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私がブラジャーを好きになれた話

初めてブラジャーを身に付けたのは中学生の頃だった。自分の意思とは無関係に膨らんできた胸の為に、母に連れられ嫌々ブラジャーを買いに行った。メジャーで胸を測られている時の、不安や嫌悪、女性特有の体つきに象徴される母性像に自分が重なってゆく羞恥心は、テレビや雑誌などあらゆる媒体で性的客体化される女性のイメージに自分が近付いてしまったという嫌悪感から来ていたと思う。

自分の体が『とうとうこんなものを付ける人間になってしまった』という、自分が着実に女という化け物に変わっているという不安や失意の中では、ブラジャーのあの不自然にレースのあしらわれたデザインは私をイラつかせるのに充分だったし、何より私の頭を悩ませていたのは、「綺麗になりたい」とか、「恋愛したい」とか、自分の内側からの欲求を自覚しながらも、母親や父親にとっては『子供』である私に、実は『女としての側面もある』事に私自身が後ろめたさを感じている事だった。

それはあってはいけない事のような、自分が何か性的にいやらしいもののような気がして、「本当の自分」と「仮面を被った自分」の間で揺らいだまま、不安定な気持ちは折り合いを付けることが出来ずそのまま20代後半までの長い間拗らせることになった。

その後UNIQLOからブラトップ(カップ付きタンクトップ)が発売された時、これでブラジャーを身に着けずに済むと、諸手を上げて喜んだ記憶がある。

女であるためには条件がある。女であることは、すなわち男の性的欲望の対象となることだから、この条件を満たさない女は女ではない。上がった女は女ではない。乳房や子宮を失った女は女ではない。ブスは女ではない。

(『女ぎらい ニッポンのミソジニー』 上野千鶴子)

自分自身のあり方に悩みながら生きてきた私は長い間自分に女としての振る舞いを許さなかったので、ずっとお洒落も手入れもうまく出来なかった。20代後半に差し掛かった頃には醜い半端な生き物に成れ果てていて、自分に残されたものはもう可愛くはなれないというあきらめと自己憐憫の気持ちだけだった。いっそ女を捨てた方が楽になれる気がして、もう二度と身に付けないという決意を固めて持っていたブラジャーは全て廃棄し、その後何年もブラトップで過ごすことになった。

「女の早食いはみっともない」とか、
「そんなんじゃ嫁にもらってもらえない」とか
「女らしくなったなぁ」とか←これは叔父が姉に放った言葉

成長とともに強くなる性別化への社会的圧力にとても敏感で、女である事で自分が男性の視線によって値踏みの対象となる事を自覚し続けさせられる心理的負担は大きかった。今思うと子供にしては考える力があったのかもしれない。

男を『男にする』のは他の男たちだが、これに対して女を『女にする』のは男であり、『女になった』事を証明するのも男である。

(『男同士の絆』イヴ・セシウィック)

勝手に溢れてくるインセスト回避の為のどうしようもない嫌悪から、身内の異性の前で自分の女性としての一面を見せることに抵抗があって、『私はまだ子供である』という必死の自己カテゴリー化を通じて『男性の視線』から降りる事でしか自分の心を守れなかった。

摂食障害になってからもこの先の自分自身の在り方や振る舞いについて何が正解なのかずっと模索していたものの、答えは出ないまま昨年父親が亡くなってしまった。しばらくは悲しみに明け暮れたが、時間とともに気持ちも落ち着いてきた。

兄も姉も結婚してとっくに家を出ていて、家庭の中で生まれて初めて母と2人だけという状況に置かれた時に、ぼんやりとした考えが私の頭の中を巡っていた。女性性の象徴としか思えなかった自分の身体的特徴も、自己表現としての余地があるような気がしていた。

不意にInstagramに流れて来た下着の広告をよく見ると、5000円程度のものでも布地とリボンのコントラストなど、趣向を凝らした個性的なデザインであふれていて思わず目を奪われた。気に入った下着のデザインはとにかくひたすらブックマークに追加していった。

何となくそれらが私を進みたい方に行かせてくれる気がしてならず、お気に入りをいくつかピックアップした上で母に相談し、イオンの下着売場に連れて行ってもらった。そこでサイズを測って貰い、初めての販売員さんによるフィッティングを経て自分の胸のサイズにあったブラジャーを買った。数字に囚われやすい私は自分のバストサイズが案外大きかった事にすっかり気分を良くして、捨てたつもりだった自分の『女』の部分が急に惜しくなった。

それから私の下着調査の日々が始まり、韓国製の安い下着を買い漁ってみたり、色んなメーカーの物を試した結果『自分のデコルテ部分には脂肪が無い』という客観的気付きを得たりもした。

そんな中で毎日のようにSNSで下着情報を収集しているとき、不意に『一時間かけてブラジャーを試着したら、黄泉の国から戦士たちが戻ってきた 』というインパクトのある文字列が目に飛び込んできて、自分の関心を全部持っていかれた。調べてみるとそれはブラデリスニューヨークという有名な補正下着のブランドで、時間をかけたヒアリングやフィッティング、アフターサービスに定評があり、そのクオリティ、スタッフのフィッティングスキルの高さに感動している人も少なくないようだった。私も興味がないでもなかったが、名古屋まで行かなければ店舗が無い事や、私自身まだ人との関わりに不安が強く、『自分には縁がないだろうな』と流していた。それから数か月経って、先日

『ブラデリスニューヨークでフィッティングしてもらう事を今年の目標にする』

と、私は母親に宣言していた。少しでも綺麗になりたいという気持ちが高じての事だった。今年の目標という名目で有名ブランドの店舗へ行こうとしたり、ここまでブラジャーに対するくどいほど長い私の思いを書き連ねてきたのは、自分が女性である事に対してまだほんの少しの抵抗感がある事や、親の前で私が子供以外の一面を有している事への罪の意識、その事への後ろめたさを持っている事実を、今後自分が自分らしく生きる為になぁなぁにしたままではいけないような気がしたからである。

強調しておかなければならないのは、葛藤の末に、私は『女性らしくあってもよい』し、そう思える必要がある、という考えに至った事である。

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