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「ありがとう」「おかげさまで」を大切にしたい

9月の連休に2つの台風が来た。


夏の日差しが戻ったような久しぶりの青空、お彼岸のお墓参りへ。


「ご先祖様があるからこそ自分があるんだなー」という思いは年々大きくなります。だから「いつもありがとう」を言いたくて、春と秋のお彼岸には必ずお墓参りをします。



小さい頃から、家族でお彼岸にはお墓参りをしていました。
浄土宗のお寺だから「南無阿弥陀仏と唱えましょう」ってね。お花を持って出かけていました。


だけど小さかった私にとっては、お参りのあとのお昼ご飯が楽しみだったものです。


一緒にランチをしていた、祖父母・母・兄は今はお墓の中。

そして今年は、父や義姉や甥っ子と、ご先祖様に静かに手を合わせる。


「おじいちゃん、おばあちゃん、いつもありがとうね」


「お母さん、私元気でやってるよ」


ごく短い時間、亡くなった人へ短い言葉を届ける。


お参りを済ませ、桶と柄杓を元に戻してからゆっくりとお寺の門をくぐる。
何となくホッとしたような気分が広がる


私はスピリチュアルな感覚はまるで持ち合わせてはいません。お墓参りをしたからといってどうなるの?と思っていた時期もありました。


だけど、自分が今あるのはご先祖様のおかげそれだけは確かなこと
自分一人で生きてきたわけではない。ご先祖様はじめ多くの先人や周りの人がいるから自分がある。


その感覚が体感としてわかっていると、ご先祖様にはただ感謝しかありません。


日本人として大切にしたい感覚

お墓参り、初詣、神社参拝。
日本人はいろいろな場面でお参りに行きます。


お墓は少し遠い場所にあるけど、ただ形式的に拝みに行くだけだった子ども時代と違って、私にはやはり手を合わせにゆくべき所だと思うのです。


現代社会では、今の自分があるのは、見えないけれど多くの何か・多くの誰かのおかげ様なのだという感覚が無くなってきているように思います。


「今だけ、金だけ、自分だけ」という言葉には、非常に視野の狭い自己中心性があります。その反対にあるのが「おかげ様」とか「お互い様」ということだと思うのです。


自分の事しか考えていない状態とは違い「エゴ」「傲慢さ」とはかけ離れた言葉です。


そこには日本人としての品性があります。日本人が大切にしてきた謙虚さみたいなものも含まれています。

私はただ、亡くなってしまった方や先人たちに対して「ありがとう」という気持ちを向けることくらいしか出来ません。


だけど「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉通り、気候が落ち着いてくるこの時期にささやかな感謝の気持ちを唱えることは、日本人として忘れてはならないことのように思うのです。


すべては「関係性」によって、つまり「縁」から起こったものであり、周りにある日常のほんの些細な一つ一つが自分を形づくる要素です。



笑顔の素敵なミサオさんの「おかげさまで、注文の多い笹餅屋です」は
まさにおかげ様を体現している方です。


お読みいただいてありがとうございます。

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