たばこ(3)
佐原と宅飲みする仲になり、距離はぐんぐん縮んでいった。だが、学校で佐原と会っても、会話を交わすことはほぼない。僕がそれを嫌がるからだった。
佐原とは学部は同じだが専攻が違うから、授業や教室棟は、そもそもあまりかぶらない。数少ない共通の講義のとき、当初佐原は何気なく「ナオ」と話しかけてきたが、僕はそれを無視してしまった。
あいつはいつも、少し遅れて授業にやってくる。そんなやつが、静かな教室で注目を集める中、僕に話しかけてくるなんて耐えられない。
僕が無視したあと、佐原は普段通り友達の輪の中に入っていったのだが、取り巻きのやつらは「あの子と仲いいの?」「いがーい」と言いながら、クスクス僕の方を振り返っていた。
以来、あいつは教室で声はかけてこなくなったが、ちょっとだけアイコンタクトをしてくるようになった。
大学の教室外の場所ですれ違う時もそうだ。
あいつははじめ、笑顔で「ナオ、どこいくの」と話しかけてきた。いつものごとく、佐原の周りには数人の取り巻きがいた。全員、強い香水のにおいを振りまき、派手な髪色をしていた。
二限終わりで昼だったので、「学食だけど」と答えると、「じゃ、俺も一緒に食おっかな」と言ってきた。あからさまにまわりのやつらが、うとましげな表情をしたのがわかった。
「ごめん、僕先約あるから」と言って、逃げるようにその場を去った。ほんとは学食に行っても、ひとりで寂しく食べるだけなのに。
僕と佐原は、どう考えたって人種が違う。趣味もまったく重なるところがなかった。
佐原は、ファッションに詳しくて、おしゃれが好き。彼女とは、よくショッピングデートをするのだと言っていた。クラブやライブハウスの常連で、友達と騒ぐのが好き。そういった友達といるときは、えげつないくらいの下ネタを話すのも知っている。
でも、僕の前ではそういう話をしない。僕がそういうのを好まないことを知っているからだ。佐原が面白おかしくいろんな話をしてくれるのを、僕はただ聴くだけ。僕は面白い話なんてできないし、いい返しをしてあげられるわけでもない。
本当に僕なんかと一緒にいて楽しいんだろうか。こいつは人気者で、一緒にいたいであろう人間はいっぱいいるはずなのに、僕なんかに時間を費やしていいんだろうか。次第にそう思っていくようになった。
その気持ちを振り払うように、俺は佐原の持ち込んでくる酒を、いつも必要以上にがぶがぶと飲んだ。おかげで、度数5%くらいのチューハイなら、5,6缶くらいまで記憶をなくさずいられるようになった。
佐原は、いつもいろんな酒を持ち込んでくるから、自分の好き嫌いや得意不得意もわかるようになった。
ワインとウィスキーはちょっと苦手だけど、ビールや日本酒は結構好き。ただ、日本酒は度数が高いから、一気に飲むと途端に思考がまわらなくなる。
僕は記憶はなくすが、言動はしっかりしているタイプのようで、これまで一回も酒で失敗したことはなかった。「昨日、俺大丈夫だった?」と佐原に聞けば、「全然普通だったよ」といつも返してくれる。
佐原はザルで、あいつが完全に酔っぱらったところは見たことはない。佐原も佐原でそれが悩みらしく、「俺、ベロベロになったことってねぇの。二軒目行く間にはさめてる。たまに我に返って、むなしくなることあるよ」と言っていた。
一度、僕の家に佐原が、男二人と女一人を家につれてきたことがあった。確か名乗っていたように思うが、もう名前は憶えていない。向こうも、僕の名前はもう覚えていないだろう。
そいつらは、佐原と同様に酒好きのメンツのようだった。ただ、佐原ほど酒に強いわけでないようで、僕の家に来た時には完全にできあがってしまっていた。
