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3月27日 将来の職業を聞くことの弊害につぃて。

「夢を持て」「夢を語れ」と言われると高校生たちは暗い顔になるそうです。それはそこで「夢」という言葉で指示されているのが、単なる「人生設計」のことだからです。どの学校でどんな専門を学んで、どんな職業に就くか、それを早く決めろと急かされている。早く人生を決めて、決めたレールの上を走って、そこからは外れるなと言われてうれしがる子どもはいません。

内田樹の研究室 2023.8.29「受験についてのインタビュー」より
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この欄でも何度も述べているが、小学校卒業時に文集に入れるからといわれ、将来なりたい職業を書いてこい、といわれ困りきったことを今も覚えている。

またこれもよく覚えているが、中学3年の時にも「将来なりたい職業」を書いてこいと言われ、同じく困り果てた。

内なる答えは小学校時代から不変である。シャーロック・ホームズとアルセーヌ・ルパンが秘めたヒーローであった我が少年時代の夢は、「ホームズみたいにしゃれた家でぶらぶらして過ごす」であったからだ。働く、は1ミリも含まれていない。

所謂英国でディレッタントと呼ばれる階級があることは理解していなかったが、なんとなく「祖先の遺産」に頼ってぶらぶらしている人たちが外国にいる、ということをぼんやりと感知していたわけだ。

幼いころからどうも日本の「少年世界」に上手くなじめないなあ、という気持を感じていた(幼稚園のころのその気持ちをまだ思い出すことができる)せいもあってか、幼年期より海外もの、SF、ファンタジーといったものにある意味逃避して沈潜する癖が出来ていた。だがそのことを誰かに言っても理解されるわけがない、ということも感じていたのだ。言わない方がよい、とも理解していた。

小学校の時は、その思いを「デカい家に住んでデカい犬を飼う」とあえて韜晦を混ぜつつバカのように書くのが精一杯であった。中学校の時は父親の会社名を書いてだしたら、「クラスで一人具体的な会社名なんかを書いて出したやつがおる」と担任のH教師に暴露された。

ここで暴露するのはルール違反やろ、とここでも非常に困惑し、その調子がいかにも莫迦にした感があった気がしたので、余計に怨みに思ったものだ。

そして結局父親と同じ会社にはいったのだった。

こだわりはなかったが、あくまで結果ではあったが、中学3年の時の出来事が0%も関係ないのか、というと0%ではない気がする。

そう、小学校、中学校で将来の職業を聞くことは、なんというか将来の目標を定めさせる、という効果があるにせよ、冒頭で内田さんがおっしゃる通り、「夢を無くさせ、モラトリアム期間を取ることはよくない、というメッセージを感じさせる」残念な効果があると思うし、言っている側は十分そのことがわかっていそうなところがダブルで残念である。

仮に小中時代に内田先生、という先生が担任で、フランス語のすばらしさを語られたのであれば、これはもしかするとなにか違った人生となっていたやもしれない。

まあ、結果的に「食べられない」人生となった可能性は高い。なにしろわが母は、フランス語教諭であった(自身の父親である)祖父を評して、「センセイにだけはなったらアカン」と教えてくれたのだ。「食べられへん」と。

そうか、食べられへんか。で、今になって思えば多分そうなのだ。
因みに父方の祖父もセンセイだった。父親いわく「めちゃ貧乏やった」。

これでは我が行き先に「センセイ」はないのである。結果的に弟は教師になったが。

私は人に教えるのは多分苦手だろう。

だがまあ、「モラトリアム」「働きたくない」の先にある世界。「食べられへん」リスクを飲み込んだ先の可能性が果たしてどうであったか。そんな人生であったのか。

そういうことも、少し考えるときがある。

(ちょっと磨けば光りそうな才能(語学とか)があると、割りと決めやすそうな気がします。ですがその場合、大学で類似の能力で上には上がある、という厳しい体験に出会うのでしょうが。。そんなパラレルワールドの試考には、藤子不二雄の「タイムパトロールぼん」あたりが読んでて楽しいですね。因みに藤子先生が名前を変えたのは1988年、ぼんは1986年までがメイン連載なので、名義はまだ「藤子不二雄」だったころの作品。また石ノ森章太郎は1984年まで「石森章太郎」でした。画業30年を機に変えたそうですが、故郷の地名由来の「石森」(いしのもり、と読む)を誰も「ノ」を入れて読んでくれなかったことが理由のようですね)



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豆象屋
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