【ここに来るまで】 34歳でニュージーランド移住を実現できた秘訣3つ
移住したのは1999年で現在とは状況も大きく違うと思いますし、僕のケースは応用するのが難しいかもしれませんが、海外移住を考えている皆さんの参考に少しでもなったら嬉しいです。
海外移住できた秘訣
✅ 目標に向けての「地道な行動」と「諦めないこと」
✅ 運とタイミング
✅ 人とモノのご縁が繋がっていた
🌈 ニュージーランドとのご縁の始まり
1994年から1996年まで、文部省の教員プログラムでニュージーランドに派遣され、高校で日本語を教えていました。それ以前はニュージーランドとは全く縁がなく、知っていたのは羊とキウイフルーツの国ということぐらいでした。
このプログラム(外国教育施設日本語指導教員派遣事業)は、現職の教員を海外に日本語指導教員として派遣するものでした。単身赴任を想定していますが、当時新婚2年目だった僕は妻と一緒に赴任しました。
🌈 移住したいと思うようになった
ニュージーランドの高校教員としての仕事はハードでしたが、約2年の任期中に、ゆるやかなライフスタイル、自由度の高さ、自然に惹かれ、移住したいと思うようになりました。
妻と過ごす時間、そして、任期中に生まれた長男との家族の時間をゆっくり持てたことも移住したいと思った理由の一つです。
日本に帰国し、派遣される前に勤務していた高校で2年勤め、別の高校に転勤した1年目の途中で永住権を取得することができました。そしてその高校を1年で退職し移住しました。
実現まで3年かかりましたが、振り返ると実現できてラッキーとしか言いようがありません。
海外移住できた秘訣
✅ 目標に向けての「地道な行動」と「諦めないこと」
今だったら、「ニュージーランドに幸せな移住実現」と紙に書いて貼り、ニュージーランドで幸せに暮らしている自分と家族をビジュアライズし、その幸せな感覚を想像しながら味わうことなどをしているかもしれません。
しかし、当時は願望実現についてのノウハウには関心がなく、ただ移住したいという熱意と願望だけで動いていました。いろいろと調べて、その実現に向けて地道に行動し、一つ一つの事務手続きを進めていました。
永住権の申請受付は香港のニュージーランド移民局が行なっていたので、ニュージーランドの弁護士と日本の僕と三者でのFAXと電話でのやり取りでした。これには手間と時間がかかりましたが、諦めなかったのは移住したいという気持ちが強かったからだと思います。
✅ 運とタイミング
永住権取得には、年齢、学歴、職歴などによって得られるポイント数が審査基準に達していることが必要でした。僕はたまたま修士号を取得したタイミングだったので、ポイントが増え、申請条件を満たすことができました。時期が遅くなり、一歳年齢が増えると、ポイントが減ってしまうタイミングでもあったので、最善最適のタイミングで申請できました。そして、家族の理解を得られたことも大きかったですし、多くの点で幸運が重なっていました。
ただし、条件を満たしていても永住権を取得できない可能性もあり、連絡待ち、回答待ちの期間が続いた宙ぶらりんの状態の時期もあり、不安になることもありました。この不安な気持ちに現実が引きずられる可能性があったことを今は強く感じるようになったので、そうならなかったことも幸運でした。
✅ 人とモノのご縁が繋がっていた
長男がニュージーランドで生まれ、ニュージーランド国籍を取得することができ、旅行者や滞在者としてではない、国としてのニュージーランドとの結びつきが強まった感じを持つようになっていました。
また、約2年の任期を通して人との繋がりができていたことも、永住権取得に向けて行動していく励みになっていました。
任期中に購入していたソファなどの家財道具を友人に預けて帰国したことも、ニュージーランドとのご縁を繋いでくれたと思います。
見えない心をつなぐために、モノや場の重なりが大切だと思うようになったので、あのソファに改めて感謝です。
この記事は、リコさんの記事に刺激を受けて書きました。リコさん、ありがとう!
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