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それは誰の願いなのか?

前回、「どうしても早く食べられない問題」について書きました。
→「どうしてもできないこと

わたしは、どうしても早く食べることができないんです。
早く食べられないならのんびり食べたらいいじゃん!
それだけの話。
おわり。

ってわけにはいかなかったんですよねぇ・・・。
わたしにとって、早く食べられないことはいけないことで、それはわたしの欠点で、克服するべき「問題」でした。

わたしは食べるのが遅いんだなぁ。
みんなと食事に行った時に待たせちゃって迷惑かけちゃうなぁ。
なんとかして早く食べられるようにならなくちゃなぁ。
ずっとそう思ってきました。

大人になっていろんな人と食事をする機会がありました。
わたしが食べるのが遅くて、相手を待たせてしまっているとき、
ほとんどの人が「大丈夫だよ、ゆっくり食べてね」と言ってくれます。
みんな、やさしい。

でも、ただひとり「早く食べられるようにならないと!」とわたしに言い続けた人がいます。

わたしの母です。

あなたは食べるのが本当に遅いね。
みんなのこと待たせて迷惑かけちゃうんだからね。
早く食べられるようになりなさい。

えぇ、えぇ、わかります、わかりますよ。
今ならわかるんです、母なりに娘を心配しての発言だったと。
社会に出て、みんなに迷惑かけないように、みんなとうまくやっていけるように、みんなのスピードに合わせられるように、早く食べられるようになりなさいって言っていたんだって。

でもね、よくよく考えてみたんです。
ほんとうによーくよーく考えてみたんです。

早く食べられるようにならなくちゃ!という願いは、わたしの願いではなくて、母の願いですよね・・・(がーん!)。

大胆に言ってしまえば、「早く食べられるようにならなきゃだめだよ」って母から言われてなかったら、わたし、そのことを自分の短所だと思っていなかったかもよ?とさえ思います。

わたしは、母の願いを生きていたんですね(がーん!)。
わたしの人生なのにね!(が、が、が、がーん!!)

他にもまだまだありそうですよね、きっと。
自分の人生なのに、他人の願いを生きているっていうこと。

早く食べなきゃ、だけじゃない。
しっかりしなくちゃ。
正社員として働かなくちゃ。
結婚しなくちゃ。
子ども産まなくちゃ。
二人くらいは産まなくちゃ。
料理はできなくちゃ。
部屋はきれいにしていなくちゃ。
女ならいつもかわいくしていなくちゃ。
人にはやさしくしなくちゃ。
人に迷惑かけないように頑張らなくっちゃ。
みんなに合わせなくっちゃ。
自分のことより人のことを優先しなくちゃ。
早く元気にならなくちゃ。
・・・などなどなどなど・・・。

それは誰の願いなのかな?

わたしの願いじゃない誰かの願いを、いっぱい身にまとって生きていたけれど、いちまい、いちまい、根気よく脱いでいく。
脱いで、脱いで、脱ぎまくっていく。

わたしは、わたしの人生を、わたしの責任で、しっかりたっぷり味わい尽くしたいから。




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