ライナーノーツ【自殺日和】
ライナーノーツ
楽曲 【自殺日和】に寄せて
幼い頃初めて見た死体が自殺体だったと聞かされたのは、もう成人してから随分経った日のことだった。何となく朧気にもやのように覚えているあの光景は、夢ではなかった。田舎の葬式は時に斎場でなく個人宅でやるのが一昔前の普通であった。座敷に敷かれた布団の上に横たわる人間。顔の上には白い布が掛けてあったのであろうか?私はその人の顔も声も思い出せない。子供のいないその人に母はよく私をあずけて買い物なんかに行ったそうだ。母は赤ん坊だった私を一人家に置き去りにし出かけておったそうだが、私が歩けるようになるとそうはいかない。一度なんか三輪車のようなおもちゃの車にまたがり母を探して国道にいたそうだ。母はヒステリックで不器用で子供のような人だった。人と仲良くなるのが得意で知り合いも沢山いて、近所付合いもよくこなしおまけに新興宗教の会員だった。あずけられる事よりも置き去りにされる事が多かったと記憶しているが、あの自殺体になった人の顔は思い出せないのにその庭になっていたあけびの味はよく思い出せるのだ。
一日に夥しい数の人間が自殺しておる世の中である。死が特別な事ではないのに、自殺を語ると人は怪訝な顔をしたり、よく解ってもおらずに否定したりする。自殺する人間の理由は人それぞれであろう。回避できた死もあるかもしれない。時に衝動による突発的自殺は死にたくない人間の命をアクシデント的に奪ってしまう。死は特別ではないが、その個別の生は凄く貴重である。
私がまだ死のうとしていた頃、死は魅力的で美しく危険なにおいがした。ぐずで間抜けな私の命など塵のように意味のないものだった。死が私を包み込むように、私も死を崇めた。8歳の私は自殺なんてことを知らなかったけど、小さな世界が地獄でその場所では自分が惨めだという事を知っていた。家にも学校にも居場所はなかった。あったのは空想の世界。ずっと頭が空っぽだった。小学二年生のころの記憶がほとんど抜け落ちている。救いだったのは私が自殺を知らなかった事と、私の小さな頭と精神が私を必死に守ってくれたこと。
でも思春期、私は自殺する人間が世の中にいることを知った。その時の私が死ぬ理由は全く馬鹿なものだった。いじめによる抗議の自殺。いじめられ続けている私は何か欠陥があるのだろうか?子供たちの世界はすごく狭い。そしてその世界がすべてなのだ。いじめによる自殺を私は食い止められるものだと思っている。死ななくてもいい。被害者が死んで抗議する必要なんてどこにもない。周りが動けば刑事事件にすることだってできる。被害者が死んだとしても、加害者はのうのうと生きていくもの。死んで抗議なんてするよりも、私は逃げていいと思う。私をいじめていた殆どの人間がのうのうと幸せに浸っている。私も幸せになれる。誰に見せびらかすでもなく生きているだけでそこには時が刻まれている。
だけど抗議の自殺で死んでしまったあの子たちを憐れんではいない。辛かったのに最後の決断を下してしまうことがどんなに苦しくてやるせなかったか、残された家族や友人を想う繊細な魂。抱え込まずに相談してと人は気軽に言う。私はそれがどんなに無責任な言葉かという事をよく知っている。一番先に相談するであろう母親はヒステリックで恐ろしい存在であったので、私がいじめられていると知ればきっと私を怒るのだと思っていた。先生に相談もできなかった。相談した先生も深くまで踏み込んでくれず、けんかの仲直りという言い方をした人もいた。
結局踏みとどまることができたのはいつも自分がいたからだ。
私は自分が好きだ。
だから死ねないんだと思う。
でも幸せの只中で死にたいと思うことがある。今死んでしまおう、と思ってしまうことがある。それは私にとって危険な思考であって、死に支配された思考というものは結構厄介で、そういう死を選ぶ人間もいるのだろうなと私は推測する。
死にたい人間は自分を信じればいい。
自分をめろめろに大好きになればいい。
それで救えるのなら、この世に自分一人しか存在してないと錯覚するくらい自分を愛せばいい。
