社会に貢献されている人なのかもしれないし、とりあえず頑張っているのかな。ここには平均居住年数はどのくらいだろう。
画像13 お、麻布に昔ながらのお店があるのかと驚き。元祖100円ショップ?
画像14 新旧100円ショップ。元祖には新しいものに持っていない価値を持っているから残っているのかな。それともよく出来たシステムがあるのか。
画像15 年明けくらいに家事があったお店、意外とまだ残っていたのか。渋谷とかだったらすぐに入れ替わっていそうだけど。
画像16 新しいものあるけど、それより過去からの価値が残り続けている気がした。街の穏やかさとか入れ替わりの速度とかは、何か街の遺伝子や性格があるかの様に感じる。渋谷と比較してもそう思う。何が違いを生み出すのか。
画像17 帰路にあった広場、空間。ただの広い場所だと思っていたが、人が集まっている事に何か感動。生活とか街に根付く事で、価値ある場になる。質の良さよりいかに人が集まる導線を作れるのかがポイントなのかな?
画像18 親子のコミュニケーションがこの新しい?スケートボードで作られている。
画像19 セミをあみで捕まえる。久々に見て、なんか嬉しい。
画像20 セミがいる事で夏を感じられる。今年は鳴き始めが遅かった様な気もする。未来もこの夏の音があるのか。セミは金魚鉢の金魚と違って、大きな声で鳴いたり、捕まえられたり、死んだかと思ったらいきなり動くから、人間にとって体験価値があると思っている。スピーカーとかデジタルに変換されない、されてはいけないものだと個人的に思っている。
画像21 暦では秋を迎えてはいるが、社会人になるとなんか季節がよく分からなくなってきている。街の雰囲気とかから季節を感じている。移り変わる季節や時代の中で何が残り続けるのか。テクノロジーに変換されてたものは何を変換したのか、そこに続いていく本質が残っていそう。目に見えない量子論的な「連続性/非連続性」と目の前の続いて残るものの違いを考えて、今と違う未来に何が必要で大事なのか考え続ける。

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