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まごころの人、笹餅屋のミサオおばあちゃん75歳で起業


笹餅屋さんの桑田ミサオさん。
1927年生まれ、表紙の笑顔が素敵です。

「おかげさまで、注文の多い笹餅屋です」を読んでみました。
素敵な名言がサラッと出てきます。
ミサオさんのあたたかさが満載な1冊でした。

ああ、こんな人に私もなりたいと思う。



もっとおいしいお餅をつくりたい

津軽半島は米どころ。笹餅の素材はお砂糖のほかすべて地元のもの
お米もご自分で粉にします。水もおいしい湧き水。


桑田ミサオさんの笹餅づくりは手間暇かけることを惜しまない。
ここにおいしさの秘密が・・・?

まごころを込める。そして、あれこれ試行錯誤を重ねるのです。
もっと喜ばれるものをつくりたいという思いで。
なんと年間5万個もつくります。

「飽きたりすることはありません」

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75歳になって企業する

直売所で売っていた笹餅の評判がとても良く、スーパーマーケットからお声がかかり、それがきっかけで起業することになったそう。


その時すでに75歳ですよ。
えええー!!!(-_-;)

「企業といっても私ひとりの小さな商いです」



人を幸せにする力

東日本大震災の時には、被災地に笹餅を送ろうと決意したミサオさん。

「そうだ、私にはお餅がある。お餅ならば作れる!だったら千羽鶴じゃなくて、千個のお餅を送りたい!」


被災地の学校の生徒さんから、たくさんのお礼のお手紙がきました。

「逆に私のほうが、励まされました。だから頑張って千個のお餅を3年間送り続けることができたんです」


おいしいお餅づくりを通じて、身近なところにあたたかな輪を広げていく。何とも素敵ですね。




27kgの米袋を持つ

「27㎏の米袋がひとりで担げなくなったら、きっぱり餅づくりはやめようと決めています。それまでは、笹餅を広げる人の輪を作りたいのです」

え・・・? 27kgって相当重いですよね。 
これはスゴイよ。

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十本の指は黄金(こがね)の山

「この指さえ動かしていれば、お金に不自由することもない。だから、何でも作れるものは、覚えておきなさい」

そうお母さまによく言われていたそうです。

できるだけ自分でつくる。食べるものも着るものも。
そういう時代だったからということもあったのでしょう。
けどこれは私も意識したいこと。自分の手で作れるものは作ってみよう。



身の回りで採れたものばかり

「私ね、料理をするために、ほとんど何も買わないのですよ」
「時々、魚や肉だけは買います」

小さな畑、近所の人達からのおすそ分け
山には山菜やきのこ
山の湧き水もおいしい。

「ここで育つものはみんなおいしいんです」


何とも羨ましい自然豊かな環境ですね。



「人生80歳からが楽しい」

この言葉に明るい希望が感じられます。
サラっとした文章の中にも波乱万丈の出来事が書かれています、きっとどれも苦悩の体験だったはず。


でもそれが重たくないのは、やはりミサオさんが明るく前向きだからでしょう。



ミサオさんの笹餅食べてみたいな

私たちの日常には、お金さえ出せばおいしいモノがあふれています。
だけど、これだけ手間暇かけたお餅は、きっとホッと人の心を癒してくれるでしょう。食べた人の身体も元気になるはず。


そういえば、最近はあまり聞かなくなったまごころおかげさまという言葉。この中には、私たちが忘れかけている大切なものがたくさん入っています。


自然への畏敬の念、自然と人とのつながり、東北の風土にはそれがまだ残っているのですよね。

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ありがとう、心がポカポカになる本当に素敵な一冊でした。

第1章 笹餅にありがとう
第2章 60歳からの人生にありがとう
第3章 今の身体にありがとう
第4章 母に、家族にありがとう
第5章 津軽の実りにありがとう
桑田ミサオのレシピ集―こしあん、おはぎ、赤飯


現在(2022年7月)ミサオさんどうしてるのかな~と思ったら、一時お休みされていたそうですが、元気に再開されたそうです。すばらしい。


記事がお役に立てれば嬉しいです。自然こそ私たちのお手本。自然や周りの人を大切にする日本の心を取り戻したい。サポート大歓迎。