お別れ

昨日も新たな訃報が届き、一緒の時を過ごし、語り合った人の旅立ちがあまりにも相次ぐ日々に、呆然とするばかりです。
関係があった人の喪失は、衝撃であり、辛いものです。哀惜の念から故人への想いを語ることも自然なことであると思いますし、ここ数日、読む機会もありました。

家族を見送った時のことを思い返すと、『また会えると思っていた』『もう一度、一緒に○○したかった』という言葉に触れることが、私は辛かったです。
もっと、こんなこともしたかった、させてあげたかったということは、本人や家族こそ、ずっと思い続けてきたことだったからです。
死が予見される日々を生きるために、封じ込めなくてはならない気持ちでした。

「これが最後かもしれない」と突きつけられる連続の日々でも、人は、周囲の人を想い、振舞うのだとも知りました。
見えていたよそ行きの姿だけが切り取られ、故人の想いを代弁され、その人生を語られることには、気持ちがついていきませんでした。
逝去の瞬間から、一番悲しい当事者ほど、対応しなくてはいけないことが押し寄せることも経験しました。

あの時、私は、見送ることが私の役目なのだという意志だけで立っていました。
その中で、充分に対応できないこともあり、厚意に対して感謝が足りないと言われてしまう経験もしました。
思い返せば、私は心身極限状態であり、正常な状態ではなかったと思います。

家族は第2の患者と言われはしますが、家族が置かれる状況、抱えるものは、なかなか見えにくいのだと感じています

それぞれの立場からのお別れがあると思います。
大切な存在であった人の旅立ちに際し、遺されたご家族の状況にも想いを馳せ、お別れの時が守られることを願います。

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全国胃がんキャラバン、多くの人にがん情報を届けるグリーンルーペアクションに挑戦しています。藁をもすがるからこそ、根拠のある情報が必要なのだと思い、頑張っています。