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スニーカーはもう捨ててしまった。

パソコンのファンの、キュイーーーーーーンという甲高い声で目が覚めた。

いつも隣で猫みたいに丸まって、時々鼻をすすりながら眠っている彼女の姿はなかった。
珍しい。俺が眠っている間に起きることなんてほとんどないのに。

どうせしばらくしたら勝手に寂しがって、俺の背中に額を擦りつけに来るだろう。
アイツの所在など確かめようともせず、携帯電話をいじり始めた。

俺の周りには、常に一定数、飼い犬のような女たちがいる。
首輪をつけた覚えもないのだが、気づけば近くにいて、呼べば尻尾を振ってやってくる。
こちらの気が向いたときに餌を投げてやればいい。いたってシンプルな動物だ。

アイツも例外ではない。
とにかく手がかかるが、俺は面倒を見てやっている。
俺のところに来てからは、他の男たちといた頃よりも安定している。
それはきっと、俺がアイツのために口うるさく生活習慣や考え方について進言してきたからだろう。
昨晩だって、日付が変わる前には睡眠導入剤を飲ませ、布団に入るように言いつけた。
一緒には眠っていないが同じ家にいるのだ。気配くらいするだろう。

そういえば、何か話があると言っていた気がする。
薬も飲んだ後だったので明日にしろと言った。
いつもなら3ターンくらいで諦めて布団へ行くのだが、昨晩は妙に食い下がった。気の強い女だ。
下唇を噛み、目頭にうっすら涙を浮かべながら深呼吸をするアイツの姿が浮かんだ。

仕方ない。たまにはご機嫌取りでもするか。

寝室を出てもアイツの姿はなかった。

「なんだよ、人がせっかく…」

ぼやきながら座椅子にドカッと座り、煙草を手に取る。
それは、ご丁寧に4つに折られ、煙草の下に置かれていた。

雅史さんへ
突然ですが、口頭で伝えられそうにないので、日頃思っていることをお手紙で伝えることにしました。
相変わらず結論から話さないので、長くなると思いますが、最後まで読んでくれるとうれしいです。

第一印象は怖そうな人。
でもかなちゃんから話をたまに聞いていて、悪い人ではないんだろうなと思っていました。

初めて話したときのこと、雅史さんはきっと覚えていないよね。
私もほとんど覚えていないけど、雅史さんと話しているかなちゃんはすごく楽しそうで、いいなぁ…と羨ましく思った記憶があります。

また別の日。眠れなくて散歩をしていたらたまたま雅史さんから連絡が来て。
一対一だとどんな感じなんだろう?という好奇心で電話をかけました。
あの日が初めて、ちゃんとお話した日だったね。
そこからチャットでのやり取りが始まって、気づけばたくさんお話をするようになって、同棲にまで発展するなんて思ってもみなかったよ。

この7ヶ月間。雅史さんはどうでしたか?
楽しかった?
面倒くさかった?
早く離れていかないかなあって思ってた?

雅史さんがする、私に関係のある話ってお叱りがメインで、褒めてもらった記憶がほとんどありません。
唯一覚えていてうれしかったのは、仕事に行きたくないと駄々を捏ねて、それでもお仕事に行けた日のこと。
私が「ちゃんと最後までお仕事してきたらえらい?」って聞くと、「出勤してる時点でえらいよ」って言ってくれたの。
すごくうれしかったなあ…。

仕事の話をしても家族の話をしても、興味がないみたいに聞こえて、気づいていないかもしれないけど、段々話さなくなっていった。
それが私は寂しかった。

「好きかどうかは分からない」
「でも大事なら分かる」

最初の頃から言ってたね。
「俺はお前が大事だよ」って言ってくれてたよね。
もう薄れてきちゃった?
それとも、薄れてないけど私に届いていないだけ?
…分からなくなっちゃった。

雅史さんが約束守ってくれてるのは信じてるし、私に時間を割いてくれてるっていうのも分かってる。
寝るときに、私が好きって言ってる音楽をかけてくれてるのも知ってるよ。

私のことを思って行動できるところ、本当に好きだった。

でも、話を聞いてくれなかったり、最終的には帰ってきてくれるけど寝るときにいなかったり、そういうのが積み重なってどうしたらいいのか分からなくなっちゃった。
このもやもやと、どう向き合えばいいのかも分からなかった。 

ルーズリーフに書かれたそれは所々しわになっている。
俺には見せなかった涙だってことか?

灰皿を壁に投げつけた。

大きな音を立てても、不安げな濁った視線は感じられなかった。

俺はただ、煙草に火をつけることしかできなかった。

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