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メーデイアの眠り (2)

 小さい頃の記憶がぬけ落ちている。すべてが曖昧で夢のようなのだ。周りにいる人間の殆どがそんな事はないと知って、大切なものを無くしたような気がして、疎外感に苛まされた。おぼろげなベールに包まれたあの頃の記憶の中心にあるのは、曖昧な二人の人間の存在と、ヒステリックな母、そして穏やかな父の存在だ。時々、ふと映画のワンシーンのようにあの頃の記憶が蘇ることがある。でも、私にはそれが現実に起きたことなのか、ただの空想なのかも、よくわからない。

 母の妹、私の叔母は病弱で、結婚もせず私を溺愛したそうだ。彼女の存在は、我が家ではもういない人間だ。そして、もういない人間はあと一人いた。私の一つ下の弟だ。叔母はまだ生きている。どこかでひっそりと。弟は、死んでしまった。仏壇の横に小さい弟の写真がいつまでも年をとらずに微笑んでいる。溺愛されたはずの私は、もう叔母の顔や、声、どんなしぐさをする人間だったのか、よく思い出せない。そして、弟の存在は、初めから無かったことのように、全く思い出せなかった。

 弟が死んでから、ヒステリックだった母は随分と大人しくなってしまい、父も母を慈しむようになった。私は、そんな二人にずいぶんと守られて育った。守られているというよりも、防御されているという扱いに近かった。学校の送り迎えから、友達の選別、習い事をしたいと言ったら、一ヶ月かけて周りの安全を確かめられた。それにも送り迎えが徹底された。そんな扱いが高校の卒業の時期まで続いた。両親が私を何から守りたいのか、全く見当がつかなかった。私は、地元の大学に合格し、そこに通うことになっていた。でも本当のことを言うと、どこか遠くに行きたかった。いつまで両親の防御に心をすり減らさなければいけないのか、見当もつかなかった。大学を卒業するまで?就職しても、彼らは送り迎えをするのだろうか?そんな時、仲の良かった友達が、卒業旅行の話を持ち掛けてきた。修学旅行や林間学校にまで付いてきた両親である、今回もまた付いてくるのかもしれない。私は、黙ってその日が来るのを待った。一ヶ月かけて父の財布から三万円、母の財布から二万円を抜き取った。お金の使い方も、価値もよくわからなかった。私が欲しいと言えば、大抵のものは両親が買ってくれた。お小遣いを握りしめ、友達とショッピングに行ったことなんてなかった。初めての反抗だった。

 集合時間は朝の八時だったけれど、私は両親がまだ眠っている朝の四時にひっそりと家を出た。辺りはまだ暗く、こんな時間にでさえ開いている、ファミリーレストランという場所に初めて足を踏み入れた。席に案内されて、私は怖くなった。お金はいつ払うのだろうか?食べ終わってから?それとも食べる前?喉の奥がカラカラになるのがわかった。私は温かいお茶と、朝ごはんセットを頼んだ。ドリンクバーはあちらです、という店員の意味が分からず、いつまで経ってもお茶が運ばれてこないので、勇気を振り絞って、あの、お茶まだ来ないんですけど、と訴えた。察した店員は、優しくドリンクバーの使い方を教えてくれ、定食やセットものを頼んだら、ドリンクバーも付いてくるということを生れてはじめて知った。私は珍しくて、全ての飲み物を少しずつ飲んだ。ソーダや甘い飲み物は、体に悪いという事で、家ではあまり飲まなかった。罪悪感を感じながらも、私は水を得た魚のように、欲望の赴くまま行動した。

 私の記憶に、海は存在しない。ただ単に海を見てみたかった。そう彼女に伝えると、じゃあ卒業旅行に海に行こうか、と優しく言ってくれた。高校の三年間で、友達と呼べるのは彼女くらいだった。いつも両親の干渉がそこにはあって、それを理解してくれるのは彼女だけだった。他の子たちは、面白がって私をお嬢さんと呼んだ。陰で彼女は下僕さんと呼ばれていることも知っていた。彼女にもほかに友達はいず、お互いにずいぶんと依存していた。否、依存しきっていたのは、私だけだ。彼女は私をいつも誘導してくれていた。いつも優しく諭してくれた。両親の干渉なしでは外にも出れない私がのめり込んだのは、アニメ、映画、文学、そして絵を描くことだった。それは彼女の興味と類似していて、お互いに知っている知識を共有して、私たちは唯一無二の存在となった。彼女は服を作るのも上手だった。ファッション雑誌の中からかわいいデザインを見つけては、彼女の持ってきたミシンで様々な服を作って、着ていく場所もないのに、部屋の中でおしゃれした。世界の全ては、私の小さな六畳の部屋で起きた。それでも私は完全に籠の中に捕らわれた鳥ではなかった。私は、反抗することができた。

