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森川すいめいさんのオープンダイアローグ の本 X 「ことばの焚き火」

2022年4月に出版した対話の本「ことばの焚き火」と、何か感覚が重なる本に出会うことがある。精神科医でオープンダイアローグを実践している精神科医森川すいめいさんの著書もそんな本だ。

感覚的に捉えることができる実践するためのもの

すいめいさんは、前書きで、以下のようなことを言っている(一部要約)。

・オープンダイアローグに関する書籍はすでにいくつか出ているけれど、まだ実践するためのものは少ない。
・オープンダイアローグを知識としてではなく、感覚的に捉えられることを目指した。
・オープンダイアローグの実践は、自転車に乗るようなもので、文章では仕切れないから、「やり方」を紹介することは避けた。
・自転車を乗りこなす時に大切なようなイメージを提示。

p4-p9, 森川すいめい著「感じるオープンダイアローグ」

いやあ、これは「ことばの焚き火」の著者4人が書く上で大切にして来たことと、まさに重なる。

対話の本は、教育や医療、組織開発までたくさん出ているけれど、じゃあすぐに実践に移せるようなものというと意外に少ない。もちろん「やり方」を提示しているものはあるけれど、理論や方法が先に走ると頭が先に働いてしまう。私たちにとって、対話は身体感覚と関係の深いものだから、「感じる」より「考える」が先にくることは避けたかったし、生き物のように流れる対話をある種の「やり方」で固定化するのはかえって本質を損なうと感じていた。

・焚き火に薪をくべるように、湧いてくることばを場の中心にだしていく、ただそれだけ。
・わたしの思う対話は、キャッチボールというより、波紋の広がりというイイメージが浮かぶ。キャッチボールのように無理に返す必要はない。
・対話を通して「自分とつながる通路」が開かれると、まずからだの感覚が変化する。自分でいるこよの心地よさ、安定感をからだが覚える感じだ。

「ことばの焚き火」

本に正解が書かれているわけではない

「ことばの焚き火」を著者4人で書き、内容を分担するわけでもなく、それぞれが書きたいことを書いたのには理由がある。4人が4様で書くことで、「対話の形は1つじゃない、でも、共通点がある」ことを体感的に受け取ることで、「自分にとっての対話」「自分のやり方」を探求して欲しかったからだ。

すいめいさんも、本で正解を提示しているわけではないことを、随所に書いている。

・実践書は、本によって書いてあることが異なるくらい多様なほうがいい。(p6)
・「私たちは今からロールプレイをしますが、どうか私たちのことを真似しようとはしないでください」(p161)
・ケプロダス病院流を真似ることがオープンダイアローグだということではありません。(p.178)

森川すいめい著「感じるオープンダイアローグ」

ただ、対話をするだけ

対話のことを、Facebookやnoteで投稿するたびに、「私も対話したい」「会社でもできたらいいのにな」「家族に対話が足りてない」「でも、どうしたらいいか」そんな声をたくさん聞いた。だから、この「ことばの焚き火」をどうしても、書きたかった。難しく考える必要はない。要は「ただ、対話するだけ」なんだ。

・対話は誰だってできる。ただ、思い出すだけ。
・対話って難しそう。どうやったらできるんだろう。そんなことを思うことがあるかもしれない。でも、あまり心配しなくていい。ただ自分の気持ちで話すことを思い出すだけで、十分なんだ。

「ことばの焚き火」

すいめいさんも本の中で、繰り返しそんなことを書いている。

・(オープンダイアローグ発祥の病院で)私は理解した。そこに魔法のようなものはない。ただ、実直に、誠実に、対話を開いているだけなのだと。(p23)
・そこには実直な対話以外は何もなかった。(p24)
・ただ話すだけで、それまで存在していた困難や誤解の多くは解消した。なぜなら、かれらは話していないだけだったからだ。(p.77)
・輪になって、実直に対話の姿勢を守り、ただ対話する。話の内容は多様だから、こういうときはこうしたほうがいい、みたいなマニュアルは全く存在しない。(p.156)
・対話は、特別な何かではないため、様々な場面で学ぶことができます。(p.198)

森川すいめい著「感じるオープンダイアローグ」

実際、ただ「実直に対話をする」以上は書けない。それは、それ以上に何もないからというより、それ以上が多すぎて書きようがないからなのだ。だから、逆に書こうと思えばいくらでも書くことができる。ただ、それで実践に役に立つだろうか?大切なのは対話の実践者が増えることであって、大著を書くことでも、感心されることでもない。だから、ただ対話するだけでいい。「これならできるかもしれない」「自分でもできそう」と一歩を踏み出す勇気が出ることが嬉しい。

対話的な人ではなく、対話をこころがけている人

「感じるオープンダイアローグ」の「おわりに」に、以下のような胸を打つシーンがある。オープンダイアローグを開発したヤーコ・セイックラ氏とすいめいさんの会話だ。

「ヤーコ、あなたはもともと対話的な人なの?それとも対話をこころがけている人なの?」とたずねた。セイックラ氏は、
「もちろん、対話をこころがけている人だ」
と語り、自分の家族の話を始めた。詳細を書くことはできなが、セイックラ氏はその話をしながら涙ぐんだ。

p206, 森川すいめい著「感じるオープンダイアローグ」

これと同じような問いを、「ことばの焚き火」を読んでくれた対話仲間に出されたことがある。
「著者4人は"対話ができる人"なの?それとも、"対話をしようとしている人"なの?」
そのとき、即座に私は答えた「そりゃあ、"対話をしようとしている人"だよ。"対話ができる人"とは一生かかっても言えないと思う。」と。

対話の専門家であったり、対話の大家であったりするから対話の本を書いたわけではない。やむにやまれず対話をしようとしている者であり、対話が必要で、対話をし続けたいと思い、たくさんの人と対話をしたいと思うからこの本を書いたのだ。対話的な人であるとか、対話ができる人とは言えない。でも、そうでありたいと、いつも思っている。

おわりに

今回取り上げた以外にも、本当に多くのことが、すいめいさんの本と「ことばの焚き火」では重なっていた。
それは、本を書く姿勢、読者に向かう姿勢に、共通点があるからではないかと勝手に思っている。

本書は、主に対話の実践者になるプロセスについて書いたもので、実際の対話場面の工夫などについては触れていません。対話の実践者になることができれば、自分流の対話の場をどこでもつくることができる。その一助になればと願いながら書きました。

p9, 森川すいめい著「感じるオープンダイアローグ」

本書は、「どうしたら日本の現場で実現できるか」の問いに、自分たちの取り組みを紹介することによって答えようとしたものです。

p5, 森川すいめい著「オープンダイアローグ 私たちはこうしている」

対話は決してマジックではない。4人は魔法使いなどではないから、解決するための答えを教えてくれはしないだろう。
でも、ことばの焚き火に手をかざし、炎をじっくり見つめているだけで、気持ちの滞りが解け、希望を感じる瞬間があるかもしれない。それが変化の合図だと心がざわつき始めたら、迷わず従ってほしい。
ああ、こんなふうに話せばいいのか。伝えたらいいのか。
相手の声を受け止めたらいいのか。
これだったら、目の前の滞った空気を変えていけるかもしれない。
半信半疑であっても、そんな気づきが湧いてきたら、もう壁は消えかかっている。
いまいる場所にいたままでいい、目の前に広がっている世界に飛び出し、誰かと対話をはじめてほしい。

「ことばの焚き火」

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