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小説「つまらぬ怪奇は麺麭より安い 第5.5話~河童巻きは河童を巻いているわけではない~」

寿司というのは大陸の更に東を発祥とする郷土料理で、炊いた米に酢と塩と砂糖を混ぜて、新鮮な生魚や酢で締めた青魚、炙った魚の切り身などを乗せて食べるものだ。
こいつに出会った時、まるで人生が変わるくらいの感動を覚え、もっと寿司を学びたいと修行の旅に出て、今はこうして故郷に戻り、店を持つにまで至ったのだ。お陰様で店は好評、味も上々と評判、時には高級官吏や豪商も訪れる名店となった。
まさに今人生で最も輝いている、そう確信するくらいの成功を手にしたのだった。

しかし盛者必衰、諸行無常、色即是空になんたらかんたら、成功者が転落するのは一瞬、ほんの些細な失敗や傲慢、或いは避けようのない天変地異のようなものとか。
あの日、あの男さえ来なければ、あの日店を休んでいれば、今もそう悔やまずにはいられないのだ。


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「へいへい、やってるぅ?」
あの日、店の暖簾を捲ったのは妙な風貌の男だった。年の頃は50を過ぎていそうだが、頭は頭頂部の髪が金色で短く、側頭部と後頭部の銀色に染めた髪を長く伸ばして三つ編みにし、その恰好は年の割に若々しく、というよりはむしろ軽率で、全開にした胸元には威圧するような七色に輝く龍の刺青を彫って、胸には人類皆穴兄弟などと書いている。
己の経験上、こういう人間はどうしようもない社会不適合者、ろくでもない男に違いない。きっと親の脛を齧り続けて、そのまま年だけ食ったような屑人間、生産性のない非労働力、どうしようもない無駄飯ぐらい。
見て見ろ、あの馬鹿丸出しの恰好。ああいう勘違い野郎がのさばるから、この国は一向に良くならないんだ。

しかしそんな輩でも、金さえ持っていれば客だ。寿司を万人に食わせたいという夢を叶えるためには、こういう下衆の輩も受け入れねばならない。
「へい、いらっしゃい」
俺は笑顔で客を招き入れることを選んだ。

「そうだなー、老酒くれ。あと炒飯と餃子!」
「うちは寿司屋ですぜ」
「寿司? なんだそれ?」
まったくどこの田舎者だ。寿司を知らぬとは嘆かわしい、しかし考えようによっては好機ともいえる。
この手の輩は無駄にやかましく、見栄っ張りでお調子者だ。寿司の旨さを知れば方々で語って回るに違いない。そうすれば寿司の知名度は更に上がり、うちの店名も比例して広まるというもの。
俺は寿司とはどういうものか、馬鹿にも理解出来るように語ってみせ、目の前の勘違い野郎に教えてやった。
「へぇー、そんなもんあるのかよ? じゃあ、酢飯の上に餃子でも乗っけてくれよ」
駄目だ、馬鹿はやはり馬鹿でしかない。

「お客さぁん、餃子はねえ、やってないんですよ」
「じゃあ、炒飯に魚乗っけてくれよ」
信じ難い馬鹿野郎がいたものだ、この世には神も仏もいないのか。
寿司は、酢飯に魚を乗せた料理だって説明したぞ。なのに、この目の前の馬鹿野郎は餃子を乗せろだの、炒飯で握れだの、わけのわからない寝言を抜かしやがる。
「お客さん、寿司っていうのはですねえ!」
「なあ、店主。魚を裸の女に乗っけたら楽しいと思わねえか? よし、そうしよう! 名付けて女体盛りだ! 俺とお前で女体盛りの特許を取って、大金持ちになろうじゃねえか! ぎゃはははははっ!」
なにが可笑しいのか男はぎゃはぎゃはと爆笑しながら、表を歩く女性に声を掛けては横っ面を叩かれている。
やめてくれ、俺の店の評判を落とさないでくれ。

そうこうしている内に男連れの派手な女に声を掛けてしまい、しかもよりによってその男が、この界隈では知らぬ者のいない無頼の輩。毒蛙と名付けた破落戸軍団を引き連れて暴れ回り、警吏に賄賂を渡して見逃されているが、最低でも10人は人をこの世から消しているとの噂もある、まさに最低最悪の男だ。
しかし勘違い野郎は殴られた途端、思い切り毒蛙の頭目に殴り返し、そのまま馬乗りになって獣のように殴り、さらに何発も頭突きを喰らわせ、何度も股間を踏みつけ、げらげらと腹を抱えて笑っているのだ。
さらに駆けつけた部下たちをも次々と殴り倒し、うちの店内目掛けて投げ飛ばし、椅子を振り上げて思い切り叩きつける始末。
仕舞いには拳銃まで出てくる具合で、店内は滅茶苦茶、毎日丁寧に愛情込めて研いだ包丁は、今や無頼の輩の鼻に突き刺さり、何匹もの魚を降ろしたまな板は乱暴に振り回されて真っ二つに割れて、高級感を出すために無理して用意した壺は粉々に砕かれた。

「100人殺しの毒蛙だぁ!? 知らねえなあ! 少ねえなぁ! なんだ、その小銭みたいな人数は、田舎の雑魚の稚魚がよぉ! 俺はなぁ、1000人より先はぁ! めんどくさくて数えるのやめちまったぜぇ!」

そんな悪魔の化身のような者がいるはずはない。当然はったりに決まっていると思うが、そんなことより今は凄惨極まるこの状況、店の中は滅茶苦茶に壊され、うちだけではなく隣や表の店も被害甚大、おまけにどこからか火の手が上がり、辺り一面が真っ赤な炎に包まれている。

「ぎゃっはははぁっ! おい店主、この炎で、魚焼いてよぉ! 炒飯に乗せちまおうぜぇ!」

馬鹿が! 寿司はそういうのじゃない、そういうのじゃないんだ!


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そういうこともあり、俺は一夜にして店も財産もすべてを失い、天変地異のような男はいつの間にか姿を消していて、なにもかも失って人間が最後に辿り着く地とも揶揄される辺境の町、廃界へと辿り着いたわけだ。
それでも諦めずに新しく店を構えるために、少しずつ調理器具や家具を集めている。
そして顔馴染みになった道具屋に愚痴のように昔話を溢すと、
「あー、あの人ねえ。昔は一本筋の通った堅気に迷惑を掛けない、武侠の鑑みたいな男だったんだけどねえ……ある日を境に急におかしくなっちゃったんだよね」
などと笑って話すのだ。

誰だ、そんな風にした犯人は。見つけたらぶん殴ってやる。
鼻息荒く家路に着く俺の前を、本能的に苛立たせる人を舐め腐った顔をした河童が、ぎゃはぎゃはとまるであの男と同じように下品に笑いながら、酔っぱらったように飛び跳ねていったのだった。


(続く)


є(・◇・。)эє(・◇・。)эє(・◇・。)эє(・◇・。)э

第5話「尻子玉」の余話です。
そのまんま5話の後日談ですが、この頃に朱雀たちが何処でなにをしているのかは最終話のお楽しみなので、朱雀も子飼いのルオたちも誰も出て来ません。
玄武は無駄に元気です。そのまま野垂れ死にしそうですが、いかんせん達人ではあるので一番厄介な老人です。
早く尻子玉を戻してあげましょうって感じですね。