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就活日誌 回想MSW

私は14年ぶり5回目の就職活動に挑もうとしている。

履歴書と職務経歴書を書いていると色々なことを思い出す。
20代後半、ある病院で医療ソーシャルワーカーとして働いた1年間は特に印象深い。

資格を取り、初めてのソーシャルワーカー勤務だった。
入職直前に先輩が産休に入り、事務所の人が仕事を教えてくれたがどうも様子がおかしく、日々悩み、毎日のように身重な先輩に電話をして指示を仰いでいた。
そんな状態なので失敗は日常茶飯事。
ミスは反省し次に生かすしかないが生かす前に新たな失敗をするのでとにかく謝りっぱなしの日々だった。

そこはいわゆるケアミックスで一般の病床と療養病床を併せ持つ病院だった。
当時の療養病棟は今と違い医療依存度が低い方が長期入院をしていた。
自宅に帰る方は皆無。
退院とは、高齢者施設に行くか病院で最後を迎えることだった。

ある時、「療養病棟は終の住処ではない。長期になっている方の退院促進を検討すべき」という方針が示された。
ご家族に然るべき提案をする運びとなり医師、看護師と連携し分担して連絡を始めた。

そんなある日、病棟から緊急の呼び出し。

ただならぬ雰囲気に急いで3階に向かう。
2階を通過する時に察しはついた。怒鳴り声が響いている。
「うちの婆さんを退院させようって言ってんのは何奴だ」とそれはすごい剣幕だった。

「今ワーカーさんが来ますからね」となだめる看護師。
こういう時に呼ばれるのはワーカー。困った時、面倒な事案はワーカーへ。そういう病院だった。

激昂するご家族に、退院=放り出すことではない。こちらとしては介護施設でも十分対応していただける状態であるのでご検討いただけないか、という内容をやんわり説明したが怒りは収まらない。

現実は説明どころかしどろもどろになんか言ってるくらいで火に油だったと思う。
私の年齢も若く、白衣を着ていることに対しても怒りが増幅している様子だった。
だから白衣は嫌なのに。なんでワーカーに白衣なんて着せるんだ。私はずっとワーカーの白衣反対派だ。

怒鳴られる私を皆が遠巻きに見る中、師長が登場した。ご家族のあまりの剣幕に病棟の看護師が呼んでくれたのだ。
今思えば私より先に師長を呼べばよかったのに。
しかし当時は涙が出るほど心底ホッとした。

ご家族の怒りはおさまることはなく、師長に訴え始めた。

「こいつじゃ話にならねぇんだよ。うちの婆さん退院させるって言ってんの誰なんだよ。退院なんて無理だってんだよ。うちは誰もみれねぇんだから」

もう私では収集がつかない。師長にお任せしたい。既に疲労困憊だった。
師長は「うんうん」「そうよね、大変よね」と相槌を打っていた。
そろそろこちらのスタンスをお伝えしてもいいのではという頃合いだった。師長から伝えられたのは衝撃の一言。

「あのね、退院を決めたのはまめさくさんです」

!?

この病院では色々なことがあったが気を失うかと思ったのは後にも先にもこの時だけである。

「やっぱりテメェじゃねぇか。ダラダラ都合のいいこと話しやがって。テメェ訴えてやるからな」

もう無理だった。

多職種で方向性を話し合うことはあれど基本的に退院の決定を出すのは医師である。
師長の発言は完全にその場しのぎ&私以外を守るバージョンの返答でしかない。

味方に裏切られ、心は折れ、罵詈雑言浴びせられていたがその後ご家族がどうやってお帰りになったかは覚えていない。「訴えてやる」がリフレインする中、徐々に怒りが込み上げてきた私は看護部長室に駆け込み顛末を報告した。
その後、師長は部長に怒られていた。当たり前だ。

鼻息荒いまま先輩に電話し「訴えられるかもしれません」と伝えた。

先輩は激怒した。師長に。
「よく対応できたね。がんばったね」とお言葉をいただいた。しどろもどろの部分は端折って伝えたからだ。

先輩は「でもさ、なんでこんな事になったんだろうね」と続けた。Theワーカーである。

私は責められてるような気がして嫌な気持ちがした。だいぶつっけんどんな返答をしたと思う。
なんと小さかったことか。


「もしかしたら他にも意図が伝わっていない方がいるかもしれないね。」

確かに。電話で病院の方針を説明され、お話がしたいので今度いつ来られますかなんて言われたらひいてしまうだろう。

「今回のケースは最初に病状説明を設定してその中で説明できたら誤解をうむことはなかったかもしれないです」と不貞腐れ気味に答えた。

「そうだね。内容が内容だけに一律のアナウンスでは難しいね。そこはもう一度病棟と検討した方がいいね。できる?」

できない。なんて言えないけど正直できないと思った。日頃からやらかしてるド新人ワーカーが医師と看護師相手に医者が決めた話の再考を上申するなんて辛すぎる。

「やってみます、けど上手く話を持っていける自信はないです。」と半泣きで電話を切った。

書いてみると教科書のようなやり取りである。
私を労いつつ問題点をつき修正を促す。このスマートな流れ。年齢は1つ上なだけなのに。先輩は乳飲み子と私の面倒を両立させていた。

相談室に戻り1人会議。
私は自分の意見を言わず、周りの指示通りに動いている。失敗しても人のせいにできるし楽だし。猛者(医者と看護師等)相手に納得してもらえるように話せるほど知識も経験もないし。
でもこんなこと考えるソーシャルワーカーなんていらないのは分かっている。

院内ヒエラルキーは感じるけど。だから言わないは違うよね。でも新人なのに1人職場だし。仕方なく無いか。

どうせ訴えられたらクビだし(知らないけど)もう腹を決めて話してこよう!
いざ病棟!
でもなぁ、やっぱり明日にしようかな。あいつまたやらかしたって言われてるよなぁ。でもこのまま帰るのも辛いな。どうしようかな。

30分程度で終了したと思う。今思えばなんでこんな事でという内容だがド新人のやらかしワーカーにはとんでもない事案だったのだ。

やっと決心して病棟に向うと、幸いにもしこたま怒鳴られた私に皆が同情的で優しく話を聞いてくれた。タイミングは本当に大切だ。
結果、とんとんとケースごとの対応が決まっていった。
怒鳴り込んできたご家族にも改めてお話の機会を作り理解してもらえた。

この一件以降、迷惑な奴に可哀想な奴という肩書きが追加されたようで今まで素通りしていたスタッフが「お疲れ様です」と声をかけてくれるようになった。
コミュニケーションが増え、カンファレンスで少しづつ意見が言えるようになっていき、院内の根回しというものも覚えていった。
職業病と言われたほうれい線も深くなった。
ちょっとおかしな所はあるが私のワーカーの土台は間違いなくこの病院で作られた。先輩には感謝している。

最終的に1年で退職したが学びの多い職場だったなぁ。他にも色々あったけども。怒鳴られた件は怖かったけどすごくいい経験だったな。師長はおかしかったけど。
職務経歴書を作りながら振り返る。

うーん。でももう一般病院で働くのはムリだなぁ。よし、そろそろindeedからLINEが届く時間かな。



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