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正社員を辞めた。子なし、別居中、30代女です。

私はこのたび、正社員を辞めてパートタイマーになった。

職場からは「旦那さんの扶養に入るの?」と聞かれたが、答えはNOだ。

今現在、別居中の私たち夫婦は家計も別。
最低限生きていけるほどの労働に、私が勝手にダウンシフトしただけ。
フルタイム勤務の夫に養ってもらえるわけではないので、正直生活費はギリギリだ。季節のフルーツを買うような贅沢はできない。

ではなぜ、そんなキツキツの状態で正社員を辞めたのか。それについて綴ってみようと思う。


正社員を辞めた理由その1:賃金労働の限界

賃金労働の目的がわからなくなったからである。
最低限生きられる金額が、2024年現在は15万円だとしよう。
週5日、フルタイムで勤務すると20万円稼げたとする。

さすれば5万円、貯金しても良いし使っても良いことになる。
でも、その5万円って週5日、9時から17時まで必死に働くほどの価値があるのだろうかと、ふと考え始めた。

仕事のある日は、17時までといっても帰宅したら18時。
それから食事をしたりお風呂に入ったらもう眠るしか時間はない。

だから週5日はほとんど休む間もなく動いていることになる。
気持ちが休まることはない。

土曜日は体を休めるべくダラダラするだけで終わり、日曜日は月曜日の憂鬱で終わる。

まとまった連休を取るには、上司に気を揉みながら有給申請しなくてはならない。大型連休と呼ばれるゴールデンウィークやお正月はどこも混雑している。

かつては頑張って貯金、資産形成して60歳で仕事を辞めるぞー!と考えていたのだが、今もらえる賃金=「命という時間を削ってもらえる時給」を取って、60歳に身体不随になって動けなくなったら?

そんなことを考えたら賃金労働の価値がわからなくなった。
別に週5日、40時間も働かなくても生きるくらいのお金は稼げるんじゃないか?そう発想の転換をしてみたのである。

正社員を辞めた理由その2:上司との相性が悪い

私は「上司」という存在が苦手だ。

自分のペースを乱されるのがとても苦手なので、急に仕事を振られると驚いて固まってしまう。また、納得した仕事しかやろうと思えないので、「その業務意味ありますか?」と思う仕事を振られるとイライラする。

そして「急に」「意味ある業務」というのは完全に私の主観なので、上司はそんなこと知ったこっちゃない。どんどん仕事を振ってくる。当たり前だ。
だからそもそも、「上司」という存在と相性が悪い。

加えてタチが悪いことに、私は機能不全家庭で育ったトラウマがあるため、父親や母親を彷彿とさせるような人物に遭遇すると固まってしまう。
キツイ言い方をする人、機嫌が日によって違う人、私に対し子どもに話しかけるような話し方をしてくる人。

そこに上記のような「指示」が合わさってくると完全にトラウマが刺激されて、家に帰っても引きずるくらい苦手な人が誕生してしまうのだ。

正社員という存在でいると、この人物と週5日は顔を合わせる。
さらに上司に嫌われると職場で生きづらくなる、という私の固定観念があるため、対等なコミュニケーションを取るのが難しい。

これが「この人から逃げられない」という感覚を生み出し、しんどくなってくる。

転職を4回してどの職場にもそういう人がいるということは、その人たちにも問題はあるだろうが、単純に「私に向いてない」んじゃないかと思った。

実際、今は業務委託で2社と契約させていただいているが、そこの社員さんたちには恐怖は生まれず、こちらからの提案もしやすい。

以前の職場でパートとしての勤務も続けているが、週3回しか会わなくて良いのであれば、上司という存在が少し小さく感じられるようになった。

正社員を辞めた理由その3:資産取り崩しと向き合う覚悟ができたから

私は現在、リスク資産(株式投資)50%、安全資産(現金)50%で資産形成している。その1で書いたように、これは60歳まで崩さないつもりで新卒の頃から積み立てていたものだ。

でも、本当に60歳になったら崩せるのだろうか。
いつかは「正社員を辞めて余生を過ごす」時がやってくるけど、それって年齢で区切る事?
それまでは頭を空っぽにして仕事に時間を費やしていたけど、リタイヤした途端やりたいことがない、もしくはしたくてもできない体になっていたら?

いつかは「資産を取り崩し始める」恐怖とも向き合わなくてはいけない時が来る。そしてそれは死ぬまで続く。
だったらいつやるの。「今でしょ」と私の頭のなかの林修先生が語りかけてきた。

お金の価値よりも、時間の価値に重きを置いてみたってワケだ。

実際今は、最低限の生活費は賃金労働で稼ぎながら、自由費は資産を年4%ずつ崩して捻出している。

正社員を辞めた理由その4:人生の短さを体感した

うだうだしながら正社員をしていた頃、かなり身近な存在が突然病で亡くなった。まだ世間的には若いと言われる年齢だった。

「人生、想像しているより短すぎることもある」
「人間はあっけなく、本当に突然亡くなることもある」

そんなこと言葉ではわかっていたし、人間の死も何度か体験しているはずなのに、この事実が腹落ちしたのは今回が初めてだった。
それくらい、当人も私も予期しない死だった。あまりにも悲しかった。

この体験をした直後、「自分の人生に納得していない状態で死にたくない」と強く感じるようになった。

「やってみたいことはすぐやろう、やりたくないことからはすぐ逃げよう。」

そんなことを教えてもらった、私にとって大きな大きな体験。
だから手始めに、自分の時間の大半を占めていて嫌だと思う正社員を辞めた。

生活費はキツいんだけど、お金よりも大事なこと

正直、生活費はキツい。
だけど、洗濯物は月曜日でも良いやと思えること。犬の散歩に好きな時間に行けること。こうして思いのままに文章を綴れる心のゆとりがあること。空いている図書館に平日行けること。
こういう、小さな日常の幸せ、これこそが生きている実感だと感じられる。

以前、スガマリさんのnoteにとても共感した。

「日常」に満足していると「現実逃避のために旅行したい」という欲望が減るのだ。非日常もたまにはあると良いけど、「日常(週5勤務)に戻りたくないぃぃ」という感覚は激減した。
楽しみな旅行は「逃避のための非現実」ではなく、日常の延長にあるので、日常にすんなり戻れる感覚がある。

多分この日常への満足というのは、自分で勇気を出して選んだからこそ得られるものなんだと思う。人生の舵を自分できっている感覚こそ、自己肯定感なのではないか。

他責思考で仕事をやらされていると思いながら、安定をとる人生の選択肢もあったと思うけど、思い切ってそれを辞めてみた。

たとえ10億円あったとしても、さあ正社員を辞めて自分で人生の舵を切ろう、というのは怖いものだ。それぐらい「日本人の感覚」が自分に根付いている。
でもいつかは誰しもやること。それはもうエイヤ、と思うか思わないか。

思い切って飛び込んで良かったと思えるように、日々を過ごしたいものだ。

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