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コード進行もさっぱり、いちいち数えないとどこがミなのかも分からない鍵盤、リズム感もない状態で頭に浮かんできた音をどうにか耳コピ?して初めて完成させたオリジナル曲がこの【自殺日和】。とにかく始めてしまったんだから何か一つ作ってしまおうと思った。こういうものは勢いが大切だ。びくびくしてたらあとに続かない。ぐずぐずしてられないと思い、詩は昔書いたものから適当に選んで少しだけ変えた。タイミングもメロディもぐちゃぐちゃだが何とか完成して、ぶっ壊してくっ付けただけのようなミックスとマスタリングをして、動画作りは昔ちょっとだけムービーメーカーみたいなものを触ったことがあったので簡易なものだが自分で作れた。
サビもない淡々と歌うだけの不気味な一曲である。
ピアノの音源に合わせてコードを自分でちびちびマウス入力し良いなと思ったものを選び進行なんて知らなかったのでめちゃくちゃに組み合わせ繰り返しただけだ。
リズムは良いなと思ったドラムのフロアタム一つだけ!
そしてベースは好きだから外せないなと思い、これだと思ったMIDI音源に自分で選んだコード進行を合わせてかえた。ストリングスも加えてみた。
出来上がって聴き返してみたら動きがないな、平坦だなと思い途中に確かチューバの音を入れてみた。
始まりに木魚の音っぽいものや不気味な響きを入れてみた。終わりには心拍計の音が止まるという感じを作ってみたんだけどあまり聞こえない。
めちゃくちゃだなと思うが全くの初心者である。よくやったなと思う。
一番苦労したのはやはり全く扱い方の解らなかったボーカロイドエディターだ。メロディラインの作り方もわからず歌わせつつタイミングを合わせるという途方もないやり方で調声していったので凄く時間がかかった。でもこれはこれで結構人間っぽい歌い方になっているのかもしれない。そしてエフェクトの存在を知らなかったので全部手作業で一言一言アタックリリース機能でちびちび調声しておった。今考えると途方もない事をしてるなと笑えるが。
これは長くなると思うので割愛して別の機会に書こうと思うが、私の使用しているボーカロイドは v_flower という。私はフラワ様と勝手に呼んでいるが、声がすごくかわいそうで憂いがあるのだ。そこに惚れてしまい私はフラワ様と創作活動をしていくと心に決めて大金を叩き色々を購入したのだ。
大金をつぎ込んでも興味が失せれば見向きもしなくなる暗黒歴史がある私だ。今回は今までと比べ物にならないような大金をつぎ込んだ。パソコンも新調した。小さなクローゼットレコーディングルームも作った。(これはあまり使ってないな)でも今の所曲を作る事は全く苦になっていない。一番苦手なのはミックスとマスタリングだ。でもその苦手を苦にさせないくらい魅力的なフラワ様の歌声。
あーあーあーで味気ないメロディラインが歌詞を落とし込んだとたんフラワ様の歌声マジックが始まる。ぞくぞくする。
フラワ様の歌声と私の作りたい世界観はマッチしていると思う。
動画作りは始め、今どきのボカロ曲っぽく一枚絵にした方が良いのかとも思ったけど、どうせ自分の詩を使うのなら、ちょっと前作っていた詩集のやつみたいに自分の写真を使おうと思った。あの詩集と小説はパソコンが壊れデータが全部飛んでしまったのだ。(その後私は長い間何も書けなくなった)その弔いも含めて私は自分の写真を使って動画をつくった。動画の最後の方にちょっとした仕掛けがあって趣味で撮りためた墓地の画像が数枚映ります。
曲の最後は飛び降りたような音で終わってる。人生の終わったような音。
死んだらそれまで、その後はもう何もないという思想もあったりするわけで、死後はまだ人類にとって未知なものだけれど、自ら死を選んだ人間は生まれ変わりたいと思うのだろうか?私は生まれ変わっても私のままがいいと思う。それくらい今の自分がもったいないと思う。そんなくらいでいいと思う。
