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カーブはうまく曲がれない~不器用社会人の通う自動車学校~①

 そうだ、免許を取ろう。

 これまでも考えたこと自体はあったが、切実にそう思ったのは去年の夏だった。

動機説明

 湿度が低く、暑いには暑いが耐えられないほどではない地元を離れ、関東圏に引っ越して来た私であるが、この地域における夏というものを移住当初は完全に舐め腐っていた。就職先は屋外の職場であるわけでもないし、移動といえば電車に乗っている時間が殆ど。そもそも同じ日本なのだから耐えられないほど暑いはずかないだろうし、仮にそうであったとしても野外に出ている時間なんてせいぜい三十分程度なのだし、まあなんとかなるでしょう。第一、夏の都内なんて沢山行っているわけだし。そんなどんぶり勘定で引っ越して来た私であるが、住み始めてから二年を過ぎた頃から猛烈な後悔を抱くこととなった。
 一年目は駅から近く、最寄りに大体の施設がそろっている地域に住んでいたおかげで、さして困ることもなかった。だが二年目になり、住居のグレードを上げるために都心部から若干離れたベッドタウンに住むことにした。これがいけなかった。スーパーまでは自転車で十数分の距離で大して離れているわけでもない。大型商業施設は電車で数駅先にあるし、立地としては決して悪くはないのだが、いかんせん遮蔽物もなければ、とてつもなく近くに買い物先があるわけでもない。一年前までならば両方あったそれらを失って初めての夏、皮膚を焦がすような暑さと窒息しそうなほどの湿度による、待ってましたと言わんばかりの洗礼を浴びた瞬間、私は朦朧とする意識の中で思ったのだ。

――そうだ、自動車免許を取ろう、と。

 学生時代、課題と実習とアルバイトでの忙しさで取り損ねていた免許であるが、存外田舎である地元にいた頃は、親元が近かったことと、バスの各停留所の最寄りに、用がある全ての施設が揃っていたことで特に困りはしなかった。しかし引っ越した先で直面した、猛暑という名の自然からの残酷なプレゼントをどうにか処理するには、やはり自動車の存在は欠かせない。幸い、自動車を買って維持するだけの財力は、ない懐を削ればなんとか用意できるのだから、あとは免許を取って来年の夏こそ快適に過ごす。それが去年の夏の私の誓いであった。

 さて、ここで見直したいのは今回の話のサブタイトルである。不器用社会人の通う自動車学校、という時点で察しの良い方は気づいただろうが、これはスムーズに自動車学校を終えた社会人の話ではない。そしてメインタイトルがカーブはうまく曲がれない。かの有名な名曲になぞらえたタイトルがこうしてつくからには、内容は『自動車学校に不器用ながら通う社会人が、不器用であるからこそ直面する問題、課題、悩みの紹介』となるわけだ。なので、仕事をしながら免許を取るメソッドなんて紹介できないし、器用だろうが不器用だろうが、自転車学校を通う上で参考になるような話は大してしない。

 あるのはただ、不器用・あがり症・人見知り・ここぞというときにヘマをするというラインナップの四重苦を背負った人間が、必死に自動車学校を卒業しようと(2023/2/23現在進行形で)藻掻いているさまをお送りするだけの話である。

学科が終わるまではスムーズだった

 どのようにして学校を選んだか、どのようにして入校手続きをしたか、どのようにして学科を終えたかの三点については割愛する。上手く行っていること、幸せなことを書くのはどうにも苦手な人生だからだ。ペンをとり、何かを書くときは決まって現状に悩みを抱えている状態が多い。逆に楽しい、幸せ、順風満帆と思う瞬間にわざわざ腰を据えて、美しき現実から目を背け、文字を綴るということはきっと、文字を書くことを生業にしている人や何か事情があって書かなければいけない人以外は、なかなかできないのではないかと思う。勿論、そうではないという人も中にはいるのだろうが、私は間違いなく前者の人間である。
 少し話は逸れてしまったが、次にやってきた技能。これがとてつもなく問題である。まず自覚している限り、私には以下の欠点がある。

