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(0)プロローグ

私は小さい頃から特定の物に愛着を感じてしまい、物にも感情があるような気がしてなかなか捨てられない性質なのだ。だから断捨離が流行り、世の中のかつて愛されたものたちがどんどんとリサイクルショップにも回されずゴミ捨て場に直行する話を聞くたびにそわそわしたもんだ。
そして自分の身に降りかかってきた母の狂気。断捨離、周辺整理と称して母は実家にある物ほとんどすべてを捨ててしまった。私や妹の小さかった頃の写真まですべて。いつか読んでみようと思っていた父の蔵書も、重かったり大きかったりしてこっちに持って来る事の出来なかった装丁の美しい本や70年代の写真集も、全巻揃っていた少女漫画や少年漫画もすべて消えてしまった。
いらないものは捨てるべきだと思うし、自分の趣味に合わないもの、好きではないものは手放しても良いと思う。自分が好きでない物に囲まれた暮らしというものは本当に疲れるし、いつまでたっても心を許せないという事は、何度もルームメイトや同居を経験してきたのでそれなりに自信をもって断言できる。既に居た相手に支配された部屋に住むという事は私にとって結構つらい経験だった。
自分で借りた自分たちのアパートに住み始めて早四年が経った。
ぎりぎりの生活だったので家具が殆どない状態からスタートして、じわじわと好きなものを集めて行った。下の子が部屋を汚しまくるのであまりきれいな家ではないが、ここが自分の家だという安心感や開放感がある。
ある日ネットフリックスにKon Mariのドキュメンタリー番組があがっていた。私はホーダーズやクリーン ハウスなんかのゴミ屋敷片付け番組が大好きなので躊躇なく見る事にしたんだが、第一話目の冒頭で一度消してしまった。あの大げさすぎるきゃぴきゃぴぶりに少し困惑してしまい、ちょっと恥ずかしくなってしまったのだ。
次の日、自分の心をきゃぴきゃぴモードに完全に切り替え改めて見直した。全エピソードぶっ続けで。
類似のホーダーズはゴミ屋敷を片付ける番組なんだが、殆どのエピソードで涙や怒りがありバリバリのファミリードラマで本当に見ているだけで疲れるし、捨てないで!とすがる太った母親に捨てなきゃダメ!と泣きじゃくる、今までの人生で何も良い事が無かったような娘。そんな画を何度も見てはトラウマを感じていた。
片付けは本来楽しいはずだ、そうKon Mariはアメリカにそそぎ込んできた。殴りこむのではなく、柔らかく暖かい優しい光のようにそそぎ込んできたのだ。しかし押しは強い。殆ど英語が喋れないのにここまで来たのだから。
Spark Joy!
ときめく物を残して、残りはありがとうと送り出す。出演者の殆どはいらない物をリサイクルショップにまわしたり、寄付していた。ホーダーズでは無秩序にトラックに投げ込まれてその後どうなるのかもわからない。
Kon Mariはその人のペースで片付けを進める。そして深入りしないし、押し付け過ぎない。だから片付けが楽しい。膨大な物の片隅で本当に終わるのかしら?と疑心暗鬼だった奥さんもいつの間にか片付けを終わらせる。
私も物が多いので今年はときめく物を残す片付けをしていこうと思った。ときめかない物は目を汚す。空間を汚す。気分を沈ませる。
私は好きな物に囲まれていたい。

これは私の膨大な持ち物の記録。

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