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中城河岸(港町)

豆田町の南に位置する町「港町」 陸の真ん中 川にも面してないこの町が「港」と呼ばれるようになった歴史が残されています。

塩谷代官は、三隈川上流の小ヶ瀬から井路を掘り川水を取り入れる大規模工事を行い干ばつに悩む耕作地である田島地域に水を送る小ケ瀬井路を1825年に完成させました。その後日田の中心部から集積地となっていた関河岸(夜明)まで年貢米などの物資を船で運ぶため小ケ瀬井路の水を得た中城川に中城河岸(川舟の港)と竹田河岸(隈町)を整備し「日田川通船」が実現しました。写真は江戸時代荷の積み下ろしをしていた港(中城河岸)があった場所です。途中途中に堰を作り水かさを増して船を移動させていたそうです。積み荷は、現在の夜明(関)から更に久留米藩の商人などにより筑後川-有明海を通り長崎の蔵所まで運ばれました。
中城河岸が出来た理由の一つとして船が中城川を通過し積み下ろし場となる河岸を竹田だけにしてしまうと隈町だけが栄えてしまう恐れを感じた豆田町の商人は、中城川にも河岸を作るように代官に申し立て実現させました。この名残が「港町」という地名として現在も残っています。

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