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簡単さを受け入れる

「大変ですよ」

これはお父さんの口癖

「そんな簡単にはいかん」
「そんなあまくない」


これはお母さんの口癖

今回、年末年始に帰省したときも
相変わらずこのフレーズを
何度も何度も耳にした。

「そんなことないと思うよ」と言っても

実際、それをやってるご本人が
「いや全然大変じゃないですよ」
「そんな難しくないですよ」と言っても


「いやいや、大変ですよ」とか

「いやいや、そんな簡単にいくはずない。
そんな世の中あまくない。」とか

まるで呪文のように
呟いていた。


きっと、2人にはそれが真実なんだろうなぁ。

そんな風に
俯瞰してみてたつもりだったけど

あれだけ呟かれたら
染み込んでしまっていたらしい。


こちらに帰ってきて
久しぶりに頭が痛くなって
1日寝込んだ。

閉所恐怖症の閉じ込められたような
パニックの感覚もわいてきた。


あ…あの閉塞感…。


一時期はやたらとあったパニックの感覚は
この「大変」とか「難しい」とか「あまくない」とか

どうにもならない。
抜け出せない。

そんな想いが引き起こしてる
体感覚だったんだ。

予想以上に強烈で
数日抜け出せずにいたのだけれど

ふと、この感覚は
私個人的なものではないのかもしれない。
お父さんやお母さんのものでもない。
集団意識的なもの。


そう気づいたとき
ふっと抜けた感覚になった。

「あ、祈ってみよう」と思った

祈ることすら忘れてたことに驚いた。

周波数が違うと
受け取れないって言うのは
本当だなぁ。なんて
思ったりしつつ

「ここから私が学ぶことがあれば
分かりやすく示してください。
ないのであれば
ここから抜け出せるよう
分かりやすく示してください。」と

祈ってみると

外を散歩しているイメージがきたので
ささっと準備をして出かけた。


(ここで準備に時間をかけてしまったり
モタモタしてると
面倒くさくなってやめてしまう。
インスピレーションがきたらすぐに動く。
鮮度が大事)


ネドじゅんさんの
エレベーター呼吸をやりながら
歩いていると

私という個人が
景色に溶けていくような
全体のわたしになっていくような
感覚になってきて

「なんでそんなに大変だとか、難しいとか
そんなに出来ない、無理だと思っていたんだろう?

こんな小さな私に何がわかってると
言うんだろう?

神さまが私を苦しめたりしたいと
思うんだろうか?

私が神さまの流れを止めてるだけ
それが苦しい。それが難しいのかもしれないなぁ。」


そんな風に感覚が
軽やかに変化していった。

帰宅して携帯をみると
こんなメッセージが届いていた

同じタイミングで
エレベーターの呼吸をしてて
ゆるいひらいたパイプの感覚を
感じてたんだ〜と

そのシンクロと気づきに感激。


そういえば彼女は年末
こんなメッセージもくれていた。


「あ、簡単でいい」

そう思った。

簡単さを受け入れる

このフレーズがどーんと身体の中で響いた。


そうだ、そうだ。


こんな簡単なはずはない。


もっと難しいはず
もっと大変なことをしないと
なんて自分でハードルをあげ
難しいように捉えて
出来ない、やれない、難しいって


ごちゃごちゃこねくり回して
立ち止まっていただけなんだ

自分で作っていた閉塞感…苦笑

難しいことがあるとすれば
簡単さを受け入れること。

「で、どうやったらいいの?」と

やり方を考えると
思考の罠にハマってしまう。


気づいたら終わり

あとは
その気づきの起きた感覚で
浮かんできたことをやる。

インスピレーションと行動が
次のステップに連れて行ってくれる。

わたしはずっとやりたかった
3か月の講座をやろうと思う。

毎回スペシャルなことをやろうと
ハードルを上げて
なかなか出来なかったけど

そうじゃない

簡単さを体験してもらおう♪

気づきを得る
意識が変わる

それだけでめっちゃ人生変わるよって
体感してもらおう!

Love&Joy

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