ゆとり21面相 #2

 もう会えない、別れよう。

 なんで?

 君が優しすぎるから。


「お待たせしましたー!生ビールでーす!」

 土曜日の夜とだけあって店内はカップルであろう男女、大学生にも社会人にも見える若い見た目のグループ、ネクタイを外し白のワイシャツを着た明らかに社会人のグループが席を埋め尽くし賑わっていた。どこかのグループがグラスをこぼしたのだろう、数人が慌てて立ち上がりテーブルを拭きながら店員を呼んだ。何が面白いのだろうか、その席からは大きな笑い声が起こっていた。

 周りの客の騒ぎ声に負けじと声を張って私たちの席にビールを持ってきた青年は大学生であろうか、端正な顔立ちをしていてピッタリとしている黒のスキニーが彼のスタイルの良さを物語っていた。私は彼からグラスを受け取り、空いたグラスと交換した。

 いつもであれば渡されてすぐに半分ほど飲んでしまうのだが、今日は止めておいた。渡されたグラスをそっとテーブルに置き、目線を正面に移した。

「次のデートはこの遊園地に行こうよ」

 観覧車の映ったスマホの画面を私に向けて千佳は顔を赤らめながら言った。それはアルコール3%ほどの彼女の2杯目の青りんごサワーがそうさせたのか、彼女が発した言葉がそうさせたのか私には判別できなかった。

 スマホに顔を近づけ、おしぼりでグラスの水滴で濡れた右手を拭き、彼女が開いたサイトをゆっくりスクロールしながら私は言った、「この遊園地、たしか小学4年生くらい時にサッカーの大会で行ったことあるよ。」

「えー、サッカーする場所なんてそこにあったかなー」

「たしかね、この大きい芝生の広場にコート作って試合した気がする」と、遠い昔の記憶を引っ張り出しながら私は答えた。



 私が小学3年生の頃まで父親は全国に支店を構える保険会社に勤めていた。その影響で私は新年度を迎える始業式を人一倍緊張して迎えることが何回かあった。

 4歳離れている姉はおっとりとしたマイペースな性格で緊張とは縁が遠く、3歳離れた兄は社交的で弟の私も嫉妬するほど顔が整っているため、2人にはすぐに一緒に帰り、ランドセルを置いたらそのまま夕方まで時間を共にする友達ができていた。

 その一方、末っ子の私は「転校生」という当時最強の矛を装備できるにも関わらず、両手で「人見知り」という最強の盾をガッチリと構えていた。そのため、転校してからまずコミュケーションを取るのはいつも前後左右に座っている座っている子たちだった。コミュケーションと言えど、前後の子とはプリントの受け渡し、左右の子とはテストの丸付けをするためにお互いの答案用紙を交換する時に一言二言会話を交わす程度であった。そして放課後は1人で帰り、家に帰ったら1人リビングでレゴを組み立てて夕方まで時間を潰すのが転校してから数日の過ごし方であった。

 そんな引っ込み思案の私が数週間後には放課後の時間の過ごし方に困らないほどの友達を作れる場所があった。それはサッカーボールがある場所だ。

 兄は小学校に入学した頃からサッカークラブに通い始めた。試合の送迎に連れて行かされ、まだ幼稚園にも通っていなかった私は兄のチームメイトや監督から可愛がられていた。そしてある時、その監督からこう言われた。

「お前もお兄ちゃんと一緒にサッカーするか?」

 当時の私がその言葉にどう返したかはもちろん覚えていないが、大人になった今でもボールを蹴ることが趣味の1つだということを考えると「うん」か「はい」と答えたのだろう。いや、親が「よろしくお願いします」と答えたのだろう。

 サッカーとそんなよくあるありきたりな出会いを果たした私は幼稚園に入園すると同時にサッカークラブに通い始め、兄や父親とボール蹴るうちにどんどん上達していった。いつかプロのサッカー選手になりたいという、これまたありきたりな夢を抱きながら。

 私はサッカーに情熱を注ぎ、サッカーは私に友達を恵んでくれた。転校した先の近くの公園でボールを蹴れば顔も名前も知らない子たちから一緒に蹴らないかと誘われ、新しく所属したサッカークラブでは即戦力として扱われた。

