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イノベーション創出に向けた知財投資・活用促進メカニズムとは

6月のコーポレートガバナンス・コード改訂では、取締役会の機能発揮、企業の中核人材における多様性の確保、サステナビリティを巡る課題への取組みなどと並んで人的資本及び知的財産への投資等の重要性が明記されました(下記2箇所)。

補充原則3-1③ 
上場会社は、経営戦略の開示に当たって、自社のサステナビリティについての取組みを適切に開示すべきである。また、人的資本や知的財産への投資等に ついても、自社の経営戦略・経営課題との整合性を意識しつつ分かりやすく具体的に情報を開示・提供すべきである。
補充原則4-2②
取締役会は、中長期的な企業価値の向上の観点から、自社のサステナビリティを巡る取組みについて基本的な方針を策定すべきである。
また、人的資本・知的財産への投資等の重要性に鑑み、これらをはじめとする経営資源の配分や、事業ポートフォリオに関する戦略の実行が、企業の持続的な成長に資するよう、実効的に監督を行うべきである。

人的資本への投資については前回のnoteで取り上げましたので、今回は知的財産への投資について、日本企業の持続的な成長と中長期の価値向上に向けたイノベーション創出の観点から取り上げたいと思います。

なお、改訂コーポレートガバナンス・コード に知財投資が盛り込まれた経緯については5/26の日経記事「私たちがコードに「知財」を盛った訳」にて掲載されています。興味深い内容ですので、ご一読をお勧めします。

企業価値を決定する要因としての知財・無形資産

IoT、AI、ビッグデータなどによる第4次産業革命と呼ばれる技術革新が進展し、「ハード」から「ソフト」、「モノづくり」から「コトづくり」へと産業構造が大きく変化しています。

また、2050年までのカーボンニュートラル実現が国際的な潮流となる中、脱炭素社会に向けた社会・経済システムの変革が加速しており、それを実現するためのイノベーション創出が益々重要になっています。

いま世界では、このような動きを新たな成長機会として取り込む主導権を巡る競争が激化しています。

それに伴い、企業価値を決定する要因(競争力の源泉となる重要な経営資源)が、工場や設備などの有形資産から経営人材を含む人的資本および特許、技術、ノウハウ、データ、顧客ネットワーク、ブランドなどを含む知的財産といった無形資産に移行しています。

米国企業(S&P500)では、市場価値構成要素における無形資産の占める割合が年々高まっており、1975年には僅か17%でしたが、2020年には90%まで拡大しています。一方、日本企業(NIKKEI225)は2020年でも32%に留まっています(出典:Ocean Tomo)。

日本企業がイノベーションを創出し続け、持続的な成長と中長期の企業価値向上を実現するためには、知的財産を中心とする無形資産投資への戦略的かつ大胆な転換が重要です。

知的財産とは

知的財産と知的資産について、経産省HP(知的資産経営ポータル)では、以下のように説明されていますが、本noteでは知的財産を広義に捉え、知的資産と同義とします。

<経産省HP(知的資産経営ポータル)での説明>
知的資産
とは、人材、技術、組織力、顧客とのネットワーク、ブランド等の目に見えない資産のことで、企業の競争力の源泉となるものです。これは、特許やノウハウなどの知的財産だけではなく、組織や人材、ネットワークなどの企業の強みとなる資産を総称する幅広い考え方であることに注意が必要です。
<本noteでの知的財産の定義>
特許、意匠、商標等に限らず、技術、データ、ノウハウ、顧客ネットワーク、ブランド、デザイン等を含む

また、国際統合報告評議会(IIRC)の統合報告フレームワークで提示されている「6つの資本(財務資本、製造資本、人的資本、知的資本、社会・関係資本、自然資本)」では、知的資本について以下のように説明されています。

<IIRCでの知的資本についての説明>
組織的な、知識ベースの無形資産
・特許、著作権、ソフトウェア、権利及 びライセンスなどの知的財産権
・暗黙知、システム、手順及びプロトコ ルなどの「組織資本」

本noteでの知的財産は、IIRCの知的資本とも同義と捉えていただいて結構です。

知的財産推進計画2021

2021年7月13日 、内閣府の知的財産戦略本部(本部長 菅義偉首相)は「知的財産推進計画2021 」を策定しました。

本計画は2003年の小泉純一郎政権時に1回目が策定されて以降、原則毎年策定されています。(本計画での"知的財産"は本noteでの定義と同等と思われます。)

本計画は、副題を「コロナ後のデジタル・グリーン競争を勝ち抜く無形資産強化戦略」としています。これについて、本計画では以下のような趣旨の極めて厳しい認識が示されています。

