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子育て中の母の気持ちは、ドリカムじゃなくて篠原涼子だった件

息子がかわいい。

多くの妊婦が産前に感じるという、
「生まれた子どもをかわいいと思えるのだろうか……」
という不安を、御多分に漏れず私も感じていたのだが、幸いにも今のところ、生まれた息子は大変かわいい。

具体的に言うと10分に1回「〇〇くんは本当にかわいいねぇ」って声をかけちゃうくらいかわいい。

こうしてまた一人、地球上に親ばかが増えました。

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子どもの頃から、自分より小さい子を見つけると、率先してかわいがりにいくタイプだった。

近所のちびっこ。親戚の子ども。友だちの産んだ子。
赤ちゃんや小さい子を見ると、ただただアドレナリンが湧く。
抱き、あやし、走り回り、翌日筋肉痛になって母に呆れられる……ということを何度くり返したかわからない。
あまりにも全力でかわいがってしまうから、「これを職業にしたら心身がもたなかろう」と思って、保育士や教師の道を進路から外したほどである。

そんなわけだから、自分に子どもができて、「その子がきちんとかわいいと思えたならば」(この辺りの表現に産前産後メンタルによる葛藤が感じられる)、私はもう愛情も喜びも大爆発で、めっちゃくちゃに幸せ! 幸せ! 幸せ! ……となるんだろうな、と、思っていた。漠然と。
そう、それは例えるならば、満面の笑みの吉田美和

『うれしい!たのしい!大好き!』

なのかな、と。

やっぱりそうだ あなただったんだ うれしい! たのしい! 大好き!
何でもできる強いパワーが どんどん湧いてくるよ

的な(ドリカムの恋愛って楽しそうだ……)。
でも違った。少なくとも、一か月息子と生活を共にした私の実感として、子育てはドリカムより篠原涼子に近かった

つまるところ、『愛しさとせつなさと心強さと』だ。

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例えば……というか、先日実際にあった話だが。

息子の沐浴を終え、保湿をして服を着せたところで、ふと彼の鼻の穴の入り口に、鼻くそがこびりついていることに気が付いた。
おお、人間らしくなったものだ……と感動しながら(鼻くそ一つで感動されるのが赤子という生き物)それをベビー綿棒でとってやっている時、ふと「そういやこいつ、耳掃除したことないな」と思い出した。
同じ綿棒の反対側を使って、耳の表面をくるくるり。もう一本使おうかどうしようかと、ベビーグッズをひとまとめにしている箱を見ると、今度はベビー用爪切りばさみが目に入る。ああ、そろそろ爪も伸びてるか……。
小さい指を手に取って、そーっと、そーっと、わずかしかない白い部分をちょきっとした瞬間、唐突に私は思った。

この子は今、自分一人じゃ何もできないんだ……!

大人なら、鼻や耳が「気持ち悪いな」と思えば、自ら垢をとる。爪が伸びて不便になってきたら、パチンパチンと短くする。お腹が空けば冷蔵庫を開けたり店に買いに行ったりするだろうし、眠くなったら適当な布団で温度調節をして、快適な状態で眠るだろう。

ところが息子はどうだ。今挙げたもののうち、一つたりとも自分で行えるものが存在しない。
自分のありか。快不快。健康。命さえも、母親である私(里帰り中の為父親である夫はひとまず除外)に委ね、そのことに疑問すら抱いていないなんて。

うっかりすると涙がこぼれそうであった。

まだろくに見えない目をこちらに向け、ふにゃふにゃとした体を預け、何ならその小さい手で服にしがみついてくる。
そんな息子に今私は、全力で必要とされている……!!



「愛しさ」
説明はいらないだろう。

「せつなさ」
小さくて儚くて心もとない生き物と対峙した時に湧き出る感情。そして、そんな貴重な時間は砂時計の砂のごとく、この瞬間にも少しずつ少しずつ消え去っていっているという事実。

「心強さ」
三十年ちょっと生きてきて初めて、その存在に「私」が確実に影響している人間の出現。何を返してくれなくとも、鼻くそだって耳垢だってとってあげられるし、爪だって切るし、望むことなら何だってしてあげられる、いや、してあげたいんだ!……という、強い気持ち。そんな気持ちを持てるようになった自分に対する誇らしさと、自己肯定力の向上。


脳内を駆け巡る小室サウンド。
目に浮かぶのは、肩パッドを入れてた頃の篠原涼子。

『愛しさとせつなさと心強さと』は、確かに私の子育ての日々を体現している言葉なのだった。



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ちなみに、『愛しさとせつなさと心強さと』の2回目のサビ、

悲しくて泣きたくて叫びたくても
あなたを信じてる 言葉にできない
あやまちはおそれずに進むあなたを
涙は見せないで 信じていたいよ

を、今回歌詞を調べ直して読んだ際、成長した息子が困難に立ち向かってゆく様を、手助けしたいけどしてはいけない……!と、涙をこらえながら必死に見つめる、というシーンが脳裏に浮かんだ。

そうとうキているだろうか。

今や二児の母となった篠原涼子の最大ヒット曲。
子育て応援ソングとして、再度広めていきたい所存である。