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【自殺日和】の詩について
冒頭の初めて見た死体の事からわかるように、私は死ぬことについて比較的小さな頃からとりつかれていた。それは苦しいとか悲しい以前に、死んだらどうなるのだろう?という好奇心だったように思う。その初めのうちの方の死は幾分か魅力的で神秘的でさえあった。そのうち自ら死ぬ人間が世の中には沢山いるのだという事を知った。それ以前にもいじめで記憶をなくしてしまうほどだったのに、死を選ぶという選択肢はそこにはまだなかった。
死にとり憑かれた私は、生まれる事と同じく当たり前の死を人々はあまり率先して話そうとしないことを知った。死の事を夢見心地に話すと気持ち悪がられるので、私は一人黙々と書籍でその好奇を満たした。話したがらないのに私は色んな死についての文献をたやすく探し出せた。
私の両親は比較的死については寛容だったのかもしれない。よく誰が自殺したとかいう話をした。そういう話は何故か御伽噺のように甘美的に語られるのか、あるいは私が脳内でそういう風に変えてしまったのか分からないがとても魅力的に感じた。精神的に病むこともそういう感じで脳内変換されている。
一番鮮明に覚えているのが母の同級生が川に身投げしたという話だ。
モノクロの卒業写真に写るその子はそのまま年をとらず、大人になった同級生だった母が自分の子供に御伽噺のように聞かせる。たったそれだけ。その向こう側には一体どんな物語があったのであろうか?なぜ彼女は死を選んだのだろうか?
【自殺日和】もそういう事に一切触れていない詩だ。死んだことは書かれているのに、なんで死を選んだのかは明確になっていない。理由なんてどうでもいいのではない。死を選ぶ人間が多い事を淡々と書きたかった。誰が死んだとかどんな風に死んだとかよりもなぜ死を選ばなくてはならなかったかの方が明らかに重要なはずなのに、ゴシップではいつもどうやって死んだかの方がもてはやされる。死んだ人の実名や顔写真はドラマチックに報道されて、加害者は名前すら報道されない。そしてまた誰かが死を選ぶ、その繰り返しだ。
次の日になったらもう誰も覚えてないよ、と。
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自殺日和
作詞・作曲 まみすけ
歌 flower
二月の凍える 月曜の朝 高里先生が自殺した
美術準備室で 首を吊ったんだ
三月のけだるい 昼下がり 伏見さんが自殺した
コーポつばめの十三階から 飛び降りたんだ
四月の桜がひらひら 江本さんと 佐々木課長が心中した
牡丹川で 入水したんだ
五月のさびしい 黄昏時 りっちゃんが自殺した
溜めていた睡眠薬を 全部飲み干したんだ
六月の晴れた日 渋谷君の 母さんが自殺した
頸動脈を鋏で切って お風呂に入ったんだ
七月の終業式 新海さんと 佐藤さんが自殺した
手を繋いで 電車に轢かれたんだ
八月のイライラする 蒸し暑い夜 斎藤さんが自殺した
ガソリンをかぶって 火を点けたんだ
九月の不安な風が吹いた日 猫を道連れに 秦さんが自殺した
納戸に目張りをして 練炭を焚いたんだ
十月のまあるい 月夜 川佐渡さん一家が自殺した
ワゴン車ごと 海に飛び込んだんだ
十一月の月刊漫画誌 発売日 遠野君が自殺した
ビニル袋を被り ダクトテープでぐるぐる巻きにしたんだ
十二月の雪が 降りだした日 鶴喜ちゃんが自殺した
雑木林に迷い込み 着物を脱いで眠ったんだ
一月の午前 三時過ぎ 鈴木さんが自殺した
じいちゃんの散弾銃で 頭をぶち抜いたんだ
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久しぶりの投稿。間を置いていくつかに分けて書いているので重なる部分が多くてくどいな。まだ約10曲分あるので勢いをつけて書く。
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