蘇る光景

最近、フラッシュバックについて書いていますが、特に蘇るのは母の命の選択をした時の光景なのです。
実家が火事になり、母が運び込まれたという病院に向かっているタクシーの中で、病院からの電話を受けました。
『10分以内で生命維持装置をつけるかどうかの選択を』とだけ言われ、たどり着いた病院は人気もなく真っ暗で、誰かいませんかと叫びながら病院内を走りました。
覚えているのは、部屋から(手術室?)から一人の人が出てきて、『決めたか』と言われ、『つけません』と話したら、誰もいなくなってしまったこと。
その後、しばらくして母が運ばれてきて、『このラインがフラットになったら呼んでください』と言われて、また誰もいなくなってしまったこと。
言われたとおりにしたら、警察が来て、家には帰れないと言われて、母を運んで行った車のテールランプなのです。

その1か月前に夫のがん告知を受けていた冷静ではない私に重なってしまったこの件が、私が『助けられない命に対して医療は冷たい』と思い込んでしまったきっかけになったのだと思います。
だからこそ、私は、『諦めない』『見捨てない』という言葉に縋っていきました。
国民皆保険制度と、臨床試験で有効性と安全性が認められたものは保険適応されるということを理解した時、私は自分が縋っていたものの不確かさに気づいたのです。
そのことから、自分の後悔を公表し、科学的根拠を知る機会を作りたいと思って活動しています。

医療は『治す』というイメージがあったのも、一因だと思います。医療は、『生きる日々を支えるもの』だと思っていたら、私はもっと、自分の苦しみを医療者に伝えていたと思うのです。

映画やドラマで、大きな病院の体制に背いた一匹オオカミのような人が、神業のように命を救っていく内容も、私の思考に影響があったと思います。
今年、英語をきっかけに『グレイズ・アナトミー』や『ER』を一気見しています。
以前にも観ていたのですが、医療者の苦悩や一人の人としての日常が、以前とは違った形で心に響きます。
それで、なぜか、『食べよう』『生きよう』と思う気持ちが出てきました。
これ、なんなんだろう…
今日は、作りすぎですけど😅

画像1

画像2


全国胃がんキャラバン、多くの人にがん情報を届けるグリーンルーペアクションに挑戦しています。藁をもすがるからこそ、根拠のある情報が必要なのだと思い、頑張っています。