見出し画像

父のmemoremo②:病との闘い

父のmemoremo①:ご挨拶、闘病のはじまりに続く「病との闘い」です。


*⁎ʚϊɞ*✲゚*。⋆ *⁎ʚϊɞ*✲゚*。⋆ *⁎ʚϊɞ*✲゚*。⋆ 

年が明けて、2020年。
さらなる試練が父を襲います。

お正月三が日の間に、家の中で転倒して頭を強打。それが原因で1月と2月、2度も硬膜下血腫の手術をする羽目になりました。

わたしたち親族からすると、
「どうしてこんなことで、余計な体力を使わねばならない?!」
と、ただただ悔しく、嘆かわしい出来事でした。

硬膜下血腫の手術の時点で、予定していた脊椎の放射線治療が延期に。
一方で、がんはすごい勢いで父の体を巣食っていき……1月17日(金)には、予後3ヶ月の宣告。

主治医は、「予後については余程強く尋ねられない限りは本人には話さない、けれど、今の体の状態は話さねばならない」とおっしゃって。
父が生きる意欲を失わないよう、細心の注意を払いながら父に事実を告げられました。

それにしても、たった半月で予後が半分だなんて……。
それは命があるのが3ヶ月ということですよね? 実際に体が動いて、意思疎通が図れるということになると、もっと短いですよね?とわたしが主治医に尋ねると。
「そういうことです」と。

……なんと無情なことか。
本当に信じられませんでした。

2月、3月と脊椎の放射線治療をしたり、硬膜下血腫の再手術をしたりしているうちに、あっという間に日々は過ぎ去り。

徐々に痩せ衰えていく父を見ていて、「3月いっぱいもつだろうか?」と思っていました。

その頃、父とわたしはちょっとした諍いを起こし、しばらく会わない日々を過ごしていました。

そんなある日、わたしの次女の進路が決定したことを報告しに両親を訪れると、玄関で待っていたわたしを父が呼んでいる、と。

なんでしょうか?と顔を覗かせると、父がこう言ったのです。

「(父自身の)妹に言うとけや、ワシの香典はいらんから、孫娘の入学祝いにしてやってくれって」

何を弱気なことを!と思い、「何言いよん、そんなに顔色の良いひと、死なへん!」とわたしが返すと、父はニヤリ。

父とわたしが和解した瞬間です。

その翌日から、父はまた嬉しいワガママを言ってくるようになりました。

「とんかつが食べたい、連れて行ってくれ」……ハイハイ、いいですよ、食に対するその貪欲さには感心する!と答えるわたし。

……病院に入院していた時には、こんなひと幕がありました。

母とわたしは毎日見舞いに訪れていたのですが。
あまり毎日だとこの子(わたし)も仕事があるのに大変よ……と、母が父へ告げたところ。
父は少し押し黙り、弱々しく笑いながら

「実の娘なんやけん、ええやないか」

と言ったんです。

そんな父を見て、“そうよね、いいよいいよ、わたしにできることはなんでもする!”と思ったものです。

*⁎ʚϊɞ*✲゚*。⋆ *⁎ʚϊɞ*✲゚*。⋆ *⁎ʚϊɞ*✲゚*。⋆ 

③【最期のとき】へと続きます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?