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ポッキープリッツ

数年ぶりに風邪をひき、寝込んで起きたら11月11日だったことに気がついて、慌ててコンビニに向かって2種類買って帰ってきた。

大学の頃の友人とのグループチャットでは、11月11日にポッキーの写真を送り合う習慣がある。だいたいは冬のくちどけと何か別の種類を買って食べる。大学の頃は、ある友人が誕生日だからとポッキーとプリッツを集中投下されていた。彼女は食べきれないので、だいたい私たちはそのおこぼれをもらって一緒に食べていた。

その子は決して口数は多くはないが、笑うとなんとも可愛くて(笑わなくとも可愛くて)、同じ高校だった人たちに学校のマドンナだったと聞いて「そりゃそうだ」と思った。

優柔不断な私が、呑めるようになって間もないお酒に酔いながらあーだこーだ言っていると、どちらを推して欲しいのか察して、「それがいいんじゃない」とやんわり後押ししてくれる人だった。

大学の1回生の最初の演習クラスが同じだったというだけで、それ以外の理由がなければ接触することがないようなタイプだった。共通項と言えるのはRADWIMPSが好きということくらいで、私は体育会庭球部で真っ黒金髪だし、彼女はファッション系のおしゃれなサークルに入っていた。みんなキャラクターがバラバラだから居心地が良くて、授業はみんなで受けて(私はだいたい寝ていて)、テストの前になると真面目な彼女たちに縋って短期記憶で乗り越えていた。

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彼女が倒れたのは私がタイに行く出国前の空港での待ち時間で、知らせてくれた友人は「大丈夫だろうから行っておいで」と励まされ、帰ってきたらお土産持ってお見舞いに行こうくらいに考えていた。

実際に私が2週間ほどのスタディツアーから帰ってきたのは、彼女のお通夜もお葬式も終わった後だった。本人も気付く間がなかったんじゃないかと思うくらいあっという間で、かつ私は最期のお別れに対面しなかったからか、卒業くらいまで理解しきれていないような感覚で、卒業式の振袖選びに、「あの子が成人式で着ていた緑色の着物にしよう」と決めたあたりで少しずつ区切りがつけられて、みんなも泣かずに話せるようになっていった。

夜になると毎日のように思い出していたのに、その頻度はちょっとずつ減って、今ではポッキープリッツの日と命日くらいしか、充分な時間を使ってゆっくり思い出すことはできなくなっている。

先週10年ぶりに仕事でバンコクを訪れ、タイ文字の看板を車で揺られながら見ていたとき、その頃のフィールドワークの移動車で涙が止まらなかった感覚を久しぶりに思い出した。

彼女がいなくなってから「人はいつ死ぬのか分からない。」ということが私の中に深く残り、卒業論文にも就職先にも影響した。卒業論文は環境要因が人の意思決定にどんな影響をもたらすのかを統計で探るものだったが、「死への焦燥感」や「生の実感」をヒアリングの設計時に用いたり、質問用紙に「自分の命に終わりがあるという感覚がどれくらいあるか」「死ぬまでにやりたいと決めていることはあるか」などの項目を加えた。就職先も誰でも知ってるでっかい会社にするのか、あんまり有名じゃない変なところにするか、迷っていた最後に「自分が近いうちに死ぬかもしれないとして、最後の仕事をどっちでやりたいか」という感覚で決めた。

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直接的に亡くなった人を思い出すことは減っていっても、その人が与えた影響が脈々と続いて、派生しながら人生に影響を及ぼしているから、思い出すことに躍起にならなくても、それは弔ってないことにはならないのではないかとも思えたりする。

仏教国のタイでは輪廻天生が信じられている。彼女はすでに別の命に変わっているのかもしれない。キリスト教では11月は死者の月。カトリックの場合はかみのみもとで永遠の幸せ(天国)を与えられる。兎も角、お前も今日で三十路やで。

シビックテックのCode for Japanで働きながら、小児発達領域の大学院生をしながら、たまにデザインチームを組んで遊んでいます。いただいたサポートは研究や開発の費用に充てさせていただきます。