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たばこ(5)


 佐原に誘われて、ときどき外にも飲みに行くようになった。
 レバーがうまい焼き鳥屋、日本酒の専門店、珍しいクラフトビールが飲めるバー。佐原はいろんな店を知っていて、どの店員とも顔見知りのようだった。
 宅飲みばかりしていて忘れていたが、佐原はやはり目立つ。クラブ系の派手な店は避けて紹介してくれているようだったが、それでも驚くほど女の方から声をかけてくる。以前、女と合流して二軒目までいったことがあり、僕が帰りに不機嫌になってしまったから、以来佐原は女からの誘いは必ず断ってくれるようになった。


 その日は5限終わり、駅で待ち合わせをして、ダイニングバーのテラス席で二人で飲んでいた。すると、茶髪ロングの綺麗な女の人が声をかけてきた。いつものように、佐原は軽くあしらうのかと思いきや、親しげに「サキじゃん」と笑いかけ、その女の腰を引き寄せた。
 「サキ」という名前には、聞き覚えがあった。そのときの佐原の恋人だった。確か、苗字は藤野だったはずだ。
「ねぇ、私この後暇なの。樹は?」
 藤野さんはテーブルに両手をつき、誘うように佐原ににじりよった。
 佐原はふっと小さく笑い、流れるようにキスをした。
 僕はとっさに顔を逸らす。だが、彼らはただの挨拶であったかのように軽く微笑みあって、話を続けた。
「このあとでいいなら、空いてるよ」
「やった。じゃあ、近くのホテルいこうよ。新しくできたとこ」
 ――ホテル。文脈的に、おそらくラブホテルのことだろう。
「いいよ。また連絡する」
 佐原がそういって話を終わらせようとすると、藤野さんは近くの椅子を引き寄せ、僕らの席に入ってきた。
「それなら、私も一緒に飲んでいい?だめ?」
 頬杖をつき、佐原を上目遣いで見つめている。
 胸元の大きくあいたスクエアネックのトップス。ちらりとのぞくレースの下着にどきりとしたが、佐原は気にする様子もない。
「ナオ、いい?」
 佐原が僕に視線を投げた。藤野さんもにこにこと僕を見る。
 そんなの、いいわけない。嫌に決まっている。
 けれど僕は、グラスをぎゅっと握りしめ、うなずいてしまったのだった。
 藤野さんがドリンクをオーダーすると、佐原はトイレに行くからと席を立った。
 2人きりの空間になり、先に話を振ってくれたのは藤野さんだった。
「樹、優しいでしょ」
 藤野さんは、くし切りレモンがごろごろと入ったレモンサワーをマドラーで混ぜながら、ちらりと視線を上げた。
「あ、はい」
 長いまつ毛に縁どられた大きな目に見つめられ、思わず視線を落とすと、今度は白い胸元が目に飛び込んでくる。美人はどこを見て話せばいいかわからない。
「樹って、誰にでも優しいの。絶対に人のこと見下さないし、自分のことも卑下しない。私からすれば、人ってみんなでこぼこな場所に立ってるようにみえるけど、樹からすれば、みーんなおんなじ平らな地面の上に立ってるように見えるんだろうね」
 話の意図がつかめずに、僕は黙り込んでいた。
 明るい声音に、和かな表情。僕なんかにも愛想よく話してくれる彼女に好感はもてたが、なんだかそれは作り物のように見えた。
「だから、樹の彼女は長く続かないんだと思う。みんな、樹のクズさに耐え切れなくなって離れてくのかと思ってたけど、たぶんそれだけじゃないんだろうね」
 藤野さんは、ふふっと笑みをこぼし、きれいに生えそろった白い歯をのぞかせた。
「こんなんなら、彼女になんてなるんじゃなかったかなー、なんてね」
 その言葉に驚いて目をみはると、藤野さんは人差し指を口元にあて、「もちろん、この話は樹に内緒ね」と言った。

 そのあと佐原が戻るまで、さんざん佐原のクズエピソードを聞かされた。それが惚気だとわかっても、不思議と不愉快にはなからなかった。
 藤野さんは笑顔の中に時折、懐かしい過去を思うような寂しそうな表情を覗かせた。僕はそれに気づかないふりをした。

 15分ほどして、ようやく佐原が戻ってきた。トイレの個室で吐いている人がおり、それを介抱し、店員を呼んで掃除まで手伝っていたらしかった。
 佐原らしいなと思いつつも、「樹って、誰にでも優しいの」という藤野さんの言葉を思い出していた。
 僕は、荷物を持って席を立った。
「もう帰るよ」
「えっ、なんで」
 佐原は、僕の腕をつかんだ。
「彼女なんだろ。邪魔しちゃ悪いし」
「えっ、ごめんね。横入りしたのは私だし、私が出るよ」
 藤野さんが慌てて立ち上がる。僕は穏やかに首を振った。
「ううん、今日は僕ひとりで帰らなきゃいけないし、酔いつぶれたらいけないから、これくらいにしときたいだけ」
 僕の表情を見て、佐原も藤野さんも、腹を立てたり拗ねたりしているわけではないのだと察してくれたようだった。
「金、いくらおいてけば足りる?」
 財布を出して、佐原に尋ねる。
「いいよ。そんな頼んでないし、俺が全部払っとく」
「じゃ、次のとき僕が払うから。今日は佐原払っといて」

 帰り道、電車に揺られながら、ふたりがラブホテルに入っていく背中を何度も思い浮かべた。恋愛経験のない僕には、その先の行為はリアルに想像はできないけど、むしろそれでよかったと思った。
 僕は店を出て、何度かふたりを振り返った。店のテラス席で楽しそうに会話をしているのが見えて、絵になる二人だなと思った。僕と佐原なんて、傍から見るとどんなにでこぼこな組み合わせに映るだろう。
 電車を降り、家に帰るまでの間にあるコンビニで、チューハイ缶を買い込んだ。家に酒のボトルは常備されているけれど、ふだんは家で一人のみはしない。けれどその日だけは、酔わなきゃやってられないような気がした。

 翌朝、鏡を見ると瞼が腫れていた。昨晩、家でチューハイを飲みながら、ひとりぼろぼろと涙をこぼしていた記憶がぼんやりとよみがえる。
 ガンガンと痛む頭をおさえて、2限の講義を休んだ。佐原とかぶっている、数少ない講義の日だった。

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