見出し画像

心は震えてる?

ゴッホアライブを見に行きました。
展示終了間近のせいか
大混雑。

インスタでみた写真とは違って
ゴッホの世界に浸る…とはいかず

とはいえ
光と音楽と共に繰り広げられる
ゴッホの世界は
とても綺麗でした。

人、人、人!


ゴッホってこんなに沢山の絵を
描いていたなんて
知らなかったなぁ。

こんなにステキな絵
しかも
人物画に風景画、静物画と
色んな種類の絵を描いてるのに
全然売れなかったんだ…

なんでなんだろう?

前のお家にこの絵のポスター貼ってたの。懐かしい。

彼は
売れなかったこと
お金がないことに苦しみ
弟に迷惑をかけているんじゃないか?と
自責の念に苦しみつつ

でも、
その価値が理解される日が来ることを
待ち焦がれていたのかもしれないなぁ。

いま、世界中でこんなに人気で
ビックリするような高値で
自分の絵が売り買いされていると知ったら
どんな気持ちになるんだろう?

生きてるときに
今みたいな状態だったら
どんな絵を描くんだろう?

自画像のイメージが強かったけど、写真だとちょっと雰囲気違う


私たちが
失敗したなー。とか
嫌われたなー。とか
ダメだなぁー。とか
自分を責めてしまうとき

自分がやったことに
自分の価値をくっつけてしまっています。

この仕事を失敗したわたしは
価値がない。

子育てがうまく行ってないわたしは
価値がない。

大切なあの人に嫌われたわたしは
価値がない。

言葉にならないくらい
無意識に
いつの間にか

わたしってやっぱりダメだ
わたしって価値がないと
わたしは認められないと
思ってしまって
苦しくなってしまうのだけれど

その出来事に
自分の価値をリンクさせなかったら

ただ、
今回その仕事は上手くいかなかったなー。
子どもが学校でトラぶっちゃってるなー。
あの人がわたしのこと嫌だと思ってるんだなー。

ただ、起きただけ。って
フラットに思えるようになる。
引きずらない。

だって
わたし=仕事、収入の額、仕事の内容
わたし=子ども、子どもの学歴、成長
わたし=あの人の機嫌、あの人からの注目度
ではないのだから。

今日、
土砂降りなのが
わたしのせいではないし
土砂降りだからって
わたしの価値が下がったり上がったりしないのと
同じこと。

出来事、あの人、状態=わたし
という、この間違った=を取り消していく。

つまり、気にしないこと、責めないこと。

間違いが訂正される
そして、自分を責めるのをやめると

なんだか分からないけど
上手く行ったりするもの。

描いても描いても
全然売れなかったゴッホの絵

だけど
価値がなかったわけじゃない。

売れないこと
(画家として成功していないこと)で
ゴッホが自分を責めずにいたら
気楽に毎日を過ごしてたんじゃないかな

そしたら
売れてたのかもしれないなぁ。

分からないけれど。

でも
社会的に評価されなくても

それでも絵を描きたくてしょうがなかった
それでも自分の何かを表現せずにはいられなかった

ゴッホの情熱に
時代を超えて私たちは
惹かれているんだろうなぁ。

心の震えは
時間も空間も関係なく届いて
誰かの心を震わせられるって
魔法みたい。


わたしの心を
ゴッホみたいに震わせたいなぁ。
わたしのアーティストは
なにを表現したがってるんだろう?

上手くいかないからって
誰にも認めてもらえないからって
その震えを止めないで
表現するのを躊躇しないで

ゴッホみたいに
情熱に従って表現して
行きたいなぁって思います。

私たちの情熱が
誰かの心をときめかせるのを
世界が待ってるのかもしれませんよね。

あなたの心は震えてる?


ロマンチストで、真理を得た人だったんだろうなぁ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?