見出し画像

新たな人間社会を作る / #読書雑記

毎週日曜日に更新していく読書雑記です。
文章から言葉を拾って考えたり、内容から物事を考えてみたりした発見・学びや、文章と自分の間で生まれる感情など、諸々です。

▶︎ 今日の一冊 / デジタルネイチャー

落合陽一氏の著書。
デジタルネイチャーとは、スマホなど含めた目の前に多く存在するユビキタスコンピューティングという常にインターネットに接続され、持ち運べる様な存在があり、自分たちの目の前に何気なくあるために、コンピュータの存在を意識する事なく、自然と同じ様に見られ、今まで自然と人工は対極の存在だった境界線が溶ける事で作られる、新たな自然の事である。

これによって時代を新しく作るという「脱近代化」を図っていこうとしている。
今まで近代は効率化・大量生産や人間・社会・国家など時代を形作り、大きな変化をもたらした。今この近代の耐用年数を迎えており、これらの価値観は今、更新される時代にきた。
生産の個別化や体験の自動化・三次元化など、均一化・均質化を行っていた時代からテクノロジーの発展により、多様さを担保しつつも、効率さを求められる時代へと変化しつつある。

そんな自然ー人工、人間ー機械の境界線が溶け、テクノロジーで担保された多様、効率、公平によって、全体最適化された時代が来ると書かれてある。

▶︎ ピックアップ

人間を数理的に捉えるウィナーのサイバネティクスと、あらゆるモノにコンピューター性を付与するワイザーのユビキタス。本書で提唱しているの「デジタルネイチャー」はこの2つの概念を継承した計算機分野の思想だ。p,87

このデジタルネイチャーは突然出てきた考えではなく、過去のコンピューターを更新させてきた人々などが考えた思想を元に、出てきたため結構な納得感がある。
インターネットによる人間の拡張と、IOTによる環境進化によって、今まで対立構造にあった人間ー機械などを含めた分断されていたモノは、インターネットが持つ「双方向的に繋がる」事によって、全てが一体化になる世界を彼は過去に提唱された思想から、繋げて考えている。

インターネットは別空間として生まれてきたはずなのに、いつからか実態社会にまで影響を及ぼしているのを考えると、人間はインターネットを育てるために存在してる様に思えてくる。

僕が主宰する「デジタルネイチャー研究室」では、テクノロジーの発明に伴うアート表現やデザインの領域まで含めたアプリケーションドリブンの学際的な研究を行っている。p,225

この章のタイトルである「思考の立脚点としてのアート、そしてテクノロジー」と副題として、”未来を予測する最適の方法としての”とあるが、
ハイコンテクストな内容を読んでいると、彼は何か全て見えているかの様に感じるが、この章やタイトルからそうではないと思えるからこそ、神ではなく人間だと認識できる。

今まで物を良く考えてこなかったためアートの意義が分からなかった。
ただ単に何か降ってきた物を表現して評価されている存在だと思っていたが、彼のアートはそうではなさそうだと。
未来を見るために、今のメディア装置のテクノロジーから一歩先の可能性を探りながら、研究やアーティストとして実現させていく事で、それらが社会実装された時を考え、未来を予測していっていると思うと、何事にも立脚点が必要なんだと思えた。

▶︎所感

本書を読むのは2回目ですが過去の見え方と違って、
最近読んだ「インターネット」「ソーシャルメディア進化論「ホモ・デウス」を読んだおかげで、このデジタルネイチャーという思想は、インターネットの本質を元に考えられていて、もしくは非常にマッチしていて、
これらインターネットの発展を書いた本をより具体的に書いた様な印象を受けました。

ここでも書いてある通り、インターネットのテクノロジーによって、多様性が担保されるからこそ、その人に最適な様に物事が個別化される事で、人間が求めている「幸福感」というのも多様に変化すると。

その反面、人間はテクノロジーによって担保されている事を忘れてはいけないと。便利になりリスクを背負う事が減ると、リスクを取れない人間になる。
機械(AI)は常に最適な行動を取る反面、リスクある行動を選択しない傾向にある。
なので現在の人間らしさは「リスクを取れるモチベーションがある」というのではないのかと思った。

ここから見て取れるのは、人間らしさはというものは周りによって決められる。つまり自分らしさも周りによって決められる。
極論、リスクを背負う事に尻込む様になってしまったら、人間らしさを保つのは大変になるのではないのかと思いました。

人間はインターネットを利用し続ける事で、インターネットを育てている様に思う。

いつか子に越される事を願う親は、子に介抱されて死んでいく。

新しい自然が来ると共に、人間は人間である事を強く自覚しないといけない。
地球の寿命から見れば、人間は蛍以下かもしれない、そんな中でも全うし、強く光らなければならない。

そんな副作用を理解しながら、新たな自然が時代の閉塞感を打ち破る事を期待し、1つ先の新しい時代を作り続けていこうと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?