見出し画像

#コラム 運動の「楽しむ」には3つのレベル~やれることが減っていく~

「ダイエット・筋トレで体型が変わらない理由と対策」:目次

よく、「運動を楽しむ」とか、「楽しんだ者勝ち」などと言うが、本当だろうか?

この解釈を厄介にしているのが、「楽しむ」には、3つのレベルがあるから、と考える。
・競技者が楽しむレベル
・技量向上を楽しむレベル
・参加を楽しむレベル

競技者が楽しむレベル

よくアスリートへのインタビューで、「楽しんでやれました!」的な発言を聞いたことがあるだろう。
これは、練習に練習を重ねて、万全の状態で競技に臨み、その自信から、リラックスして「楽しんで」行えた、という意味だ。
ある種、運動の到達点ともいえる境地だ。

もちろん、トップ・アスリートだけではなく、一般人が試合などで、練習に裏打ちされた自信からのリラックスで、好成績を収めることもあるだろう。
「楽しんだ者勝ち」的な言葉は、これを指す場合も多い。

技量向上を楽しむレベル

できなかったことができるようになる。
これは、運動にとって、大きな楽しみであり、喜びだ。
ある意味、これを求めて、これのために運動している、と言っても過言ではない。
(もちろん、その先の体型などへの結果につながるからでもあるのだが)

僅かな歩みであっても、これを目標とする限り、運動の門戸は、誰にでも開かれるべきだと考える。

参加を楽しむレベル

言葉は悪いが、参加しているだけだ。
自称ベテランに多い。
簡単に言ってしまえば、トレーナーの言葉に耳を貸さない。
正しくないフォームでは、筋力も心肺機能も持久力も技量も向上しない。
しかも、常に故障の可能性がつきまとう。
なので、トレーナーも声かけするのだが、できていないことを認めないか、諦めているので、我流を貫く。

できない人がいれば、トレーナーとしても、技量が必要な動き(例えば衝突の危険がある移動や高度な完成形のヨガのポーズ)を減らさざるを得ない。
課題のレベルが下がれば、大多数の参加者の「向上したい」モチベーションに反し、人数が減る。
そして、トレーナーは選択を迫られる。
プログラムを辞めるか、忖度を止めるかだ。

ここで、上記の「僅かな歩みであっても」向上を目指す人は、課題のレベルが上がっても、ついてくる。
むしろ喜ぶ。
なぜなら、必ず負荷等を下げるダウン・オプションが提示され、それを選択できる、つまり自分の技量を理解できているからこそ、上を目指しているからだ。

そうでなければ、やれることが、減っていく。
運動しているのに、だ。
少なくとも「楽しんだ者勝ち」的な言葉を発しても、勝っていない。

アナタは、運動で何を楽しんでいるだろうか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?