見出し画像

わたし、コロナに感染しました


「検査の結果、コロナの陽性反応が出ました。保健所に連絡しておくので、数日中に電話がかかってきます。」



7月28日。
かかりつけの病院にて予想通り、コロナウイルス感染の宣言をうけた。

濃厚接触者からコロナ感染者に変わった瞬間だった。

看護師さんや受付のお姉さんがこれからのことや薬についてを至近距離で説明してくれている間

「こんなにわたしの近くにいて大丈夫なのかな、うつらないのかな…。感染者が隣にいるのに怖くないのかな。本当はそばになんて来たくないだろうなぁ。ほんとにごめんなさい…。」

という申し訳ない気持ちと同時に、自分のせいでここにいる医療関係者の方がコロナに感染したらどうしよう…。という怖さで頭がいっぱいだった。

家から徒歩10分の病院。

この日も例にもれず、猛暑だった。
全身を、信じられないくらい大量の汗がつたう。服に汗で描かれた世界地図がどんどん出来ていく。普段からわたしは天然記念物レベルの汗っかきなのだが、この日はいつもの滝汗とは比べようもないレベルの汗の量だった。

(なんか、肺が、いたい。いき、くるしい…。)

病院からの帰り道、歩いていると突然、肺に猛烈な痛みを感じた。いや、肺だけじゃなくもう全身が痛い。インフルエンザに感染した時の関節痛とはまた違う痛み。

家までの10分間がとてつもなく長く感じた。

なるべく人がいない道を選んで帰る。

何人かの人とすれ違ったときに、意味がないことなんて分かっていたけど菌を少しでもまき散らすのを防ぎたくて、息を止めた。無意識だった。
すれ違う人に心の中で謝りながら家まで帰った。

自宅療養の日々がはじまった。

ここからはコロナに感染したわたしの症状や現在の後遺症、そして感じたことをお伝えします。





コロナの陽性反応が出たのが7月28日。
そして自宅療養解除になったのが8月10日。
その期間は12日。
とてもとても長い12日間だった。


━コロナ感染による主な症状━

コロナにより現れる症状は人それぞれですが、わたしの症状は以下の通り…。


①1日中続く激しい頭痛


一番辛かったのが頭痛。
もともと偏頭痛持ちだけど、偏頭痛とはまた違った痛みで、頭を両手でぎゅーっと思いっきりおさえられているような感覚。
1日中続き、夜になると痛みに拍車がかかる。
その痛みで寝れない日が続き、ある日、少し精神的に参っていたわたしは何を思ったのか、痛みをまぎらわそうと夜中にベットに横たわりながら、自分の好きな歌を大声で歌い続けていた。

━高熱の女が夜中にもうろうとする意識の中、歌い続ける。

いま考えるとホラーな状況だが、その時はこの痛みをまぎらわそうと、もう必死だった。
そして頭痛によってもたらされる、吐き気。
これも眠れない原因のひとつだった。



②味覚・嗅覚が無くなる

噂には聞いていた。
でもわたしは、陽性になってから3日経っても味覚・嗅覚どちらも共に正常に機能していたから、自分は大丈夫なんだと、少し安心してた。

━しかしその時は突然訪れる。

ひたすら寝続けて、目を覚ました夕方。
コロナになってから無性にフルーツジュースを欲していたわたしは、乾いたのどを潤そうとオレンジジュースを口にした。
と、同時に感じる違和感…。
そしてさっきまでは何ともなかったのに突然現れる、のどの痛み。

(あれ、なんか変な味がする…。
……というか味しない。え、もしかして…。)
オレンジジュースのにおいを嗅ぐ。
本当は嗅ぐのが怖かった。
予想通り何のにおいもしない。
この時はめちゃくちゃショックで、もう一生治らなかったらどうしようと、不安で怖くてたまらなかった。
そして味覚・嗅覚がなくなると何を口にしても絶望的な気持ち悪さを感じ、更に食欲が減退した。



③全身(特に下半身)が痛い

発症初日から体の痛みがあり、3日目まではベットから起き上がりトイレまでの10秒を歩いていくだけでも辛かった。
特に下半身の痛みが強く、腰も猛烈に痛い。
腰に関しては、ハンマーで思いっきり叩かれ続けている気分だった。
コロナで体が痛くなるなんていう知識がなかったわたしは、不安になりネットで検索すると【だんご三兄弟】で知られる、元うたのお兄さんの速水けんたろうさんの、コロナ感染時について書かれたインタビュー記事を発見した。
速水さんが最初に感じた異変は体の痛みだったそうだ。
特に腰がもう激痛で、なんだこの痛みはというくらい痛くて、まともに全然立っていられなかったと「FNNプライムオンライン」内インタビューにて語っていた。
とても不謹慎な発言だが、その記事を読んだとき体の痛みはわたしだけじゃないんだと少し安心した。
そして思いもしない症状に悩まされるんだと、改めてコロナウイルスの未知数の怖さを感じた。



