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明るい場所に集まっていよう〜なぜ演劇をするのかについて


4月から東京へ来ました。
あれほど肌に合わないと思っていた食わず嫌いが、
巡り巡ってこの地で生きる選択をしました。
激ムズすぎる乗り換えと満員電車への恐怖感からなるべく電車には乗らず、アクティブベースなぼくながら週末はなるべく人混みを避けて家とか喫茶店とか劇場にいて、1ヶ月が経った今も少し怯えながら暮らしています。


東京へ来たのは紛れもなく、演劇をするため。
4月から、高円寺にある座・高円寺という公共劇場の「劇場創造アカデミー」なる演劇学校へ通っています。「劇場で生きる」というコンセプトの元、2年間で体系的に演劇を学ぶ場所。演劇の歴史から現代演劇へと受け継がれる流れ、劇場の運営や役割、俳優や演出としての実技面などを幅広く学びます。



どうして演劇をするのか。


自問を続けています。
これから先も、自問し続けていくでしょう。
今の考えを少し書き残しておこうと思います。


演劇は、嘘で包んだ願いである。生産性のない、この活動に大学生活を費やして得た、揺るぎない成果だ。社会に飛び出す直前の2020年2月。国内にも新型コロナの脅威が迫り始める頃、私は所属サークルの卒業公演で、ロロの『はなればなれたち』を上演した。これが私の好きな芝居である。
お遊戯会で木を演じた少女淋しいは「あらゆる風景になって誰かの居心地になりたい」と夢見て、劇団を作る。その願いは、彼女の存在が人体を超え、風景の一部となることで叶えられる。一方、淋しいに一目惚れした水中は劇団員たちとともに、姿を失った彼女を探し続ける。淋しいの記憶をたどる活動は、淋しいの存在を世界に広げることにつながる。物語は、淋しいが自分たちの演劇史をつづった『はなればなれたち』の戯曲を上演する形で進む。ラストシーンで、2人と劇団員たちは物語の中で再会を果たす。
淋しいが目指した演劇とは、あらゆる人の居場所だった。生きづらさを抱えた登場人物は、淋しいを通じて自らの居場所を見つけていく。その隅っこに淋しいは自らの居場所を作った。
私は物語に、自らの人生を重ねた。大学時代、怪我に泣いてラグビーを辞め、挫折の底から演劇を始めた。愛すべき不器用な人たちが個性を持ち寄り、時に衝突しながら舞台を作り上げる。その居心地に救われた。強さだけを求めたかつての自分に、弱さの大切さを教えてくれた。
演劇とは叶わなかった夢を、見ることのできない景色を、もう会えない人との再会を、分かり合うことのない衝突を、その全てを嘘で包んだ願いなのだ。拍手に包まれる役者と舞台の風景に、その美しさを見た。
その後、社会はコロナによって激変し、多くの希望は暗く霞んでしまったように感じる。私は新聞記者を勤め、多くの声を、時に願いを聞いた。同時に願いを形にする難しさを痛感した。人生には、願い続ける居場所と力が必要だ。私は再び、あの風景と願いの先を求めて、劇場へ向かう。


これは「私の好きな芝居」と題し、志願書に添えた作文。字数制限はあれど、ぼくの今の演劇への考えをまっすぐに書いた。大学時代にはじめた演劇は、大袈裟にも少なからず、当時のぼくをすくって、今のぼくをつくっている存在なのだ。


卒業と就職、同時にコロナの始まりを機に、演劇とは離れていった。「演劇がないと生きていけない」などとは思わなかったし、時間があれば休日に数時間車を走らせて、時には夜行バスに乗って演劇を観に行ったりした。全然面白くなかったり、自分には合わないと感じたりすることもあった。
それでも、人が集まって演劇を観て、何かを受け取り、劇場を出て明日へと日常を過ごしていく。
その体験が、コロナ禍も相まって愛おしく大切であるように思えた。


新聞記者を勤めた3年は、愛おしくも辛い日々であった。(この経験は改めて別に書きたいと思うが)
社会が、暗く沈んでいくように感じた。
「ニュースって見ると気分が落ち込むから、なるべく見ないようにしてる」
とある友人が発した言葉にハッとした。
どこかの誰かが傷んだ事件や事故も、議会が決めたぼくらの未来を変える選択も、国のトップが語る言葉も、疲弊したぼくらには「しんどい」情報にしかなり得ない。ぼくだって仕事を終えた夜には、これ以上情報を入れたくないと遮断したりもした。
ジャーナリズムの必要性を語りたいわけではない。それでも社会と真正面に向き合い続けるのは、だいぶしんどいことで、この3年は自分なりに向き合って抗った時間だったのだと振り返って思う。


