大きな壁

母の9回目の命日を迎えます。
母は消火器の傍で見つかりました。出火は電化製品から。死因は煙です。
今、記録的な乾燥による火事のニュースが増えています。
否が応でも、ここから火事の『後始末』が全て終わるまでの想像を絶する数か月が蘇ります。

火事は夫のがん告知から1か月後に起きたことでした。
夫の命に向き合うには、火事に関する自分の感情を封じ込める必要がありました。
新型コロナウィルス感染症の影響で自宅にいる時間が増えていく中、私は目を逸らしてきた『不在』に向き合わざるを得なくなりました。
私には自分が壊れてしまうのではないかという恐怖すら抱きました。

私は3年前にnoteに『6年前の火事のこと』という投稿をしていました。

実は書いたことを自分でも忘れていたのですが、数日前、目にとめてくださった方からのご連絡があり、再度、自分が書いたものを読みました。
【10分で決めてください】【決断から臨終まで私は一人だった】【向けられる視線】
淡々と事実を書いています。
私は母の命を決断したという事実を今も鉛のように抱いています。
火事のことを振り返れたことは、ひとつの前進だったと思いたいのですが、
未だに実家があった場所に行けないままだし、サイレンも火も怖いままです。
先日は、子どもの頃を思い出すことから距離を置く行動をしてしまいました。

がんでも火事でも、私は『失う』経験ばかりしています。どちらも本人ではなく、家族としての経験です。それ故に、自分の視点は独特で、偏屈なんじゃないかと不安になります。
一方、旅立った人は語れないからこそ、家族として経験した立場からの声を飲み込んじゃいけないと自らを奮い立たせることもあります。

これは、「あの時」に止まっているということなのだろうか。
「その人らしく生きる」という言葉を耳にするけれど、私が私らしく生きるってなんなのだろう。
大きな壁に囲まれているように思う時があって、その中で精一杯生きるのか、よじ登って超えた先に違った景色があるのか。

火事の後、試練が続く私を心配した方からいただいた絵。
この額を夫と眺めながら、いつか、「福がきましたよ」って言える日が来てほしいと願ったことを思い出します。


全国胃がんキャラバン、多くの人にがん情報を届けるグリーンルーペアクションに挑戦しています。藁をもすがるからこそ、根拠のある情報が必要なのだと思い、頑張っています。