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【グリーフ(悲嘆)】 エリック・クラプトンの「Tears in Heaven」と13年という歳月

この記事シリーズでは、僕のグリーフ(悲嘆)と現在に至るまでのあゆみを書いています。

🌈  グリーフ

グリーフ(grief)とは死別や離別などの喪失体験による悲嘆や反応(心や身体などに引き起こる状態)です。

僕は移住先のニュージーランドで5年前に最愛の妻の他界を経験し、僕の人生で最も深いグリーフに直面しました。

グリーフ当初は自分の心が壊れてしまいそうでとても不安でした。この後どういう心理的プロセスを辿るのかを知りたい気持ちもありましたが、グリーフ関係の本を読む気力もありませんでした。しかし、そんな時でも短いブログ記事などは緊張せずに読むことができ、大変助けられました。

グリーフは人それぞれですし、タイミングや心の状態でこのような記事を読むことが難しい方もいらっしゃるかもしれません。しかし、僕の経験がほんの少しでも誰かのお役に立てればという想いから、勇気を持って記事として発信します。

🌈 エリック・クラプトンの「Tears in Heaven」と13年という歳月

この記事では、『その悩み、哲学者がすでに答えを出しています』(小林昌平著)という本で紹介されているイギリスのミュージシャン、エリック・クラプトンの「Tears in Heaven」と13年という歳月についての文章を引用し、僕のグリーフプロセスについてお伝えしたいと思います。

1991年、まだ4歳だった息子のコナーくんが、アパートの53階から転落して亡くなりました。クラプトンは悲しみのあまり外に出ることができず、息子の死を悼んで書いた曲が彼の音楽キャリアの代表作となります。クラプトンは天国の息子に会いたいとしながらも、こう歌うのです。

「自分は息子がいる天国にいるべき人間じゃないの」
「僕はこの世で自分の進むべき道を見つけていくのだ」

息子のことは今でも愛している。だが自分は現世で生きていくほかないのだと。

のちに、彼はこう語っています。
「僕は自分のために音楽を、ほとんど無意識のうちに治療薬として使っていた。そして驚くことなかれ、うまくいったよ。音楽から多くの幸せと癒しをもらったんだ。」

クラプトンは息子コナーが亡くなって13年後の2004年にこの曲の演奏を封印します。

「もう喪失感がなくなったんだ。その曲を演奏するときに心を占めていたものがね。演奏するときは曲を書いた時の感情と融合しなくちゃならない。その喪失感がなくなったということだね。本当に戻ってきてほしくないよ。僕の生活は今では違う。たぶんこの曲には休息が必要なのさ。そしてまたいつか僕はこの曲を、感情的に距離のとれた場所から披露する日が来るだろう」。

『Tears in Heaven』をめぐるクラプトンの回想は、失った愛息への「喪の仕事」の完了を物語っています。こうなるのには時間のかかる、長い道のりだということはもうおわかりでしょう。「喪の仕事」の完遂、つまり喪失を悲しみつくすには、数カ月はもちろん、数年、いやクラプトンのように10年以上かかるのかもしれません。途方もなく長い、恢復への道のり。
 だが必ずや、悲しみつくすことそのものに、癒す力があるのだと、フロイト理論を受け継ぐ臨床医キューブラー = ロスも証言しています。

「最悪の状況の中でも、人間は希望の糸をつむぐ力を持って」おり、「悲嘆の中にこそ、生に向かって回復する力がある」(『永遠の別れ』)のだと。

目の前の悲しみから目をそらさず、深く嘆き悲しむことこそ、大事なものを失った人ができる大切なことなのです。

小林昌平著『その悩み、哲学者がすでに答えを出しています』

エリック・クラプトンには13年という歳月が必要でした。そして、その長い間、Tears in Heavenという曲が心の支えであり癒しであったのです。


🌈 僕のグリーフプロセス

妻が乳がんで他界した後、僕は何もできない期間があり、4ヶ月間の休職をしていました。その時は僕の人生で最も暗い世界にいました。移住先のニュージーランドで最愛の妻が他界するという現実を受け入れることが苦しく辛く、何もできない状態でした。

のちに、僕が想像もできないほどの暗闇の世界を彷徨っている人たちの存在に気がつきましたが、その時の僕はグリーフと自分が一緒になっていて、何を見ても何を聞いても全てが悲しみにつながっていました。だから、もう笑顔になることは一生ないだろう、もう幸せにはなれないだろうと感じていました。

そんな絶望の中で救いになったのが、グリーフスペシャリストのサポートでした。ニュージーランドでは、グリーフの専門家による支援(英語)が無料で受けられたのです。最初は数日に一度のセッションが必要でしたが、徐々に週に一度、そして月に一度と間隔が空けることができるようになっていきました。

セッションは英語で行っていたのですが、精神的に苦しい中でグリーフ感情を英語で表現するのはエネルギーが必要でした。そんな時、日本の友人たちが大きな支えとなってくれました。コロナ禍の影響もありZOOMが急速に普及したため、顔を見ながらお話しすることが容易になったタイミングでもあり、たくさんの人に支えられました。グリーフを抱えている人との会話は大変なことだと思うのですが、お話をしていただき、また、本気で支え、応援していただきました。その頃、教えてもらったえ言葉、「話すことは放すこと」「言えることは癒えること」は、僕の心に深く響きました。

🌈  自分の中の悲しみに気づいた時、他者の悲しみにも敏感になる

グリーフの形は千差万別です。その人にしか分からない、固有のものです。、僕も自分が抱えているグリーフは誰にも理解してもらえないということを感じましたが、それだけにそのグリーフを愛おしく思えるように変化していきました。また、自分の中にある悲しみに気づくことで、他者の悲しみにも敏感になることも経験しました。

僕を担当してくれたグリーフスペシャリストはお子さんを亡くされた方でした。そのことを知った時、涙があふれて止まりせんでした。以前だったら、一つの事実として冷静に受け止めていただけだったと思います。でも、彼女の悲しみをほんの少しでも想像することができ、その悲しみが自分の悲しみと重なりました。そして、自分がセッションを受けている立場でしたが、この人の助けに少しでもなれたらとさえ思いました。

🌈 音楽との出会い

僕はミュージシャンではありませんでしたが、グリーフをきっかけに、作詞をし、歌を歌い始め、日本各地でコンサートを開催するようになりました。エリック・クラプトンのように、僕にとっても歌を歌うことが癒しのプロセスになっているということを強く感じています。

もしこの文章を読んでくださっているあなたがグリーフを抱えているとしたら、ほんの少しでも参考になったら幸いです。そして、時間がかかっても、いつか笑顔で朝を迎えられることを心から祈っています。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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