それは同時に、諦めでもあった。
新聞記者として少なからず、社会を良くしたいという意志を持って取り組んだ。どれだけのことができたかと聞かれると、できなかったことばかりだ。
社会はプレートのようだなんて思う。確かに動いているけれど、目の前に現れるようでもなければ、人の力で操れるものでもない。いつか地震によって大きく思わぬ方向へと動く。人はその上で大きな力に流されるように、いくらか犠牲も負いながら、時に反抗しながら、生きていくしかないのだと。
社会は変えられないなんて言うと、本当、悲劇の主人公気取りなんだけど。
それよりも自分の身の回りの環境を守ることの方が重要に思えた。



いつからか、危機感を抱いていた。
バブルも経済成長期も経験していないぼくらは、かわいそうな世代だと言われたりする。物心が付くに伴って急成長していったネットやIT技術は、果てもなく便利な日常をつくっているけれど、ずっと何かが足りない気がして。見えない何かが成長して大きくなっているのに、目の前には物足りなさが広がっていく。すぐにでも脅かされそうな不安定な影が潜んでいる。
コロナで休業したお店や無くなったお祭りも。成長しないであろう国で細々と暮らしていく使命にある。
下り坂を歩くには下を注意深く見て歩くしかない。
ぼくらの視界は下方に向いているはずなのに、上を見たいという願望が現実から目を背けさせているのかもしれない。そんな空気を感じながら、直視すると暗く霞む未来が見えるようだった。
生きる希望が必要だと思ったし、何よりぼくはそれを欲していた。


ぼくに残された手段は「演劇」だった。
演劇に何が出来るのか。ましてやぼくに何が出来るのか。
ぼくはその答えを探しに来たのだと思う。


やっと本題らしい話へ帰ってきた。
いっつもこんな感じ。自分の思考の順路を追っていくと、本題を書く頃にはもう十分書き切ったようで。
でも、実は本題は大したことがないと思っている。スライドに写したプレゼンみたいな感じがして。
本題にいたった過程にこそ、等身大の自分が写っていると思える。これも大したことはないんだけど。本題と題して大っぴらに語る気恥ずかさがあったりもする。



「迷えることは才能だよ」
恩師からいただいた言葉が、この数年、迷ったときに少し自分自身を励ましてくれる。
こんなぼくなんで迷いながら、やっていくだろう。



「明るい場所に集まっていよう」
同じくロロという劇団の公演で歌われた歌詞の一部。
何やらこれを書き始める時、脳内BGMに流れてきた。
きっとぼくが演劇をやる理由でもあるんだろう。
暗い場所から明るい場所へ、逃げているのかもしれないし、避難したのかもしれない。
前いたとこが暗いのか、移ってきたここが明るいのか。それも不確かで確証なんてどこにもない。
ただ、明るい場所へ向かいたかった。
出来ることなら多くでなくとも、一緒に誰かと集まっていたい。
集まれなくても、あなたのいる場所が明るかったらいいとも少しだけ。
またいつか出来ることなら、そんな明るい場所をつくりたい。



とまあ、こんな感じ。
ようは、2年演劇を学んで、演劇をやります。
在学中はあんまり表立っての活動はできないみたいですが、何か観てもらえる機会には宣伝したいと思います。ぜひ観に来てやってください。
どんなこと経験して考えてんのか気になった方は、ぜひ話しかけてください。



春の陽気に包まれてのほほんとした日々を過ごしています。
2、3ヶ月前の日常を考えると、あまりの差に焦りもするけれど、普段はのほほんと、無数にある人や建物、情報の間を歩いている。
この心地良さに焦ったりもして。
きっとまたすぐに雨が降る季節がやって来て、雨宿りしないといけなくなる。
それまでは呑気に少し足早に、歩いていけたらいいと思います。

2023,5,13





https://on.soundcloud.com/3tDcn9RFFLdX1Egr5

↑明るい場所に集まっていよう
こちら曽我部恵一さんの『父母姉僕弟君』
ロロの同名の舞台で用いられた楽曲です。

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