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レポート 現代美術入門/荒木夏実

先日、東京藝術大学准教授、元森美術館キュレーター 荒木夏実氏の「現代美術入門」に参加したのでまとめていこうと思います。


以前書いた↓ と同じテーマですが、講師が変わると内容が変わって

現代アートのとらえられ方の多様性を感じて面白いと思いました。

前回の、穏やかで説法のような話し方の鷲田メルロさんとは異なり

今回は、聡明かつ、じわじわエモい荒木夏実さんの講義です。


では本編行きましょう。


1917年 マルセルデュシャン 泉

NY独立芸術家協会 アンデパンダン展

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出品料を払えば無審査でだれでも展示ができるという展覧会だったが、作品のその見た目から出品拒否。

それを受けて作者は、雑誌「ザ・ブラインドマーム」に寄稿。

曰く「泉を自分で作ったかは重要ではない、それを選んだのである。日用品を置き、新たな題名と見方でその用途を消し去った。その物質に対しての新たな思考をつくりだしたのだ」

この作品のポイント

・レディメイド(既製品、日用品)を扱う。

・美しいことが条件ではない。

・コンセプトが作品に

・議論が起こる 炎上を狙う


次はこちら 

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『L.H.O.O.Q.』 

こちらも、マルセルデュシャン 作 みたとおりの、モナ・リザのカラーコピーに落書きしたものです。

見慣れて、知ったように感じていたものは、ステレオタイプな鑑賞をされるが、そこにラクガキされていることによって、既存のイメージから抜け出して、新しい視点で向き合うことができるようになる、


以上2点の作品から、

現代アートは 異なる角度から世界を見ること。

視点を変えるためのツール。

といえる。


■新たな視点、表現のバリエーション


●サイズを変える。

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・スタンディングウーマン/ロンミュエク

サイズが違いすぎることで、いつもの目線で見れなくなる。感覚が揺さぶられる。



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・聖なるハート/ジェフ・クーンズ

名前を与える、泉的アプローチですね。


●素材を変える

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羊毛→人毛にするだけで、毛皮に頭がつくだけで、ただのドレスが気味悪く感じる。その感情の違いはなんでしょうか?本質的には同じものなのに。


●既存のスタイルを使う

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I shop therefore i am / バーバラクルーガー

1950年代のステレオタイプの広告構図。テキストはデカルトの「われ思うゆえに我あり」のパロディ。デュシャンの『L.H.O.O.Q.』的なアプローチだとしたら「ちゃんと思考できてるか?」という挑戦状にも見えますね。


●風景をずらす

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ゴウハル・ダシュティ/今日の生活と戦争

頭ではわかってるけど実感が伴わないことってありますよね。例えば私たちがファストファッションを安価で買えるのは、その割を食ってる労働者がいるのですよね。それを当然の生活としている人たちが。



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照屋勇賢/未来達

沖縄の米軍基地の境界です。基地、政治、歴史。大人の事情はつゆ知らず自由に行来する。純粋な人間にはそんなものは存在しないのかもしれません。


●タブーを暴く

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ナン・ゴールディン/性的依存のバラッド

これは連作の中のセルフポートレート。DVをありのままに受け入れている自分をそのままさらしている、当時では前例のない表現でした。


●多様性

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ザレネ・ムホリ/顔と位相

南アフリカのセクシャルマイノリティたちの肖像。そのたたずまいは、性別や属性を超えて、人としての美しさを感じます。


●個人と世界 過去と現在

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ディン・Q・レ/抹消

手前の船は、オーストラリアを発見し自分のものとした、外来の先人の船であり、容量オーバーで転覆した難民船のメタファ。

映像は、大陸を発見したといわれるクック船長の船のレプリカが燃やされている様子です。

床に散らばるのは、ベトナムの蚤の市で集めたポートレートです。戦争で住まいを追われた人たちの行き場のない残存物です。

これがどうつながるかというと、現状オーストラリアでは難民受け入れを拒否しており、無許可の上陸船は有無を言わさず燃やす対応をしています。作家の生まれた環境、世界を移動して回った経験、社会問題が、その人生を通して結びついているのです。


■まとめ

見ているようで見ていないものに異なる角度の光を当てると、世界が見えると自分の立ち位置や問題意識が見えてくる。気付く。


■Q&A

・アートとジャーナリズムの違いは?

アートは抽象的で、こうするべきという言葉はない。人間の本質に触れる。それによりどこの誰ともつながれる。

ジャーナリズムは問題に焦点があたるが日常には触れられないように、他者からの客観的、時にステレオタイプな見方、当事者、生活者の目線はない。


・資料を通じて作家や作品と向き合うコツ

アートは個人的な体験であり、客観的事実ではないことで、解釈は多様になる。作家すらも超える。自由さがある。

個人的な気になること、問題意識、興味、ひっかかり、違和感を見つける。

それが自分にとってどんなものか(多くの場合は不快なもの)その理由は何でなんだろうと、とことん自分で考える。

それによって自分を知ること、向き合うことができる。いたいこと、見ないで済んだこと、トラウマにつながる経験がアートの力を通してできる。

作品と個人的な思いを対話させる。自分と作品の関係をつくって得られたものを共有する、書いてみる、みんなで話してみるとより理解が深まりいいと思う。

話すときは、自分の感じ方、自分はこう見るという説、好きでたまらないポイント、理解を楽しんでいる様子を話すこときっかけに他者の思考のきっかけが生まれる。


・荒木さんの作品理解のプロセスは?

良し悪し、好き嫌いはあっても、色眼鏡、反応で見ない。

作品、作家にリスペクトを持つ。

豊な気持ち、真摯な気持ち、心をオープンに「素の感じ」で見る。

理解できなくても、拒絶しない。コンプレックスを感じない。そこに想像できないもの、自分に見えていない何かがあるかもという気持ちで。

新しい体験ができるかも。言語化できなくても何かを見出したいと気持ち。

日本の教育の功罪で、

正解がある前提 正しい間違い 恥 できたできない 競争心 が先立ってしまい、ついやりがちだが、自分を責めない、相手を責めない。



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