・日本はコロナ時代の経済社会に欠かせないデジタル基盤の整備及びデータの効果的な利活用において先進国のみならず新興国にも出遅れている
・新型コロナの拡大によって明らかとなったのは正に日本の「デジタル敗戦」という現実である。
・日本は脱炭素社会に対応してコロナ後の経済回復につなげるイノベーション力でも「もはや後進国」と言っても過言ではない。

実際、世界知的所有権機関(WIPO)が毎年公表している「グローバルイノベーション指数(GII)」の2020年版によれば、日本は16 位に留まっています。日本は2007 年には4位でしたが、2012 年に25 位にまで転落し、その後も低迷しています。2012年以降、シンガポール、韓国の後塵を拝し、2019年には中国に追い抜かれ、主要な分析対象国から長年外れています。

本計画では、日本がこのような状況から脱却し、今後実現すべき「グリーン」(気候変動対応等)と「デジタル」を基軸とする社会に向けたイノベーション創出競争に勝ち抜いていくための知財・無形資産強化戦略として、以下の7つの重点施策を打ち出しています。

① 競争力の源泉たる知財の投資・活用を促す資本・金融市場の機能強化
② 優位な市場拡大に向けた標準の戦略的な活用の推進
③ 21 世紀の最重要知財となったデータの活用促進に向けた環境整備
④ デジタル時代に適合したコンテンツ戦略
⑤ スタートアップ・中小企業/農業分野の知財活用強化
⑥ 知財活用を支える制度・運用・人材基盤の強化
⑦ クー ルジャパン戦略の再構築

知財投資・活用促進メカニズムの構築へ

中でも、今回の計画の最大の目玉となるのが「① 競争力の源泉たる知財の投資・活用を促す資本・金融市場の機能強化」です。

これは簡単に言うと「上場会社などに研究開発や知財など無形資産への投資状況を開示させ、それを投資家などが分析・評価して企業に資金を投じる流れをつくる」ということです。

日本では、この流れが十分に機能しているとは言い難く、知財・無形資産の投資・活用戦略を積極的にアピールして資金調達活動を行っている企業が必ずしも多くありません。投資家や金融機関についても、企業の知財・無形資産への投資や活用戦略を積極的に分析・評価して、株主としての責任や適切な金融機能を果たし、イノベーティブな企業活動に積極的な資金提供を行っているとは言えません(同計画より)。

政府は、知的財産推進計画2021をとおして、企業に対し、知財投資・活用戦略の開示と対話を促し、投資家から評価され、更なるイノベーション創出に向けた資金獲得を可能とするメカニズム(知財投資・活用促進メカニズム)の構築を企図しています。

知財を軸とする価値創造ストーリーが重要

今般のコーポレートガバナンス・コードの改訂と知的財産推進計画2021により、企業による知財投資・ 活用戦略の開示が促進され、企業の経営戦略における知財投資・活用の重要性に対する経営者および取締役会の認識が高まる契機となることが期待されます。

このためには、まず企業が知財の投資・活用戦略を積極的に開示し、投資家や金融機関が評価・分析できる環境を整備することが必要です。

ここで重要な点は、開示されるべき内容は、企業が保有している(特許を始めとする)知財の単純なリストなどではなく、その企業が、どのような企業理念・パーパス(存在意義)に基づき、どのような長期ビジョンを描き、その実現のためにどのようなビジネスモデルと経営戦略の下、どのような知的財産(を中心とする無形資産)を活用して、イノベーションを創出し、持続的な成長と中長期の企業価値向上に結びつけていくのかという「知財を軸とする価値創造ストーリー」です。

それは社会価値(ポジティブインパクト)に加えて、将来キャッシュフロー(経済価値)を投資家にイメージさせるものでなくてはなりません。

その上で、自社の「強み」(特許、技術、ノウハウ、ブランド・・)は何か、その「強み」を含む現有の知財をどのように配分し、不足する知財をどのように獲得していくのか、それによるビジネスモデルや戦略への影響がどのように発生するのかなどについても明らかにすることが重要です。

一方、投資家の側は、企業が開示した知財の投資・活用戦略(知財を軸とする価値創造ストーリー)を的確に把握・分析し、これを企業との対話や議決権行使において建設的に活用することが求められます。 そして、知財投資・活用戦略を効果的に推進していると評価できる企業を選別して積極的な資金提供を進める姿勢を明確に示し、実行することが求められます。

