行方知れずの心と、15年前の手紙
昔むかし。
束縛夫の反対を振り切り、無印良品で働いていたときのこと。
スタッフルームのロッカーによく、手紙が忍ばせてあった。同時期に働き出した「大久保さん」からのもので、そこにはささやかな日常やくすっと笑えるエピソード、ちょっとした悩み事が綴られていた。
私たちはお互い口下手だったこともあり、手紙のやり取りを通して交流を深めていった。
先日、断捨離と意気込んで盛大に部屋の片付けをしていたとき、彼女からの手紙の束がひょっこり現れた。
懐かしさで焦る気持ちを抑えながら
「宛先 わたしのロッカーの左どなり よすてびと様」
と書かれた封筒を開くと、ブルーの便箋にきれいにならんでいる文字が目に入る。
丁寧に書かれた美しいくも丸みのある文体は、彼女の実直でやさしい性格を思い出させた。
ーーー先日、恥ずかしいことがありまして。整骨院にいったら、あまりに痛くて、とっさに先生の手を払いのけようとしてしまったんです。先生もおどろいてました。。よすてびとさんが「ギブ!」と叫びそうになったのもわかる気がしました。
15年もの時を超えて、彼女の手紙が私を癒やしてくれた。
いつも小さなことから楽しみを見出そうとしていたチャーミングな彼女との思い出が鮮明に浮き出てきた。
それだけでなく、思慮深く、相手を尊重し、決して前にでしゃばることない人だった。
片付けを途中でなげだした部屋に正座したまま、夢中で何通か読んでいく。
――― 心が貝のように閉じてしまうときって、何もはいってこないんです。やさしいなぐさめの言葉も、美味しいご飯も入らないんだなって知りました。そんなときもありますよね。
一人で悩んで、物事を深く熟考し、消化する。そして自分なりの答えを出していく。そんな彼女の生き方が好きだった。
そして。もう何年も会っていないというのに、今でも私にとって彼女が特別なのは、大人になる過程の大事な時期を共に悩んで過ごしたからかもしれない。
20代半ばの私たちは、仕事をし、子育てをし、悩みながら、文通した。
やがて
「人の痛みに鈍感になることや気づかないふりをするのは、心が強くなることとイコールではない」
という結論に達したようだった。
私たちらしい結論だった。
大人ってなんだろう。心の強さってなんだろう。
そんな問いを持つ精神的に成熟した彼女とのやりとりは、確実に、今の私の一部になっている。
いつの間にか途切れてしまった文通は、どちらの番だったのだろう。
そうだ、彼女に手紙を書こう。と思い立った。
手紙を書くだなんて、何年ぶりか。
彼女の好きそうな便箋に、できるだけ丁寧に文字を綴っていく。
そういえば
彼女とすごしていると、周囲の空気までが柔らかくほぐれていくような気がしたな。どこまでも優しい人だから。
誰かを想い、一文字ひと文字を綴る。
そんな時間をもてることさえ、今の私には幸せだとしみじみ感じながら。
行方知れずだった私の心が、見つかったような気がした。
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