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慈眼山周辺

豆田町北に流れる花月川を川上に上ると慈眼山があります。慈眼山周辺には歴史を伝え残す施設や神社が残っています。豆田観光に来たなら歩いて行ける距離にある永山城城跡と一緒に観光して廻るのもお勧めです。

小ケ瀬井路(慈眼山下)

三隈川上流の小ヶ瀬から井路を掘り川水を取り入れる大規模工事を行い干ばつに悩む耕作地である田島地域に水を送る小ケ瀬井路。塩谷代官から要請を受けた廣瀬淡窓の弟である廣瀬久兵衛と草野忠右衛門は、受益を得る町民たちから資金を集め百姓も加わり大規模工事を行い1825年に完成させました。

慈眼山下の尾ケ瀬井路の一か所

塩谷代官の碑 (慈眼山山頂)

1817年に日田代官就任し1820年西国郡代昇進した塩谷大四郎
塩谷代官は災害時などに備え日田陣屋の一角に陰徳倉を建て実際に隈町の大火の際、被災者にこの蔵米を配り災害支援を行いました。豊前浜の干拓事業や宇佐郡の盲人養育田の設置など幕府領外の功績も多くあります。小ケ瀬井路工事では百姓同様の姿で工事現場に訪れていたそうです。日田川通船により農業だけでなく商業の発展にも尽くし江戸時代後期には日田で作られた産物は現在の貨幣で換算すると20億円に達しています。
しかし資金提供を強いられた富豪の一人が不満を幕府に直訴したことを機に塩谷代官は、江戸へ戻ることになり翌年1839年に亡くなりました。恩義を忘れなかった日田の人々によって死後13年経った1849年、 慈眼山上に塩谷代官の碑が建てられました。

平安時代の仏像(慈眼山中腹)

日田神社(慈眼山横)

花月川河川敷

雨季には、水害に見舞われることもありますが普段は穏やかな流れの花月川。多くの歴史を見てきた川なのかと思いをはせながら河川敷を歩くと色々な発見があります。

川下に日が沈んでいきます。
遠くに見える城跡の石垣
河川敷に散りばめられたハート石


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