IPランドスケープ

知財を軸とする価値創造ストーリーの開示にあたり、先ず以て重要な点が、知財投資・活用戦略が自社の経営戦略と連動した(整合性の取れた)ものとなっていることです。

そのためには、知財投資・活用戦略が経営者の参画の下、知財部門や研究開発部門のみならず、経営企画部門他関連部門および事業部門が協働し、IPランドスケープなどを駆使した的確な情報分析と十分な議論に基づいて策定されたものであることが必要になります。

IPランドスケープ(Intellectual Property Landscape)について国際的に確立した定義はないようですが、概ね「自社や他社の知的財産および研究開発やマーケティングなどの各種情報を統合的に分析し、そこから得られた知見を経営戦略に役立てる取り組み」のことを意味します。一般的に、欧米と比べ国内での活用はまだ日が浅く、2017年頃からブリヂストン、ホンダ、NTTコミュニケーションズ他の企業が先行的に活用し始めています。

IPランドスケープの詳細については割愛しますが、下記の日経新聞記事が国内に広まる端緒(の一つ)となったようです。

<2017年7月17日付の日経新聞記事>
知財分析を経営の中枢に
「IPランドスケープ」注目集まる M&A戦略に生かす

GPIFが気候変動の技術的機会を特許データで分析

IPランドスケープでは、知的財産および研究開発やマーケティングなどの各種情報を統合的に分析することになりますが、特許データの定量的な分析(特許価値分析)は比較可能性の観点から有効と思われます。

昨年10月22日付の日経新聞記事によると、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)は、米金融サービス会社MSCIが開発した気候バリューアットリスク(CVaR : Climate Value-at- Risk)という手法で投資先企業の特許データを分析し、二酸化炭素(CO2)排出削減につながる低炭素技術関連の特許を4つの統計的尺度(特許の引用数、市場カバレッジなど)に基づきスコアリングしました。

その結果、21世紀末までの気温上昇を産業革命前から1.5度に抑えるシナリオでは、GPIF保有の日本株(総じて低炭素技術関連の特許スコアが高い)は時価総額が43%増えるなど気候変動リスクが企業価値や株式価値に及ぼす影響についての試算が得られました。
(詳細は、「GPIFポートフォリオの気候変動リスク・機会分析」参照)

今回のGPIFの取り組みは、企業や機関投資家に気候変動が及ぼす影響の開示を求める国際的な枠組み「気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)」の提言への対応として実施されたものですが、気候変動の技術的機会を特許データにより具体的に分析したGPIFのレポートが多くの投資家の注目を集める可能性は高いと思われます。

この事例はGPIFによるものですが、企業が、企業価値や株式価値に確実に影響を与える気候変動への取り組みを特許データによる定量的な分析に加え、知財情報を軸とする価値創造ストーリーとして分かり易く開示できれば、投資家が高い関心を示し、対話・エンゲージメントをとおして選別した企業への積極的な資金提供に繋がっていくことが期待されます。

まとめ 〜イノベーション創出に資する知財投資・活用に向けて〜

知的財産を活用した日本企業の競争力強化への取り組みは、2002年に小泉内閣が「知財立国」を宣言し、2003年に最初の知的財産推進計画が策定されて以来、営々と積み重ねられてきました(7月21日付日経新聞記事)。

政府が、企業のイノベーション創出を促すために従来の知財推進計画をとおして法律や制度を改正しても、知財を所有する企業としては、従業員発明者から対価を求める権利を奪ったり、著作物の保護レベルを引き上げたりなど既得権益の強化にこそ努めたものの、イノベーション創出をとおした持続的な成長と中長期の企業価値向上への取り組みには結びつきませんでした(同記事)。

従来の推進計画の主な対象は企業の経営者や知財部門などでしたが、今回の推進計画では投資家も対象としている点が大きなポイントです。詰まるところ、資本主義経済社会では企業(上場企業)を動かす大きな原動力は投資家の声です。

今回の推進計画(が一番に掲げる重点施策「知財の投資・活用を促す資本・金融市場の機能強化)および改訂コーポレートガバナンス・コードが相乗効果を発揮し、日本企業の経営者および取締役会が経営戦略における知的財産の重要性を認識(再認識!?)することに繋がることが期待されます。

その上で、企業の知的財産部門が、経営企画部門やサステナビリティ部門、広報・IR部門などの関連部門および研究開発部門、事業部門と連携しながら、経営戦略と連動した(整合性のとれた)知財戦略をIPランドスケープや特許価値分析などの取り組みも実践しつつ策定・実行することが重要です。

そして、その成果とプロセスを知財を軸とする価値創造ストーリーとして開示し、投資家との実効的な対話・エンゲージメントに繋げることで、投資家から評価され、更なるイノベーション創出に向けた資金獲得を可能とする知財投資・活用促進メカニズムの構築が可能となります。







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