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【短編小説】 余白の日々

出欠を取り終えたので、私は重たい学生鞄を持って席を立った。
必要なものをぜんぶ詰めてあるから、ぱんぱんに張り詰め、肩にかけるのも一苦労だ。
わきをしめ、鞄を身体に密着させて持つ。盾みたいだ、とおもう。あるいは銃か何かか。
武装は必要だ。私は弱いから。

人って、視線を感じるものなのだろうか。

席についてじっとしていると、シャープペンシルでかりかりとひっかくような、つめたい痛みを感じることがある。
ほんとうにそんな視線を浴びているのか、目を上げることができないから、確認することもできないけれど。

前髪を撫でつける。長い前髪をよく、先生に注意された。いつもの癖で、こっそり彼の方を見やる。すると彼の視線がふと持ち上がって、ぴたりと私を見た。目が合った。

さんざめくような教室が、一瞬無音になった気がした。私は視線をそらした。身体が勝手に動いた。
ねずみのように、すばやく教室を出ていた。
諸刃だ、とおもう。嬉しいのに、惨めだ。

めまいを感じた。私には血がないのかもしれない。コピー用紙のようにひらひら軽薄で。早くベッドに横になりたい。
保健室の先生は不在だった。朝の光がたっぷりだった。またもめまい。私は鞄を置いて、上履きを脱いで、ベッドに倒れ込んだ。

清潔なシーツは心地よく冷たかった。誰の手で洗われているのか、わからないのがよかった。誰のことも思い出したくはないし、誰とも関わりたくない。
白いカーテンに小さく切り取られた天井の広さ分だけ、今の私は存在しても許されている。呼吸ができる。

チャイムの音。生徒たちがざわめいている。大人たちがひそひそと何かを話し合っている。
一日が始まる。私はベッドの上で一日をやり過ごそうとしている。
 
あのまま教室にいたら、どんな一日だったろう。
君といくつか言葉を交わすだろうか。
笑顔を向け合うことはあるだろうか。
あのままあの教室にいられたら……。

なんにもイメージが湧いてこなくて、シーツのシミにでもいいから、なってしまいたい。
天井の模様に人の顔を探す。
目と、目と、鼻と、口。目と、目と、鼻と、口。目と、目と、鼻と、口。
いつか摘んだ野花のことを思い出す。名前も知らない、紫色の小さな花。
色んな角度から満足するまで見て、そのまま河川敷に放り捨てた。
花は枯れたろうか。
動物に食べられただろうか。
風に飛ばされただろうか。
私のせいで――。

扉の開く音がする。
私は目を閉じ、眠ったふりをする。
しんだふり、が近いかもしれない。
私は弱い。すぐに傷つけられる。君が憎いよ。君さえいなくなってしまえばこんなに苦しくないのに。
でも、よくわかってる。私を傷つけるのは、ほんとうは私で、私は鋭くて、もろくて、最低なんだ。

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