④抜け毛が増える


髪の毛を洗っている時に気が付いた。
(あれ、なんかいつもより髪の毛が抜ける量が多いな…。)

コロナで脱毛の症状が起こることは知っていた。
以前、コロナ感染による脱毛で悩む方のインタビュー記事を読んだから。
その時は気の毒だな…と思いつつ正直、他人事だったと思う。
でも、以前、ネットの記事で目にした症状が、いま自分の身に起きている。
床の上に落ちている無数の髪の毛を見ながら会ったこともないその人を想う。
我が家のフローリングの色は白。
いつもより量の多い、落ちている髪の毛が、とても目立った。
お気に入りの白いフローリングだったのに。
白いフローリングの家を選んだことを少し後悔した。



⑤上がったり下がったりを繰り返す熱

わたしの当初の自宅療養期間は8月6日までだった。
自宅療養解除の目安は発症から10日間経過し、さらに熱冷ましの薬に頼ることなく熱が下がった日から72時間経過時点で、熱が出ないと確認後に療養終了となる。
わたしは39度近い高熱が出たのは最初の2日ほどで、熱冷ましの薬のおかげもあるだろうがその後数日は、37度台になり熱は落ち着いていた。
しかしコロナウイルスは簡単にわたしを開放してはくれなかった。
夜、なんだか体が熱く異常に汗をかく、と思い熱を測ると突然の38.8度。
ついさっきまで37度後半だったのに…。
予想もしなかった高熱に信じられず何度も熱を測り直した。

(こんなに短時間で急変するんだ…。)

療養期間終了まであと少し。
外に出られるようになったらコンビニにかき氷を買いに行こう!と楽しみにしていたのに。

そこからわたしの熱は下がることなく、まるで振り出しに戻ったかのように、また苦しむことになった。

肺の痛み。頭の痛み。吐き気。止まらない咳。
苦しかった。
勝手に涙が出てきた。
あまりの苦しさに病院に電話しようと思ったが、思考回路が完全に停止して、いま自分が何をすべきかの判断が出来なかった。
何かあったらすぐに電話してと保健所の方に言われていたが辛すぎて、電話番号を入力する気にもならない。
本当に辛いときって、人間なにも出来ないんだなと思った。


━食事について━

感染期間中は、ゼリーかフルーツジュースしか口にすることが出来なかった。
コロナになる前は毎朝ヨーグルトに蜂蜜をかけたものを食べていたのだが、ヨーグルトのねっとり感を気持ち悪く感じ、まったく体が受け付けず…。(本当はヨーグルト大好きなのに。)
味覚・嗅覚が無くなってからは更に食欲が落ちてしまい、唯一食べることが出来ていたゼリーでさえ受け付けない日も…。
そして、普段はあまり食べることのないかき氷が食べたくて食べたくて、たまらなかった。

コロナは本当にいつ感染するか分からない。
もしかしたらもうすでに菌を保持していて、明日突然、熱が出る可能性も大いにあり得る。完全に明日は我が身状態だ。
そして、もし感染してしまったらしばらくの間、家から出ることは出来ないので元気なうちに、食料の備蓄をしてもらいたい。
最低限、ゼリー飲料やゼリー、そして高熱からの「脱水」による、症状の悪化を防ぐためにも飲料水やスポーツドリンク、経口補水液は余裕を持って多めに用意して欲しい。食欲が回復した時のために、レトルト食品の用意もあるといいかも。


※食料ではないが、トイレットペーパーやティッシュペーパーなどのペーパー類は普段から余裕を持って買っておくべきだと心から思った…。
なぜなら、普段、ペーパー類に関しては切れそうになってから買いに行っていたわたしは、まさかコロナになるとは思っていなかったのでどちらも残りが少なくひやひやしながら使っていた(泣)
皆さまお気を付けを!
そして氷枕のような、あたま全体を冷やせるような物もあれば嬉しいかも。


━保健所の対応(配給サービス)━

保健所から連絡が来たのは陽性になった2日後。
その日から毎日12時~14時の間に職員の方から電話がかかってきたのでその都度、体調報告をした。
肺が痛くてたまに呼吸が苦しいこと、水分をしっかりとってくれと言われても飲み物が底を尽きてきたと伝えると(水道水を飲めばいい話なのだけど)、血中酸素飽和濃度を測るパルスオキシメーカーと食料をすぐに送りますと言われ毎日まだかな、まだかな?と待っていたが届いたのは手配しましたと報告を受けた6日後…。
同じ区内なのにどうしてこんなに日数がかかるの…。
疑問に感じたが、救援物質を送ってもらえるだけありがたい!と思い気を取り直した。
届いた救援物質は段ボール2箱分の食料等に加え2リットルの水が6本。
中身はこんな感じ。

