離婚ですべてを失った私がすがったのは、たったひとつの "夢" だった
夢追い人は「夢で食べていく」と決意する。
けれど、夢を追う最中は逆で、"夢" を食べて生きているんじゃないか。
自分の過去をふりかえると、そんな風に思ったりする。
32歳の時。12年の結婚生活が終わり、すべてを失った。
お金も家も人間関係も、そして子ども2人をも。
当時の私は、夫の暴力から逃れるため家を出ると、そのまま弁護士事務所に駆け込んだ。
経緯が複雑なので端的にいうと、20歳から専業主婦で超世間知らずだった私は債務整理を得意とする弁護士事務所に相談してしまい、結果、子どもの親権を得ることができなかったのだ。
32歳にして履歴書は真っ白。学歴も経験も社会人経験もほとんどない(パート勤務くらい)。でもこれから自活していかなきゃならない。
そんな状態で上京し、東京に住む妹の家に身をよせた。
たったひとつの「夢」だけを握りしめて。
なにも持っていないから、夢に向かって突き進むしかなかった。どんなに困難な道のりでも、他に選択肢はない。
ふるえるほどの不安と恐怖に押しつぶされ、すくみそうになる足を一歩ずつふみだす。
何度、思っただろう。
「失うくらいなら、いっそ、"夢" のままにしておこうか」
その時の私は、夢やぶれることが何よりこわかった。
たったひとつの夢さえも失ってしまったら、もうなにも残らない。
きっと私は、完全に生きる意欲を失ってしまうだろう。
くるりと後ろを向いて逃げ出したい、そんな気持ちと戦っていた。
でも
どんなにかっこ悪かろうが、人から笑われようが、腹の底から沸き上がるほどの感情に気づかないふりなどできなかった。
結果、ほんとうにかっこ悪かったし、人からも笑われた。無理、という人もいた。世間知らずの主婦、といわれた。
それでも、なりふり構わず、夢を追った。
チャンスというチャンスはことごとく私を素通りしたけれど、最後まで夢にしがみつき、放すまいと思った。
1mmでも夢へ近づくこと。それが私の生きるすべてであり、それだけがよろこびの日々。
底なし沼にハマって、もがいてももがいでも一向に進めない。ただ沈まないようにジタバタするだけで精一杯。
何年も、そんな気分のときがあった。
ようやく底なし沼からはいでたものの、でこぼこ道でつまづいたり、道に迷って遠回りしたり。
まさに、3歩進んでは2歩さがる。
何度も、諦めようと思った。
でも、どうしてもだめだった。
諦められたら、どんなに楽だろう、と思った。
ボロボロになりながら、1mmずつ進んだ先に、それはあった。
5年という月日をかけてようやく、焦がれるほどの想いはむくわれたのだった。
前髪しかないはずの幸運の女神は、何度もそれを掴み損ねたどんくさい私のために、後ろ髪を伸ばしていてくれたに違いない。
こうして私は
「夢を食べる人」から「夢で食べていける人」になったのである。
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