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人格喪失

中学の卒業式では制服すべて後輩がとりにきた。

すこしはずれていたけど、明るく気さくな人柄で後輩からは慕われていた。ついでにいうと、小学生のころからずっとモテていた。

父親の希望で進学した高校は願書出せば誰でも入れる私立高校で、休み時間になると男子トイレからも女子トイレからもタバコの煙がもくもくしている高校だった。女子トイレの鏡の前にはメイク道具がずらっと並び、いじめも激しく、トイレの便器に顔を突っ込まれている子もいた。

あたしは当り障りのないよう生きていこうと思った。

入学してすぐ3年の先輩に連絡先をきかれた。一緒に帰るようになり、電話も毎晩かかってきた。でも、あたしはまだあの彼が好きだったから、『めんどくさいな』と思っていた。

先輩の電話は日に日に内容が「付き合ってくれ」になり、明け方まで続き、付き合うというまで切らないという日が続き、疲れてうなずいた。

付き合いはじめると彼の束縛は激しく、一緒に登下校していた中学の同級生もみんな付き合いを禁じられ、怒鳴り散らされ、ほぼ彼の家に監禁状態になった。キスもSEXも嫌いだった。口のにおいも肌の感じも嫌いだった。

彼の好きなインディーズのパンクバンドのレコードをたくさんきかされ、服装もかえられ、だんだん思考が停止していった。

そしてなぜか殴られる。

あるお祭りの日もあんなに楽しそうにしていたのに、いきなり路地裏につれていかれ、立てなくなるまで殴られ、蹴られ、おぶられて帰った。

「あたしが悪いのかな」

なんとなくそう思って否定も抵抗もしなかった。

ある日突然別れを告げられた。

あんなに嫌で付き合いはじめて、人格すら喪失していたのに、別れを告げられるとあたしは狂ったように泣いた。別れたくないと彼にすがり、冷たく拒否された。それからあたしは、その彼の好きだったインディーズのパンクバンドのテープをきき、自分で彼の好みの服を選び着ていた。

彼がふりむくことはなかった。

1年の夏休みになる前、姉の幼馴染で母親同士も仲良く、あたしも小さいころから仲良くしていた2つ上の男の子に夜呼び出され、家を抜け出した。

連れて行かれた先には大きなワンボックスの車があった。

「ごめん」男は一言あたしにそう言った。

ワンボックスのトランクのドアをあけられ乗せられた。細身の男、すごく太っている男、やたらあそこの大きい男、あと一人いたけど覚えてない。

レイプされた。

痛い、気持ち悪い、こわい、痛い、気持ち悪い、こわい

気持ち悪い

気持ち悪い

痛い

こわい

久しぶりに今、このことを鮮明に思い出そうとして、涙が出てくる。

その時は泣いてはいない。

帰りの車で気まずそうにまた「ごめん」という男に「いいよ」と言った。なぐさめようとしたのか、その男はあたしに触れてきた。

もう、どうでもいいよ。

こわすぎて、いやすぎて、痛すぎて、あたしは心に蓋をしてしまっていたのかも。

今思い出して書いている今がそのときよりずっとつらい


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