 そして私にとって最後の転校となった小学3年生の茨城県の春、「サッカー」という魔法のアイテムは「人見知り」という自らが装備する盾をいとも簡単に破壊した。

 その翌年の夏、私は観覧車の見える大きな広場で開催された大会で大量得点を奪い、優秀選手賞を受賞した。しかし自分の名前が書かれた表彰状を貰ったのだが名前の漢字が1文字間違っていたため、自分の物ではない気がしてすぐに破り捨てた。

 間違いを見つけ落胆した時の記憶は、今でも鮮明に覚えている。



「来週の土曜日に行こうよ」

「土曜日ね、了解。そしたらお昼前に家まで迎えに行くから遊園地の近くでお昼ごはん食べようか」

「いつも迎えに来させちゃってごめんね、ありがとう」と、千佳は申し訳なさそうに頭を下げながら感謝の気持ちを伝えた。その時ふわっと彼女が纏っていた柑橘系の香水の匂いが私の方へ届いた。

「気にしないでいいよ。それより、もう注文は大丈夫かな?結構飲んだね」

 私は自分のテーブルに置かれた一口残っていた3杯目のビールを飲み干した。体が徐々に熱を帯びて「その手に持っている冷えたビールをもっと流し込め」と自分の喉が訴えている。すまん、今日はもう飲まない。また今度な。

「うん、私はもう大丈夫。ごめん、ちょっとお手洗いに行ってくるね」いっといれ、私がそう言葉を返すと千佳はふふっと笑いながら席を離れた。

 まあここはベタだけどお会計先に済ませちゃうか。いや、ベタ過ぎて引かれないかな。そう迷いながらも、「すいませーん!」と大きな声で店員を呼んだ。相変わらず店内は若い集団の笑い声で溢れ返っていた。

「お待たせしましたー!」

「あ、お会計お願いします」

「かしこまりました。伝票をお持ち致しますので少々お待ちください」そう言うと先ほどの端正な顔立ちの男性の店員が小走りでレジに向かった。

 右脚のポケットからスマホを取り出そうとした。いつもは履かないジーンズと太ももがスマホを圧迫し、なかなか取り出せずにいたところ、「お待たせしました、こちらお会計になります」と男性の店員がやってきた。

 私は一度スマホを救出するのを断念し、左側の椅子に置いてあるポシェットの中から財布を取り出しながら会計を確認した。

「えーっと、これでお願いします」1万円札と小銭を店員に渡すと、「レシートとお釣りを持って参ります」と丁寧に頭を下げて再びレジの方へと小走りに向かった。香水の匂いは感じられなかった。

 財布をポシェットに戻し、再び右脚のポケットに指を入れた。親指と中指でスマホを掴み少し立ち上がって持ち上げるとスルリと救出することができた。

 「21:58  9月7日 土曜日」液晶画面にはそれだけ表示されていた。スマホの裏側は酒を飲んで熱くなった私の右手を少し冷やしてくれた。

 あー!なんて幸せな休日なんだ!!顔を天井に向け、心の中でそう叫んだ。

 そうか、これが俗に言うリア充ってやつか。ごめんな非リア充、おれは勝手に爆発させてもらうよ。

 体の中にガスを取り入れるかのように私は深く、深呼吸をした。


 木製のテーブルと椅子、畳、煮込みの匂いがした。


 千佳とお釣りを持った男性の店員がほぼ同時にやってきた。

「こちらお釣りの2千円とレシートになります」

「え、払ってくれたの?それは申し訳ないから私も出すよ」急いで財布を取り出しながら千佳は早口で言った。

「大丈夫だよ。その代わりに帰りにアイス奢って」

「それじゃ全然計算合わないじゃん」そう言う千佳の財布を鞄に戻させ、千佳の右手を握った。

「ご馳走様でしたー!」

 厨房にいる人にも聞こえるように少し大きな声で言うと、ありがとうございましたー!と倍以上のボリュームでレスポンスがあった。

 店を出ようと扉を開ける時、レジの近くで流れていたテレビの音が聞こえた。

「来週の週末、関東地方では夕方から雨が降りそうです。東北地方では…」

 ドアを開けると湿気のないカラッとした涼しい空気が流れていた。

「アイス何食べようかなー」「おれはピノにしようかな」「私にも1つちょうだい!」「えーどしようかなー」

 きっと私たち2人を包む空気はこの先何年経っても今日みたいに穏やかなままなんだろうなと、彼女の細く小さな暖かい手を握りながら近くのコンビニへと向かった。



◇~◇~◇~◇~◇~ #2.5へ続く ◇~◇~◇~◇~◇

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