わたしのライティング・ライフvol.8/なぜ書くの?
120日目。
昨日、書いた文章を読み返してみて、思ったことがありました。
えー、読むのめんどくさい!という、そこのあなたへ向けて、昨日書いたことをさっくりお話しますね(笑)。
人間関係につまづいて、自分の中にもやもやとした未解決の感情が生まれたとき、それを「書くこと」で癒やしていく。
「書くこと」で、インナーチャイルドケアをするということを書いたのでした。
もやもやした感情を掘っていくと、本心、本音、魂の本当の願い、みたいなものにたどり着くと思っていて、そこに辿り着いてから、相手と対話すると、本質的な深い部分で、自分の言いたいことを相手に伝えられるような気がする、と書いたのですが…。
いやいや待て待て自分!と思ったのです。
それはその通りなのですが…。
もっと、核となる部分のことを書けていなかったかも、と。
なぜ、毎日せっせとペンを持ってノートに向き合っているのかと言ったら、自分自身にさえ隠されている本心を明らかにしたくて、自分のほんとうの望みってなぁに?と自分に尋ねてみたくて、あたらしい自分に会ってみたくて、自分をもっと知りたくて、なんだと思うんです。
別に、自分の言いたいことを相手によりわかりやすく伝えるためとか、人間関係を円滑にするため、とか、そういうことのために、毎日書いている訳じゃない。(ま、現実世界を生きる上で、そういうことも大事なんだけど)
わたしは、わたしを、もっともっと知りたいんだ。
って、思います。
そして、それは、人間の根源的な欲求なのかなぁ、とも思います。
ノートに書くことは、意識の流れのままに、思い浮かんだことをただただ書きます。
だから、ノートに書いていることは、「ほんとうのわたし」に出会うためには邪魔になるもの、「ほんとうのわたし」を覆っている余分なもの、が書き出されているのだと思います。
例えば、インナーチャイルドが言ってくること。
インナーチャイルドは、傷を負ったままの過去のわたし。
これは、わたしの大切な一部で、ほんとうのわたしに出会うためにとってもとーっても大切で純粋な存在ではあるけれど、インナーチャイルド=ほんとうのわたし、ではないんですね。
「傷」が深いと、「傷」がわたしそのもの、のように感じられてしまうけれど、「傷」はわたしじゃない。
「傷」が見せてくる幻の世界に、ほんとうのわたしはいない。
この地球を生きていると、いろんな感情がわたしを揺さぶるけれど、「感情」はわたしじゃない。
「感情」の嵐の中に、ほんとうのわたしはいない。
この現実を生き抜くために、ついついあれこれ考えてしまうけれど、「思考」はわたしじゃない。
「思考」の靄の中に、ほんとうのわたしはいない。
傷、感情、思考…いろんなものが来ては去っていくけれど、わたしのいのちの真ん中にある「静謐」こそが、ほんとうのわたし。
インナーチャイルドを癒やして、本来の居場所に帰してあげる。
本来のあなたの居場所は、いのちの真ん中にある「静謐」だよ、って。
たぶん、その「静謐」からの大いなる呼びかけ、みたいなものに応えて、わたしは毎日毎日せっせと書いているんだ、と思います。
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