「しあわせ」という言葉で蓋をされたくない

この投稿をすることは、またもや『水を差す』ことになりかねず、ちょっと迷いました。
でも、私はAYA世代の会員が多く所属する患者会だからこそ、AYA世代のがん啓発にも取り組んでいるので、言葉にしようと思いました。

昨夜、がんをテーマに作成された『幸福なひと』の後編と、その前に放映された『AYA世代のがんと妊孕性』を視聴しました。
「がんのイメージを変えたい」「がんの正確な現在地を知ってほしい」という想いで制作されたドラマであるというという事前の発信に何度か接していましたし、制作に携わった方々を存じ上げており、その想いは理解しています。
また、取材に応じることの重みを自身でも体験しているので、取材に応じた方々の想いの尊さも感じました。

ただ、正直なところ、私は視聴後、なんとも言えない気持ちになってしまったのです。
『しあわせ』という言葉でまとめられていくことに複雑な気持ちを持つ私は偏屈なのかなと悲しくもなりました。


妊孕性温存に関しては、背景、状況により様々な選択と、選択後の苦悩に接しています。
温存の選択後、遺族となった配偶者が子どもを持つ選択をしないことで親族から攻められていることも実際にあります。
若くして配偶者を見送った後、幼いお子さんを育てていく中で、仕事と生活の両立のためにひとの何倍も頑張り、同世代とのかかわりの中で孤独になっている遺族の現状に胸を痛め続けています。

「諦めなくていい」と言われても、自分が思い描いていた選択が難しい場合はあります。
AYA世代だからこそ、親世代・子どもとの関係、経済的なこと、仕事での課題なども大きく、選択肢があることで苦しむこともあり、選択を当事者にだけ背負わせるのではなく、共に考え支えるフォローの充実が何より大切だとも思っています。

幸せは自分の心が決めるのだと自分に言い聞かせて過ごしてきました。
私は夫のことも、自分のことも不幸だとは思っていません。
でも、誰かから「幸せだよね」と言われたら、モヤっともしてしまいます。

モヤモヤは、『しあわせ』という言葉で、取り残されてきた部分に蓋をされてしまうような不安なのかもしれません。
医療の進歩を実感しているし、人生を支える支援が増えていくのも体験しています。
だからこそ、地域格差、情報格差なく、全ての人に届いてほしいのです。
誰もが幸せだと心から思える社会となるには、今、治療や支援が届いていない部分に力を注いでいくことや、誰も孤独にしないために、自分に何ができるかを考える基盤つくりが必要なのだろうなと思っています。
ドラマや番組はそのための一つであり、感動とよかったねで終わらせてしまったら勿体ないと思うのでした。

全国胃がんキャラバン、多くの人にがん情報を届けるグリーンルーペアクションに挑戦しています。藁をもすがるからこそ、根拠のある情報が必要なのだと思い、頑張っています。