酒臭い呼気に距離を取りたくなったが、そいつらは容赦なく距離を詰めてきて、肩を組んだり酒を無理やりにすすめてきたりした。
「志水くん、なんで樹なんかと仲いいのー?」
女がそう言って、僕に肩を寄せてくる。
むっとして黙っていると、女は口紅のついた口で、近くにあったウィスキーの瓶に口をつけようとした。それを佐原が横から取り上げると、女は、えーなんでー、と佐原の方に抱きついていった。
「こいつまじでやばいよ、女癖悪いし、どぎついプレイ好きな変態だし」
男のひとりが、ヘラヘラと佐原を指さす。
「前の彼女なんてさー」
話を始めようとする男を制するように、佐原が声を被せる。
「ばか、ナオの前でそういう話すんなよ」
佐原は抱きついてくる女を適当にいなしていた。
「男はみんな下ネタ好きだろ。なぁ?」
そいつは、なおもヘラヘラと僕に話しかけてきた。
「つーか、ふたりって何の話すんの?」
「えっと……」
僕は身を小さくしながら、心の中で佐原の助け舟を待っていた。
「お前ら、ナオ困らせんなよ。人んちなんだし、騒ぐのも大概にしろよ」
佐原は呆れたようにそう言うと、ふらりと部屋を出ていった。
——嘘だろ。酔っ払いたちの中に取り残され、僕は見捨てられた気持ちになった。
アパートの薄い扉を隔てて、佐原は廊下でしきりに誰かと話しはじめた。まだ人を呼ぶつもりだったらどうしようと思っていたけれど、どうやら酔っぱらいたちを引き取ってくれる先を、片っ端からあたってくれていたようだった。
しばらくして、ドン、ドン、と重低音を響かせながら真っ黒なセダンがアパートの前に停まった。車内のミュージックが外にまで漏れている。佐原が酔っ払いたちを強引に車の中につっこむさまを、僕はベランダの窓越しに眺めていた。
「樹、貸しだかんな」
「わかってるよ。悪いけどそいつら頼むわ」
暗い夜道に赤いテールランプ。運転手の男と佐原が話しているのが聞こえた。
爆音カーが去ると、部屋に静寂が訪れた。しばらくして佐原が戻ってきた。
「ナオ、もっかい仕切りなおそう?」
佐原は、コンビニのレジ袋をぶら下げていた。なかには、チータラやジャーキーなどの軽いおつまみが入っていた。
いつもの時間が戻った。気が緩むと、途端にさっきまでの自分の態度が恥ずかしくなった。
佐原は、明らかに僕の不機嫌な様子に気がついていた。あの酔っ払いたちに何を思われたってかまわないけど、佐原に気を遣わせてしまったのは申し訳なかった。あんなでも佐原の友達なのだから、もっと愛想良くしておくべきだった。
佐原は、さらっと大人な立ち振る舞いができるのに、僕はなんてこどもなんだろう。
酔っ払いたちよりも、僕を優先してくれたことはうれしい。だけど、それと同じくらい惨めな気持ちがあふれてきて、僕はその気持ちを度数の高いお酒で流し込んだ。
翌朝目覚めると、佐原はまだ隣の布団で眠っていた。僕は、佐原を起こさないようにそっとベッドから降りると、机の上の空き缶やボトルを片付け始めた。
その物音で、佐原がのそのそと起き上がってくる気配があった。
「昨日はごめん」
寝ぼけた佐原が、背後から僕の肩に抱きついた。わずかにたばこの匂いがした。
佐原が謝っているのは、おそらくあの酔っ払いたちを連れ込んだことに関してだろうと思った。だが、僕はそのことについてはもう、触れたくはなかった。
「なにが」とぶっきらぼうに返すと、佐原は「や、いいや」と笑った。
それ以降、佐原が他人を僕のうちに連れこむことは一度もなかった。
→たばこ(4)へ続く
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