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20代の生き方入門

「20代で、経験すべきことはなんですか?」
20代の生き方を探しています。あらゆる可能性が広がる中で、最適解なるものを見つけられたら、成功の20代を送ることができる。
そんなものはきっと、幻想に過ぎないと思いますが…。


一般的に20代は、希望に満ちています。

23歳男性。とても希望に満ちた響きのようです。
ぼくはといえば、10代の終わりを実感することなく20代に突入しました。10代気分のまま、大学生活も成人式も終えました。「大人になろう」と意気込んでスーツを身にまとったのも束の間、スーツを脱ぎ捨てた今、自らの立場が分からずにいます。もはや、自分は「大人になれないのではないか」。もしかすると、「大人とはこんなものだ」という妥協こそが20代の始まりなのかもしれません。

20代を成人式では感じない。
先日、同級生が仕事を辞めたのでした。はたまた別の友人は、就活がうまくいかずとりあえず地元に帰ると言いました。そんな話を聞いてから、それぞれの環境なんかが違い過ぎて、うかつに「最近どう?」と聞けなくなったような気がしたのです。そんなことが、ぼくが20代を実感した瞬間です。3年の月日が過ぎたものの、抜け切らなかった10代の感覚が、やっと変化を始めました。
希望に満ちたとは言ったものの、いかにも辛く、現実的な幕開けです。
本格的に突入した20代ロード。いまだ実感はありません。

20代をどう生きるべきか。
最近は、そんなことを考えています。ぼくは案外、人生逆計算型で、30代までの人生を自分なりに、アマチュアなりにデザインしています。幾つかのぼんやりとした目標と、実現させたい生活、何より20代のうちに経験したい多くのことがあります。見ての通り、あまりに抽象的なものだから、妄想と同じく膨らむばかりなのです。
家庭的あるいは、宗教的な事情で(そんなものは存在しない)好き勝手やるのは20代のうちと決めています。もちろん、その後の人生も、きっと好き勝手やるでしょうが。何を言いたいかというと、20代のうちに多くを経験し、好きに好き勝手やるだけの力を蓄えていたいと思うのです。

『20代で得た知見』
というタイトルの本を読みました。
30代ロードに突入した作者が20代を振り返り、20代で得た知見なるものを150ほど書き記したもの。作者の伝えたいことを3つの選択肢から選ぶとするならば、①の20代に大切なのは「忘れられない瞬間を、いくつ経験するか」を選ぶでしょう。忘れられない瞬間なるものを幾つ撮り溜められるかが肝心だと、いうのです。

忘れられない瞬間とは何でしょう。
経験。この一言に近いようですが、実のところ正体は誰も分かっていないとも思うのです。

『花束みたいな恋をした』
という映画を観ました。サブカル好きな運命的とも言える大学生2人が、就職し大人へと進むにつれ、少しずつすれ違っていく話。

「エモい」が流行ってます。サブカルの具体的な事象、例えばSMAPの解散という事象が全国民に「エモい」という共通認識を与えるようになったのはいつからでしょう。小説『明け方の若者たち』にも同じようなことを感じました。エモい曲、エモい状況、エモい言葉で外壁を固め、エモいを外的事象で作り上げる。フィクションの妥協だと言われても仕方がない。何より僕たちは、万人に共通するエモいを手にしてしまったのです。そして話を難しくするのは、上記2つの作品をぼく自身が好きなことなのです。

話がずれました。

10代から20代
映画を見終わった後、
作中の2人もきっと、10代の生き方から20代の生き方へとすり変えていったのだと思ったのです。2作に共通しているのは「20代の特別感」のようなもの。
10代でも、30代でもない、20代にしか出来ない恋愛=経験。
誰しもが、それを背負って、その後の人生を生きて行くのだと、読者や視聴者は「エモさ」を痛感して感涙するのでしょう。

20代の経験
重ねて通じているのは、その経験=恋愛が必ずしも褒め称えられるような経験ではないこと。一部のタブーを含み、誰しもが喜んで経験したいとは思わない、危険性や危うさを含んだ経験であること。
危うさを含んだ恋愛、経験であるからこそ、人は羨み、物語として成立する。
それらを「20代の経験」として美化する風潮を、ぼくはどこか許せませんでした。

20代の可能性
ぼくの可能性は無限大だと、錯覚する時があります。
ここでない所へ行けば、あらゆることが出来る。日常で見える視界の外には、あらゆる可能性が広がっている。『明け方の若者たち』ではそれを「人生のマジックアワー」と呼んでいました。人生の下り坂を迎える前の、特別な時間帯だと讃えているようにも感じたのでした。
万人が『エモい』と認識する下北のビレバンでの運命的な出会いや、2人並んで京王線沿いを夜通し歩いて帰宅する経験は、今のところぼくの人生には予定されていません。そんな予定されていない可能性の数々がぼくを誘惑し、目の前の視界から目を背けようとしているのです。

「20代で経験すべきことはなんですか?」

20代の最適解
20代は可能性に満ちている、ようです。
年上の方から「いいね〜若くて」ともてはやされるように
ぼくらはあらゆる場所へ行き、あらゆる経験が出来る。無敵なのかもしません。そんな実態のない可能性が、焦りになります。
あるいは、それは幻想で、ぼくらは無知なだけかもしません。

ぼくは、とある地方にいます。
3作に描かれた東京での日常とは、かけ離れた日常にいます。
東京でのありふれた経験の数々を、羨ましく思う自分も確かにいます。

選び取れる自分でありたい。
この世にありふれた経験の中から、じっくり選んで
大切なものを選んで、自分の力にしていきたい。

まぁ、そんなにうまくもいかないだろうから
焦らず、目の前を大切に向き合っていくことしかできないと
また同じ場所に帰り着くのです。



まみや

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