がん教育への願い

【がん教育】

文部科学省HPによると
『子どもに対しては、健康と命の大切さについて学び、自らの健康を適切に管理し、がんに対する正しい知識とがん患者に対する正しい認識をもつよう教育すること』と述べられています。

私は夫の生前、2人で『がん教育』を参観させていただいたことを皮切りに、その後も何回か参観をしています。
教員だったこともあり、どう教育に取り入れられていくのか関心があります。

参観する中で、その授業内容が様々で、がんになったことを乗り越えて生きるというメッセージの強さを感じるものもあり、この教育が向かう先について、期待と不安が入り混じった複雑な気持ちを持っています。

【私が知る様々ながん教育】


国民2人に1人ががんになると言われている今、そのことを伝えるために、子どもたちを2人組にして、ジャンケンをさせていた授業がありました。

また、自らの経験を話す中で、『ステージⅣで進行していた自分が今、生きているのは、存在自体を愛してくれた両親がいたから』というものもありました。
願えば叶うという内容は、遺族である私には辛いものでした。

講師をする方々は、授業を受ける側に様々な環境のお子さんがいることに配慮されているのだと思います。一方、がん教育をきっかけに、身近にがん罹患者がいる生徒が不登校になった事例もあることも知りました。

【教員時代に体験したこと】


ある県でのがんセミナーで、「何を目的にがん教育をしているのか」と質問したことがあります。県の担当者から「文部科学省から言われたので」という答えが返ってきて、びっくりしました。

もちろん、真摯に取り組んでいる方々の方が多いのだと信じたいですが、この『言われたので』は、実は私が経験してきたこと大いに重なっています。

私は幼稚園から大学までの一貫校に幼小の教諭として、5年前まで勤務していました。
勤務が10年を超えたあたりからは、学校法人全体の委員として参加した会議もたくさんありました。
情報教育、英語教育、幼小連携、保健教育、国際化、学校評価など、次々会議が増えていきました。
多くの教員が『本業に集中できない』とこぼし、疲れていました。

【残念だったこと】


最初に観せていただいたがん教育の授業は、内容の高いものだったと思います。

がん教育の目的の一つに『健康と命の大切さを学ぶこと』とあります。

話を聴いていた児童のみなさんの表情は真剣でした。
言葉に出来なくても、きっと胸の奥に、動くものがあるのだと見てとれました。

それを壊してしまったのは、教師の『まとめ』です。

感じることは人それぞれでいい。
すぐには言葉に出来ないこともあるのに…。

私は、簡単にまとめてしまう教師が悲しくうつりました。
隣で一緒に参観していた夫も、感情を堪えた表情をしていました。

がん教育の後、担当した講師の方々に、生徒、児童からの感想文が届けられているようです。

学校は必ず、外に出す感想文には目を通します。時には書き直しをさせる可能性も否定できません。

届けられた感想を読み、講師が『自分が子どもに気づきを届けられた』と感じたとしたら、少し不安でもあります。

【教師になる時に言われたこと】


最初に言われたことは、
『人に何かを与えられると思うような考えは捨てなさい。
子どもの前に立つということは、人生に影響を与えてしまうということ。
そのことを怖いと思えなかったら、それは教育が理解できていない証。
一生、完成はない。
同じパターンもない。
いつもいつも、あれで良かったのかを問い続けていけるか。
いくらでも御山の大将になれる状況の中、自ら問い続けていくことは至難の業。
それでも、教育は尊いと思う覚悟を持って臨みなさい』
ということでした。

大変に厳しかったですが、今も思い返す原点です。

【偏見を無くすということ】


がんは、昔より『死』に直結しない病になりました。
生きていけるからこそ、様々な社会的な課題も出てきています。

私が患者会代表をしているスキルス胃がんのような難治なものには、そのスタートラインに立てていない現実があります。

さらに、がんになった理由を生活習慣や普段の行い、家系に結びつけられてしまう偏見も感じています。

事実、私は『不幸過ぎて怖い』と言われたり、「墓参りをしていたか」「玄関の位置が悪いんじゃないか」「夫がストレスを抱えていたのでは」という言葉を受けました。

今、がん治療はゲノムの時代に向かっています。
難治性がんで旅立つ方々をたくさん見てきた私は、遺伝子変異が、治療、予防に繋がり、救える命が増えることを何よりも願っています。

今、がん患者会は、遺伝子変異への誤解が、社会的な不利益に繋がらないよう法整備を要望しています。

予防、治療に繋がる判明が、がん保険加入や、就労、結婚などの人生の節目に影響を与えることがないようにというための法整備です。

命に繋がる可能性がある科学の進歩を支えるのは、本来は国民の理解だと思います。
しかし、科学の進歩に理解がついてきているとは言い難い中、法整備と理解との両輪だと思います。

がん=死という偏見を無くすだけではなく、病気そのもの、患者への偏見を無くす。
その理解の場として、がん教育に期待をしています。

【命の授業】


命の大切さを伝えることに、異論はありません。

ただ、私は、がん教育の中で使われている『金メダル』という言葉に引っかかるものがあります。

先日、がん教育に誠心誠意取り組んでいて、がん教育の講師養成の場でも引く手数多の三好綾さんと、がん教育について語り合う時間をいただきました。3時間、じっくり語り合いました。

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三好さんが使う『金メダル』という言葉には、共に過ごした仲間の想いが込められていて、彼女とその会の方々は、がん教育をしながら、常に振り返りをしていることを知りました。

私からは、その言葉がパターン化され、一人歩きしている懸念を伝えました。

『三好綾さんみたいになりたい』というきっかけで、がん教育をし、まるで決め言葉のように言葉が使われてしまう懸念は、三好さんも同様に感じていることがわかりました。

違う意見を交わし合うことは、なかなか難しいことであり、時に、まわりから対立と見られてしまうこともありますが、道をより良くするのは対話だと思っています。
2人で話した時間はとても貴重でした。

【願うこと】


がん教育の講師養成がe-learningに向かうようです。

がん教育に限らず、講習を経て資格を得るものは増えているように思います。

私は、教員免許という資格を持ち、先生と呼ばれて長年過ごしてきましたが、「資格」「先生」という言葉は、出来るという気持ちを抱かせてしまう力があります。

1時間でも子どもの前に立てば、目の前の子どもには、やり直しがきかない教育です。

マニュアルやパターン化されることなく、がん教育が、尊い時間になることを心から願っています。


全国胃がんキャラバン、多くの人にがん情報を届けるグリーンルーペアクションに挑戦しています。藁をもすがるからこそ、根拠のある情報が必要なのだと思い、頑張っています。