  • 空間認識能力が低い

  • (通常時はそれなりだが、あがると特に)瞬間判断能力が弱め

  • 言われたこと、指導されたことを一度見聞きしただけでは倣ってできない

 これを分かりやすく『不器用』と表現している。こう見るとよく社会人をやれているなと思うが、存外上記の欠点で悩まされていたのは学生時代のほうが多かったような気がする。運動等で一番分かりやすく露呈してしまう上記二つを発揮する機会は、今現在の座り仕事ではあまり巡ってこない。最後の一つもまた、メモを取りそれを見ながら作業することができれば困りはしないし、その上技術が身につくまで上司や先輩が傍にいて教えてくれることが大半であるからこそ、体育や技術・家庭科の授業の際、不器用さで困り果てていた人間でも社会人としては生きていけている。
 だが、自動車の運転はどうだろうか。今まで自動車免許は取る時間がないだけで、時間さえあれば取れると思っていた人間が、実は時間があっても実力的に取れない人間であった可能性は、捨てきれないのでは?そう思い始めたのは、数回目の技能の時間。左回りのコースと坂道発進がやってきた頃であった。

タイトル回収、からの号泣会見

 書き忘れていたが、私はAT限定の普通自動車免許のコースを受講中である。であれば、坂道発進はMT車に比べ困ることはないし、さして躓くこともないだろう、と免許を取っている方々や、車に詳しい方ならば思うだろう。だが、私はある一部分においては人並みのことができない人間である。全部が全部そうとは言わないが、雑に書いてしまえば「センスがあれば問題なくできる。なくても大体ができている」と言われることを、習って、見て、やって、できない。それは時に自尊心を傷つけ、自己肯定を喪失させ、劣等感の大海に頭から突っ込むような感情にさせるのだ。

 誰が悪いわけではない。教えてくれた人、見ている人、やっている自分。野次を飛ばされたり暴言を吐かれたりしたのならともかく、ここで教えてくれた人やそれを見ている人に悪意を見出したり、あるいは自分は何をやっても駄目だと落ち込むという、他者か自分のどちらかに落ち度があるという二極思考をする青い時代は過ぎ去って、自分の性質上人よりは時間がかかってしまうのは仕方がないし、教えてくれた人は悪くない。見ている人はただ見ている人なだけ。そうして感情を処理できる大人な私――のはずだった。

 話は戻り、私は左回りのカーブと坂道発進で五回落ちた。理由はそれぞれ色々あったが、おおまかにいえば『カーブがうまく曲がれていない』。ハンドルを切りすぎたり切りすぎなかったり。切るポイントを過ぎたりその前過ぎたり。とにかく、カーブが上手く曲がれない。今のご時世、ウィズコロナの時代になった影響で、都心部の自動車学校は人で溢れているという。週に予約できるのはよくて4時間、基本は1~2時間でなしという日もある、というハンデはありながらも、その時は運が良く立て続けに予約が取れた中で、この出来事である。
 この歳になれば周りのほとんどは免許を持っているし、親兄弟含め、取得していない人間はまだ学生の親類を除き僅かである。その中で、修了試験ではなく、たった数回教習が進んだだけのカーブで落ち続けた人間はこれまで聞いてこなかった。そして自分はその、身近に聞く人物の第一号となってしまった。勿論、乗れない間は動画を見たりメモを見返したり、イメージトレーニングをしたりと、仮免許を持たない身分なりに創意工夫はしたものの、落ちた。落ちまくった。その原因は、結局この四重苦なのだ。ほぼ毎回知らない人の指示を受け、一回の演習で見て倣い、それが駄目なら再実施。困ったことに、恐ろしいことに、そして知らなかったことに、自動車学校とは、私がこの世で最も不得手な場所であるということを、この時理解してしまったのだ。

 その日の晩のことである。祖母から一本の電話が入った。

「豆ちゃん、自動車学校どこまで進んだの?」

 祖母には自動車学校に通っている話はしていた。なんなら、私が合格し車を持った暁には、かかりつけの病院から自宅までの送迎を期待している御方である。進捗を知りたいに決まっている。

「まあ、ちょっと、全然進めてなくて。乗って数回のところで止まってる」

 すると祖母は笑って言う。

「まだそんなとこなの?Aちゃんはもう仮免取り終わったのに」
 
 Aとは、私から見て年上の従姉妹にあたる人物である。先日結婚し、子供を授かったAは育休を利用し、それまで取っていなかった免許のために自動車学校へ通い始めていた。タイミングとしてはAよりも私の方がずっと先に入学していたのに、どうしてAの方が先であるのか――というよりは、なぜAより先の段階に進んでいないのか、ということが、純粋に祖母の疑問だったのだろう。

