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私たち夫婦には子供がいない。子なしの今、思うのは。

私達夫婦には現在は子どもがいない。
夫婦で、子どもについて思っていることも違いがある。
今現在の私が思っている事について、忘備録として記録しておこう。

実は、拙ブログでこの記事が1番読まれている。

https://dinks-lifestyle-quest.com/dinks/

Xでも、反応が多い。

子なし夫婦というカテゴリーに興味を持っている方は多いのかもしれない。


私が子どもについて思っていること


①子どもを持つことが怖い、自信がない

1番はこれ。
まず、妊娠期のトラブル(つわりや倦怠感)を乗り越えられる気がしない
そして産む痛みも怖い。
無痛分娩っていっても、痛みが全くないわけではないし、その辛さを夫と分かち合えないまま、抱えるのがさらに怖い。一緒に産んでくれるならいいのに…。

そして、子育ても怖い。大袈裟なんだろうけど、1人の人生を左右する気持ちになる。もちろんその分幸せも大きいことは理解している。
しかし、自分に子育ては荷が重い、と感じる。(やってみないと分からないけどさ)

②子どもは好き

子どもの存在は尊い。甥っ子や友達の子どもを見ると、なんとも言えない温かな気持ちになって、つい関わりたくなる。
子どもの成長を見ると元気が湧いてくるし、子どもの発想はユニークで素直で、気付かされる事や助けられることも多い。
生きる糧になるんだろうなというのもよくわかる。
学生の頃、学童のボランティアをやっていたくらいなので、子どもと関わるのは好きなのだ。好きだからこそ、荷が重く感じる感じるのだろうか。

③自分の生活で精一杯だし、今が幸せ

私はキャパシティが小さい。料理をしたら疲れるし、とにかくよく眠る。
疲れている時は好きなお風呂も入れない。
今、自分の生活を成り立たせるので結構アップアップしている。
週5日会社員を続けるのが難しくなってきて、ついにパートタイムに切り替えた。
こうして、少しずつダウンシフトしていくんだろうなと思っていた。
今のコンパクトさを幸せに感じる。

夫や友人と、時間を気にせずダラダラと喋るとき。
犬の散歩を晴れた日にしているとき。
好きなだけサブカルチャーに浸かれるとき。
おいしいものをたべるとき。
スーパー銭湯に行くとき。
こうして文字を綴っているとき。
こんなときにじんわりと幸せを感じていて、
これ以上は求めない、といつも感じる。

もちろん、子どもがいても上記のことはできるだろう。
けど、本当に今以上を求めないから、そもそもこのままでいたいだけなのかもしれない。

④子どもが欲しいと思っていたこともあった

学生の頃までは、子どもを当たり前に産むのだと思っていた。
だってそれが幸せってやつでしょ?と思っていたから。
そしていよいよ周りが産む年齢になってきた頃、妊娠、出産レポや自宅周りの産院、保育園事情、国から支給されるお金などについて調べていたこともあった。

でも、調べれば調べるほど「これはしんどいな…」と思ったのが本音。
子どもを産んで育てるということは、理屈で考えると及び腰になる
もうこれは、本能に任せて産みたい!と思ったら産むしかないんだな、と感じた。
でも、その本能が一向にやってこなくなってしまった…。
私は人間として何か欠落しているのだろうか?と、夫が望む「家族像」を提供できない自分を恥じたこともある。

結論:今は無理だ

この4点を踏まえて、今のところの結論は、
「いつか子どもと暮らしているかもしれないけど、今ではない。今は、自分と夫婦関係に向き合っていく事に全力を注ごう」である。
自分で自分のことをDINKsや子なしと記載しているが、将来どうなっているかわからない。ただ、我が子を見てみたいと思える時までは、今できることをやっていくしかない。

正直、このままマイノリティとして生きていくのは不安だ。
だけど、きっと子どもを産んでも別の不安があるだろう。
だから、今の私は今の私にある不安と共に生きていくしか、ないのである。

夫の気持ち(直接聞いてみた)

夫がコメントをくれた。

妻と付き合っているとき「子供は1.2人くらいほしいね」と2人で話していた。
しかし結婚してからくらいからだろうか、妻の考えは変わっていったようだった。
どうして子供がほしいのか。数年前に妻から聞かれたが、そんなこと考えたこともなかった。
自分の年齢的に友人達は子供が出来始めていたし、結婚したら次は子供という流れが自然だろうとしか思っていなかった。
好きな人との子供なんだから可愛いに決まっている、子供が出来るということは守るべきものが出来て働く意味や生き甲斐にもなる、子供が生まれ育てていく過程で新たな喜びや楽しさを感じられる、大きくなれば一人の人間として頼りになる存在にもなってくれる…
結婚して子供を作って穏やかな家庭を築くという普通の幸せ(ぶち壊しにしたのは自分だが)をなぜ手にしたいと思わないのか理解に苦しんだ。
子供がほしくないということは夫である自分のことも好きではないのではないか、一緒に幸せになってくれないのではないか、と自分を拒絶された感じすらした。
今思うと、結婚出産など社会的ステータスを踏んでいかなければという焦り、子なしというマイノリティになることへの恐れを感じていた。
特別子供好きというわけではないが、幸い家庭内でさほどネガティブ思いをしたことがなく「家族っていいもの」という固定観念があった。
なので自分にパートナーがいながら子供を持たないという選択肢がなかった。というかやはり考えたことがなかったのだ。
妊娠出産によるの妻の体調変化やリスク、産休育休や保育園などの社会制度をどの程度理解しているのか、万が一ひとり親となったり、ハンデを持った子供を授かったとしても育てる覚悟があるのか。
将来の不安を考え出したらキリがないし、ある程度勢いも必要だろうと苦し紛れに思ったが、それらを妻から聞かれたときにぐうの音も出なかった。
今でも子供がほしいという気持ちはある。ただそれが単なる憧れではないか自分の気持ちを精査することも、自分の知識を増やして妻に同意してもらえるよう話し合う準備も出来ていない。自分の変容や夫婦関係の再構築で手一杯なのが現実だ。なので自分のなかでは保留中と言ったところか。ずっと保留になるようなら、それまでの気持ちだったんだろうと思うようにしている。
自分はこれまで“なんとなく”で生きてきた。決断する勇気と労力を省いて、なるべく責任を負わなくてもいい生き方をしてきた。
同時に“なんとなく”では得られなかった“なにか”に対する憧れを生み、それが積み重なってもっと幸せになれるはずという焦燥感に繋がっていた。その焦燥感とどう向き合うか、手放していくかが子供のことだけでなく、問題行動をやめて健全に生きていくのに必要だとようやく気付き始めたところだ。

夫の言葉そのまま載せさせてもらってます

ちなみに文中に出てくる(ぶち壊しにしたのは自分だが)という部分については、詳細をこの記事に書いてあります。(現在3話構成)

今回の件で、子どもがいない方、子どもがいる方両方の意見も聞いてみたいので、よければコメントお願いします☺️

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