画像1

画像2

送ってもらったことは本当にありがたいと思ってる。
思ってるけど、箱の中に入っていた乾麺や大盛り焼きそば、かすうどんや缶詰などを見てこれは病人に送る内容じゃないな、とも思った。
ほんとに苦しいときに乾麺を茹でて調理はしないだろうし、脂っこい大盛りの焼きそばも食べないと思う。(わたしだったらの話だけど。)
トマトジュースも、たべっこどうぶつも、あみじゃがも、リプトンも、元気な時だったらすごく嬉しいけど、大好きなものだけど。
いまじゃなかったかな…。
どちらかと言えばこの内容は症状が安定した人用のものに感じた。
症状が安定してきた人にとっては、失った栄養やカロリーを補給するのに優れた内容だと思う。
(本音言うともう少し内容を見直してもらいたいかな。)
でもお水とゼリーは本当に助かりましたので、ありがとうございました!

※わたしは東京23区在住ですが、保健所の方にお願いすればこのような配給サービスが届く可能性があるので、食料が尽きて困り果ててしまう前にぜひ職員の方に相談を!!
そして到着までにかなり時間がかかる場合もあるので相談はなるべくお早めに!


後遺症について━

自宅療養期間が終わり、外に出ることが許可されてから今日(9月7日)で約1か月。
わたしの嗅覚はまだ完全には戻っていない。
味覚は自宅療養期間内に治ったのだが、嗅覚に関しては治りきっていない。
その他にも後遺症として、脱毛・めまい・息切れ・倦怠感・頭痛・睡眠障害・吐き気がある。
特に辛いのが、長時間パソコンの画面を見ているとめまいがして焦点が合わなくなり、それに伴いおきる吐き気。
本業でも基本的に1日中パソコンを使って仕事をしているし、ライターの仕事も、もちろんパソコンを使っている。
コロナになる前と後では確実にコロナ感染後の作業効率は低下した。

「無理せずつらかったら早退して。」
と言われたけど、1か月ぶりに出社したわたしの机の上には、早急に整理し作成しなければならない書類や資料がてんこもりに置かれていた。
会社を1か月休んだし、とても早退できる雰囲気ではない…。
自分と同じように後遺症で苦しみながらも日々の生活を送っている人はどれだけいるんだろう。
コロナも本当につらかった。
でも後遺症はもっとつらい。
どうかわたしの大切な人たちがこの苦しみを味わいませんように…。


━コロナ差別━

「コロナになったのは自業自得。気が緩んでたからでしょ。」
1か月ぶりの職場。
そして1か月ぶりに会った、上司に言われた言葉。

━わたしの中の何かが、ポキッと折れた瞬間だった。


コロナ差別。
自分がコロナに感染する前から、たびたび耳にしていた言葉。
少し前まではきっと、どこか他人事のように感じていたこの言葉。
まさか自分がその差別を受けることになるとは、思ってもみなかった。

コロナ差別について調べている時、ふと目に止まった岐阜県恵那市のホームページ。そこには、こんなことが書かれていた。

ウイルスがもたらす第3の感染症は
「差別」「嫌悪」「偏見」です。
不安や恐れは人間の生き延びようとする本能を刺激します。
そして、ウイルス感染にかかわる人や対象を日常生活から遠下げたり、差別するなど、人と人との信頼関係や社会の繋がりが壊されてしまいます。
特定の人・地域・職業などに対して「危険」「ばい菌」といったレッテルを貼る心理によって差別や偏見はおこります。


1か月ぶりに出社してわたしは、会社の物にさわるのが怖かった。
みんなが共用で使う物をさわる際には何度も何度も念入りに、手をアルコール消毒した。
トイレに行くのも控えた。
なるべく自席から立たないようにした。
会話にも加わらないようにした。

自分はバイ菌扱いされている。

言葉にしなくてもひしひしと感じるその空気に、わたし自身も空気でいようと思った。いや、もう「無」でいようと思った。


どれだけの人が、心ない言葉と態度に傷ついているんだろう。
誰にも言えず、抱えている人もいるのかなと考えると胸が痛い。
優しくして欲しいなんて思ってない。
でも、心まで傷つけないで欲しい。

お願いがあります。
コロナ感染をしてしまった経験のある方に対し、過度に恐れその人を遠ざけるようなことはしないでください。
誰もが、誰かにとっての大切な存在です。
自分にとって大切な人が差別を受けている状況を想像してみてください。
悲しいです。苦しいです。
戦う相手はコロナであり、決して人ではありません。
少しでもコロナ差別で苦しむ人が減るよう、正しい理解をよろしくお願いします。

どうかコロナが1日でも早く終息しますように。

そして皆さまの大切な人がこんな苦しみを味わいませんように…。










この記事が参加している募集

振り返りnote

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?