 その瞬間、振り返れば恥ずかしいほどに大泣きした。

 ここで本来祖母に語るべきは、お互いの地域差の話である。「Aの通う地域は、比較的人もおらず、予約も取りやすく進みも早い。私の通う地域は人が多く予約が取りにくいから、進みには違いがあるんだよ」といつもの自分ならば言えていただろう。だが、タイミングでいえば私のほうが先であるにも関わらず、こんなところでいつまでも躓いているだなんて、よほど自分はできない人間なのだという自罰的な思考がふと過ってしまった瞬間、自宅で声を上げて泣いてしまった。

 思い出すのは運動会、足が遅くて保護者含め色んな人に声援の声をかけられた日のこと。

 うまく布の手縫いができず「男子の方が上手くできる(※今の時代にはそぐわない発言だし、当時の話だよ)」と怒られた日のこと。

 技術の時間、のこぎりで板を切るだけの作業で「できなさすぎる」と先生と元カレに作業を代行されたこと。

 体力測定で本気でやって酷い成績なのに、他の手を抜いた人と一緒くたにされ、もう一度同じ測定をしろと言われ全力でやった結果「すまない。御前、それで本気だったんだな」と憐れまれた日のこと。

 思い出せばきりがないし、もっと紹介できないような酷い物もたくさんある。そんな、平均から外れてできない分野があることで負い、社会人になって忘れかけていた古傷が、その瞬間生傷へと変わってしまったのだ。

 休みを削り、補習の分は金を削り、そうして精神的に参っていた部分も正直あるが、普段から歯に衣着せぬ物言いの祖母の、文字化するにあたりこちらで多少オブラートに包んだきつめな発言が、自分でも予想外なくらいクリティカルヒットしてしまった。グレイテスト・ショーマンを見た時以来の落涙だった。仕事じゃ泣く機会もぐっと減って、私生活では感情がゴビ砂漠と化していた中で、久方ぶりの豪雨が降り注いだのだ。
 Aは勿論、祖母が悪かったのは言動ではなくタイミングである。だがここでジャストタイミングでやってきたピタッとはまる発言が、私の青春時代に置いてきたはずの二極思考――というより、とにかく自分が劣っているのだという、自罰的になる部分に息を吹き込んでしまったのだ。

 その後、祖母とどんな会話をしたかはあまり覚えていない。しかし泣いていると知られないために、なるべく声を殺して早めに電話を切ったことは覚えている。そして次に電話をしたのが母だった。

「豆、どうしたの?」

「私、運転むいてないわ……」

 そうして開始したのが号泣会見だった。会話の内容もほとんど覚えていないが、はっきりと記憶しているのは一つ。

「うまくいかないとすぐ『自転車に乗ったことある?』って聞いてくるけど、こっちはチャリ通ですけど!?」

 そんな、子供みたいな話だった。教官は一々私の通学方法なんて(聞いてきた人以外は)知らないだろうし、あくまで自転車のように視線は遠くに向けるんだよ、という表現をしたかったのだと思う。今思えば恥ずかしい話である、とすでに感動のフィナーレを迎えている話なら書きたいところだが、まだ終わっていない話であるし、正直今後も同じことをやらないとも限らないので、その言葉は後にとっておくか、すべて終わったら追記する予定だ。なんとか母に相談しながらとりあえず通うことはやめないという方向性に決めた。多少ユーモラスに話したおかげで、私の泣き言も母は心配しつつも爆笑して聞いてくれたのだから、ただの愚痴にならなくてよかったとは思う。

 しかしそんな私も、号泣会見をした後はすっきりしたのか六回目でようやく次に進み、直角の左折や踏切等をストレートで乗り越えた。自分にしては順調すぎる進みに内心、何かあるのではと思っていた頃のことであった。

第一段階、技能の終盤項目。クランクとS字クランクは、息を潜めてゆっくりと背後に迫っていたのだ。


カーブはうまく曲がれない~不器用社会人の通う自動車学校~②に続く


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