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【麻薬が実】【ルポ】

常習性に読みたくなる博多っ子の麻実(まみ)が綴る【麻薬が実(まやくがみのる)】ルポ。

【父、タカシさん】
【Covid-19】
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1年前の今日
2020年8月20日11時11分
父は81歳、Covid-19で亡くなりました
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もし、あなたが、父やわたしの立場だったら
どう思い行動するのか少しでも考えるお時間を頂けると幸いです
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ルポ1は2021年1月28日
ルポ2は2月28日
ルポ3は4月25日
ルポ4は5月4日
ルポ5は8月5日にアップしております
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ルポ6
「1年前の今日。そして、この1年間。」
「遺体は、すぐに、ご自分で病院から出してください。」
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病院の対応により
亡くなるだろうとは、わかっていました
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もちろん
誰もが経験したコトがない
はじめての経験で
ある意味仕方がありません
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父も
Covid-19を発症してから
PCR検査や入院をさせて頂けなかった8日間に
死を覚悟していたようです
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わたしは
父が入院できてから
家族代表になり
「今度は、病院からの電話は、いつ鳴るのかな。
次は、どんな究極な命の選択をしなければいけないんだろう。」
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その思いとともに
1分1秒のトキをこなすコトで
いっぱいでした
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19日18時頃には
医師から電話
「今日中に亡くなりそうです。
亡くなったら、24時間以内に火葬をしなければいけません。
でなければ、私達が、感染する可能性もあります。
娘さんで、ご遺体を搬出し、火葬できる所を探してください。」
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わたし
「そんな、わたしが探すのですか⁈」
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医師
「はい。早く病院から出してください。」
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こんな会話もありました
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Question1
「あなたが、わたしの立場でしたら、あなたは、どう返答し、どう行動しますか⁈」
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いろいろなコトを
それからも
ある意味
淡々と、こなしていました
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企業でのお仕事、フリーランスのお仕事、起業の準備、
そして【福岡ビジネスプランコンテスト】応募に向かっての手をとめるコトはしませんでした
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でも
ひとつ心残りなのは
オープンな性格の私が
ビジネス仲間たちや
お友達に
SNSに
父に起こっている本当のコトを話す勇気がなかったコトです
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父が亡くなる1ヶ月も経たない前に
りょーまさん(17歳3ヶ月のホワイト・トイ・プードル)が亡くなり、
ひとりで
立ち向かう日々は
本当に、しんどかった
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1番わたしを苦しめたのは
父の主治医と母の言葉
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もちろん
支えてくれたお友達やお仕事関係者も
たくさんいらっしゃって
助けられたのもたしか
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もう亡くなって1年経ちましたが
父の遺骨は
まだ実家に存在しています
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気持ちの整理がつくのは
父に起こったコトのルポを書き終え
いろいろな手続きが終わったトキかな
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早く解放されたい
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そう、切に願うばかりです
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写真は
父が亡くなる1年位前に、私が撮影したモノ
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姪が
チェキにしてくれた写真を
いつも手帳にしまい持ち歩いています
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父が亡くなる前に
16日に
75歳の母が、1度はPCR検査で陰性
その後、22日に熱が上がり、24日には陽性
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それもまた
私が家族代表になり対応
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母は復活
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しかし
1番治験ができる存在の母
その後、治験も無し
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これが
現実です
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わたしは
この1年間
Covid-19を冷めた目で見る様になり、
どこか遠くで起こっている映画を見ている様な気持ちでいます
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その要因は
両親に対する病院や保健所、市、県、国の対応や
目から耳から五感から入ってくる情報
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1番頼りにしていた機関が
頼りにならず
路頭に迷い
今の日本にこんなコトがあるコトに驚きました
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もちろん
個人個人で対応の仕方は違う為
たまたま
寄り添ってくださる方に会えたり会えなかったりはありました
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情報も
違うコトがたくさんあり
PCR検査を2回受けて陰性が出たら退院なんてコトはなく
平熱が3.4日続けば、そのまま退院

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そして
わたしは
生後11ヶ月から生死を分け
その後も入退院を繰り返し
14歳で、先天性の胆嚢の病気で胆嚢を全摘出した経験から
常に
免疫に対して気をつけているからです
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面倒と思われるかもしれませんが
わたしがしているコトを
ルーティーンにしてしまえば
ある意味
少しずつでも免疫アップです
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例えば
お手洗いに行った際や自宅に入った際は
まず
先に
手を自分の常在菌を落とさない様に
石鹸を使わずに流水で30秒、指と指の間も洗い、手首まで洗う
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お薬は、自分の免疫で治せるまで治し
どうしても治せないトキしか極力飲まない
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信号待ちをしている際は
身体をしなかやかに動ける様にするために
ストレッチをする時間とし
手首や肩、足首の筋を伸ばす
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夏でも
身体を冷やさない様に
氷を入れた冷たい飲み物は極力飲まず
常温のミネラルウォーターを飲む
などなど
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まだまだ、たくさんありますが
ちいさなちいさな
積み重ねです
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子供のトキから
その年齢のトキにしか経験できなかったコトを
経験できずにきました
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だからこそ
もうまた繰り返したくない
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免疫を意識した生活をルーティーンに
過ごしています
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りょーまさん、父
わたしが大好きな海でsupができる
暑い夏の日に逝きました
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さすがに
粋な1頭と1人です
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1年経っても
Covid-19は、変わらず収まらず
さらに
変化し増殖している現在
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もうこのままの状態が
たぶん
何年と何十年と
ずーっとずーっと
続いていく気がします
.
最後に
父のお仕事やボランティア関係者のみなさま
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この1年の間に
ご挨拶に伺うコトができずに
申し訳ありません
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今年こそは
ご挨拶へ行ける様にしていきたい所存でございます
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今日は、ここまでのルポに
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真実をご存知ない方、バイアスに左右され過ぎている方、実際に経験していない方、そして、保健所や病院、筑紫野市役所などへ誹謗中傷はおやめください、一切受付いたしません
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