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親は子どもにとって環境でしかない

こんにちは、まみです。前回、有能さの条件の1つに自分の役割を明確に理解することとしました。

では、子育てにおいて毎日赤点なので有能になってみたい、と思い今日は、そもそも子育てにおける、親の役割って何かな?というお話。

親ができることなんてたかが知れてる

私には2人子どもがおりまして、上が8歳、下が5歳です。先日思いがけず、上の子が確定的ではありませんが定型発達であろう、ということが判明しました。まぁうちは夫が定型ですので、そんなこともありうるわけですが、てっきり発達障害の子を育てる気満々で超情報収集していたので、正直戸惑いました。いや、この感覚はご理解いただけないかもしれませんが、私は自身が発達障害を抱えていますので、娘と私はタダでは「到底理解し合えない相手」であることが判明したということになります。つまり家庭内ダイバーシティが発生しました。いや、まぁ夫とも違っているのでそもそもあるわけなのですが、彼は大人なので理解できなければ踏み込まなければ良いだけなんですよね。でも子どもはそうはいかないですよね。しかも「あうん」の呼吸が通用しないわけで。まだ小さいのでそこまで顕在化しませんが、ここのところとんでもない成長を遂げている、しかも女の子。そのうち気づくのでしょうね、「違い」に。そんな彼女に私が何を教えてあげられるでしょうか。

私は発達障害者としてのライフハック術はある程度心得ております。というよりしたくなくても習得してしまったわけです。だからもし彼女が発達障害であれば私がその秘伝の術を伝授していたことでしょう。さて、それはきっと良いことだと思ったそこのあなた。本当にそう思いますか?だって発達障害と一言に言っても千差万別。たった一人として同じはないんです。だから彼女が発達障害で私がこうしたらいいぜ、ああしたらいいぜ、などとあれこれ口出ししたら、思春期には「うるせぇ、ババァ!」とブチギレてくることは目に見えております。怖い怖い。などと考えを巡らせた結果、いや、そんなこと言い出したら、定型発達の子どもだって千差万別ではないかと気づきました。ということは、私が発達障害の子を育てるときにこうしようと決めていた、「できないことは適当に捨て置いて、できることにフォーカスしよう」ていうのをそのままトレースして実践するだけなのか、と気づきました。ただ、定型発達の子は凸凹が明確ではないですので得手不得手が見えづらいというだけの話。あぁだこうだと親の私が言えることなんて、ないな。と、はからずも気づいてしまいました。

親自身は子どもの最大の環境である

とは言えですよ、私が何もしないのは違うわけですよね。だって、親だし。じゃぁ私がやることって何ですか?っていうのが今日の本題。

そもそも子どもの「好き」を育てるってどういうことなのでしょうね。好きを3つの要素に分けると「没頭できること」、「できること」そして「継続できること」となるのでしょうか。そして、その「好き」っていうのは、この3つが重なり合うごくわずかの領域を見つけることなのかなと思います。図に起こすとこんな感じ?

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3つも要素があるわけなので、どないしたらいいねん、ってことですよね。だって大人だってこれを明確にわかる人、います?しかも社会は激変の最中で必要な要素なんてわかりっこないのに。でも、つい大人は「これからの世の中、英語が必要だよね。」とか、ちょっと古めの知識でレールを敷いてしまうわけです。だって苦労してほしくないから。でも、まぁ子どもは適応能力高いし、大人の期待に応えたくなりますのでできることの要素をクリアしちゃったりします。ただ没頭したり継続したりするのは、本当に難しい。できないですよね。

最近思うのが、色んな事にチャレンジするのがやっぱり良いのかなと思ったりします。物事は一つの要素で構成されているわけではないのです。掛け算です。私は裁縫するのが好きですが、計算もセンスも手先の器用さも、何より論理的思考も求められます。何かのプロジェクトをきっかけにスキルを習得しにかかるわけで、そういう入り口が最も継続と没頭につながると思っています。いくつかそういうプロジェクトを経験する中で、そのスキルの掛け算パターンを増やしていくというのが成長なわけですね。

勘違いしないでくださいね!親がそのスキルを考えて、子どもにやらせるのは絶対ベクトルが違ってますよ。我々親ができることは、自分自身が色んなことに興味を持ってやってみること、です。子どもは親をめっちゃ見てます。親が色んなことをやっている=自分もやっていいんだと「子ども自身」が認識することが重要です。その中で勝手に自分で「好きなこと」を見つけていきます。そして、どうやってわからないことを調べるのかな、といった未知のものに対する探索のHow toをあくまで主体的に知ろうとします。主体的にやるって、これつまり、サバイバル能力の構築ですよね。これこそがホントに重要です。つまり、親は子どもの環境にしかなれない。でもその環境が子ども自身の生き抜く力を育てる最大にして最強のツールとなるのではないでしょうか。

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