 駅に着いたら、もうそこで彼女が待っていて、私をやさしく出迎えてくれた。

「あら?ご両親は?」

 そう彼女が聞くので、私はおかしくなってしまって、

「おいてきちゃった」

 と答えた。

 おいてきちゃった。その言葉が言ったとたん重く感じられて、私は少し怖くなった。もう起きたかしら?血眼になって探しているかしら?警察に連絡したり、しないよね?私は怖くなって、早く電車に乗ろう、と彼女をせかした。電車の乗り方すら知らない、世間知らずの私は、彼女がいなければ途方に暮れているであろう。彼女がいるから、この逃避行は成り立つのであって、私は一人では本当に何もできないのだ。

 そうかしら?そう思って立ち止まった。ファミリーレストランに行けたじゃない。両親に黙って、家を抜け出したじゃない。私だって、一人でできるかもしれない。何を?一人って、心地よいと思った。縛り付けられない、感覚。これが自由なの?自由って、こんなに簡単に手に入るんだ。私は彼女の手を引っ張って、切符売り場を目指した。

 お金を払って切符を買うこと、改札口をくぐること、駅のホームで電車を待つこと、全てが初めてのことで、小さな子供のようだと彼女は言った。電車の席に着くと迷わずに窓側を選んだ。近くのものは目まぐるしい速度でせわしく流れ、遠くの景色はゆっくりと心地よく流れる。それでさえ夢のような感覚だった。私は本当に何も知らないんだ、そう思った。

 一時間程して目的地の駅に着いた。山と海が隣り合わせにあって、民宿は海の目の前にあった。民宿さざなみ。年配のご夫婦が経営するそのこぢんまりとした民宿は、私たち以外の利用客はいなかった。浴室とトイレは共同で、食事は食堂で食べる。二泊三日、朝食夕食込みで、一人一万二千円だった。それが安いのか、高いのか、私には全くわからなかったけれど、自由に金額はつけられないし、変えられないと思った。盗んできたお金で、そんなことを考えれる自分がおかしくて、笑えた。

「なに、いきなり笑って、気持ち悪い」

「いや、ね、今頃あの人たち、すごく慌てているだろうな、って」

「そう、そう、電話しておく?心配しちゃうよ」

「ううん、いいのよ、心配しておけば」

「ずいぶん反抗的じゃない、今日の明奈」

「そうだよね、私だって自由になりたいのよ」

 自由。連れ戻されたら、今度は紐にくくられるかもしれない。檻に閉じ込められるかもしれない。だったら思いっきり二日間の自由を満喫したらいい、そう自分に言い聞かせた。躊躇なんてしなくていい、罪悪感なんて感じなくていい、私だって人並みの幸せや自由を手に入れる権利がある。

 荷物を部屋において、私たちは砂浜に行ってみることにした。ここにいる間は、いつでも好きなだけ海が見れる。目の前に広がる、クリーム色の砂浜に、広く流れ込んでくる濃い紫がかった、ゆっくりとした波。その波は優しくて、まだ三月なのに、思いのほか暖かくて拍子抜けした。

「海の水って、こんなに暖かいものなの?」

「さあ、どうだったかな?水着持ってくればよかったね」

「ねえ、誰もいないから、下着で泳いじゃおうか?」

「なに、今日の明奈、本当にあなたなの?随分と大胆で」

 私たちは二人きりの楽園で、着ていた服を脱ぎ捨てて、下着姿になって、暖かい塩水に飛び込んだ。春の生暖かい空気が流れ込む砂浜で、二人無になってはしゃぎあった。自由になったら私は、怖いものなんてなくなった気がして、今までの自分が偽物のように思えて、ずいぶんと羽目を外した。海の水は、本当に塩辛くて、波はいつまでも途切れることなく、柔らかく私を包み込んだ。

 泳ぎ疲れた私たちは、砂浜に所々点在する岩場に腰を下ろして、飽きず海を眺めていた。岩場のごつごつとした感触。少し嫌な感じがして、そこから早く去りたくなった。自分でもどうしたら良いのかよくわからなくなって、少し怖くなった。そんな私の変化をいち早く察した彼女が、私の肩を包んだ。そのとき、それは突然やってきた。目の前に閃光が走ったかと思うと、くらくらして、映像が流れ込んできた。止めることのできない、コントロール不可能な映像。これをフラッシュバックというのだろうか?

 岩場に女の人が立っていた。その足元には、小さな男の子が血まみれで倒れている。小さな女の子の声がした。

「おねえちゃん、やめて、おねえちゃん、ゆうくんはわるくない」

 それは、まぎれもなく私の声だった。小さい頃の私の声に重なって、あの抜けていた記憶が鮮明によみがえってきた。悲しそうな声で、ささやく神経質そうな女の人。ああ、あの人のこと、私はおねえちゃんと呼んで慕っていた。私は、しっかりと叔母の顔を思い出した。

 そうだった、あの日海辺で叔母は私の弟を殺して、海に投げ捨てた。

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